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「母の膝の上に」(紹介並短評) - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

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 結婚――妻としての生活を有する女性又は母として家庭生活必然を持つ女性職業との関係は、理想に於て如何あるべきか。  現状はどうであるか、と云う問題は、私共女性にとって、更に直接な考慮を要求しています。
 女性が自己の自覚したと同時に起った困難な心魂の訓練を要する問題です。
 箇人とし自己の生活拡張させて行きたい慾求。それは、十九世紀後に於るように、徒な男性に対する反抗によるものではありません。人間とし、男が天性に従って仕事を選び、その仕事の裡に、ただ、食い、眠り、死んで行く箇体の生物生存以上の生命見出して行くと全く同じに、女性の中にも、内心のやみがたい性格的渇望に押されて、仕事を、持たずにいられない多数の人が出来て来たのです。東洋にばかり根を張ったとされる牢のような家族制度又は男尊女卑の悪風は、時と云う偉大な裁きてが、順次に枯す根なら枯してくれます。女性職業的困難がそれ等に関っているばかりであるなら、忍耐さえ知っていれば、自然解決されると云っても誇張ではないでしょう。然し、私が思うに、この問題の裡には、もっと何か根本的な神秘に近いものが加っています。制度社会組織を創る人間の心のもう一歩奥にあるものを本能と呼ぶなら、その本能を発動させる源、深遠な自然力とも云うべきものが、見えない底の底でこの問題に働きかけているのではあるまいかと思われます。従って、人生素直に感じ人の力も自然の力も素直受け味って行こうとするものにとって、結論は、容易でありません。女性は、彼女自身の所謂(いわゆる)職業なるものを持ち得るや否やと云う、最も主要な疑問に対してすらも。
 近代社会相の上に非常に目立つこの問題が、その影響を、教育者社会政策家の間のみに止めて置かないのは自明です。
 或る種の文学は、次第にこの分野にも視線を向けて来ました。性質として、多くの場合、この問題に対する作者自身の見地を以て作品は終結されるので、何かの形で、賛、否、の断案が下されていることになります。
 作家女性であった場合と、男性であった場合とで、又作品を貫く感激も違って来るでしょうが、それがとにかく刻下の実際問題にふれていることによって現れる切実さだけは、共通に認め得る点でしょう。
 先頃、エイ・エス・エム・ハッチンスンと云う作家が(男です。)“This Freedom”と云う長篇小説発表しました。直訳すれば「この自由」と云いますか。
 この作家の名は、その一つ前に書いた「若し冬が来るなら」と云う題の作品で俄に知られるようになりました。日本でも多くの部数を売ったそうですが一九二二年に発行された「この自由」は、上述の女性職業問題を骨子としたものです。
 純文学的の立場からではなくそ小説を一読した女性一人として、大体の筋の紹介と、簡単感想を述べたいと思います。
 ロザリーは、英国のイボッツフィールド教区長の末娘に生れました。
 父親は、ケムブリッジ大学卒業し、ひとから未来を属望され、自分も大いに活動する気でいたところが、彼の盲滅法な性質から、深い考えもなく或る私塾を開いている牧師の娘と恋に落ち結婚したまま有耶無耶(うやむや)に六年間舅の助手で過してしまいました。舅の死で目を覚し、万事新にやりなおして世間に出ようと努力したが、同期友人達には、追いすがる余地もない程時代にとりのこされて仕舞いました。
 不平は、彼を感情的ななかなか威張る父親にしました。さびれた、融和しない教区中に友人もなく、家族に満足も見出せない孤独な彼は疑もなく一種の悲劇人物です。
 けれども、見方によっては、ロザリー母親生活の方が、遙に憐れな、自覚されない点で一層悲劇的なものと云えました。彼女は、娘の時は父の為、成長してからは不平満々な良人の為、母となっては、数多子供達の為に、自分のあらゆる希望要求を犠牲にしつくし、いつもおどおど労苦の絶えない女性でした。ロザリー物心づいて第一に感じたのは、男の人と云うものは何と云う偉い素晴らしいものなのだろう! と云う驚歎でした。びっくりするような思いがけない事、珍しい不思議なこと、それは皆、父親か二人の兄達――男――と云う者によってなされます。
 家中の女、母親も、アンナ・フロラ・ヒルダと云う三人の姉達も、女中も、皆、その驚くべき男の人達の為ばかりに何時も働き、用事をし、心配をしている。同じ同胞でも、二人の兄達は父と同じ「男」だから、母でも女中でもまるで違った扱いをします。父親命令で唯の一つも実行されなかったことのないのを見知っているロザリーは、或るひどい嵐の晩、こわさで顫えながら、
お父さんに行ってやめさせて頂いて頂戴よ」
と云って、姉達に「お馬鹿さん!」とたしなめられた程でした。
 この男性全般に対する驚歎の感じは、彼女が大きくなるにつれ、少しずつ色調を更えました。彼女は、父や兄達が下らないことで勿体ぶり威張るのを見たり、場外れに大仰なことをしたりするのを見ると、妙にばつの悪い眼をパチリとやらずにいられない擽ったさを感じずにはいられなくなりました。
 この心持は、もう暫く経つと、男と云うものは、偉いには偉いが、妙な、邪魔っけなものだと云う概念になりました。
 誰にとっても男は偉く思われている証拠には二人の姉、フロラとヒルダとは大仲よしで、ひまさえあると、何かしら男のひとのことについて、熱心に喋っています。ロザリーは、学校を終ったばかりのヒルダから初歩の学課を習い始めているのですが、ヒルダは、ロザリーお稽古帳をあずけたまま、姉のフロラと窓際で、ひそひそ何か話しています。ロザリーは、どうも落附かなく、先生を傍にとられ、物足りません。自分からヒルダを引さらって行くのはフロラではない、フロラとヒルダにあれ程話の種となる「男」と云う者ではありませんか。
 散歩も、ロザリーにとって、この感じを強めるにしか役立ちませんでした。二人の姉さんは小さい自分を放ぽり出して、気取って男のお友達と歩いたり、時には、「サ、いい子だから、あそこの角で誰も来ないか見て来てね」と立番をさせられたり。ロザリーに何よりいやなのは、散歩の間で起る斯様なことを、誰にも云ってはいけないと姉達に命令されていることでした。何故黙っていなければならないのか、ロザリーにはいくら考えてもわかりませんでしたから。
 陰気な教区内でも、四人の娘達は段々人生の花盛りに向って来ました。
 父親は、美しく蕾の揃ったような娘達の身の上を案じ、どうにも仕様のない教区長貧乏生活から、広い世間に出す為、インドにいる男同胞一人と、ロンドンにいる女同胞一人に、一人ずつ娘を引とり世話して貰うことを頼んでやりました。
 ロンドンのパウンス伯母は、すぐイボッツフィールドに自身で来、ロザリーをあずかってロンドンで修業させてやることに定めました。インドには、フロラが行くことになりました。家には、ヒルダと長姉のアンナが残ることになったのですが、ロザリーは、そのアンナと毎晩一緒の室に眠らなければならないのが堪りませんでした。


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