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あひると猿 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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  • 【ラク】FZ0501026●古書/岩波書店/寺田寅彦全集 文学編 第15巻
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  • 【ちくま日本文学034】寺田寅彦 1878-1935
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 去年の夏|信州(しんしゅう)沓掛(くつかけ)駅に近い湯川(ゆかわ)の上流に沿うた谷あい星野温泉(ほしのおんせん)に前後二回合わせて二週間ばかりを全く日常生活の煩(わずら)いから免れて閑静に暮らしたのが、健康にも精神にも目に見えてよい効果があったように思われるので、ことしの夏も奮発して出かけて行った。  去年と同じ家のベランダに出て、軒にかぶさる厚朴(ほおのき)の広葉を見上げ、屋前に広がる池の静か水面を見おろしたときに、去年の夏の記憶がほんの二三日前のことであったようによみがえって来た。十か月以上の月日がその間に経過したとはどうしても思われなかった。信州における自分というものが、東京自分のほかにもう一つあって、それがこの一年の間眠っていて、それが今ひょっくり目をさましたのだというような気がするのであった。
 このように、すべてのものが去年とそっくりそのままのようであるが、しばらく見ているとまた少しずついろいろの相違が目について来るのであった。たとえば池のみぎわから水面におおいかぶさるように茂った見知らぬ木のあることは知っていたが、それに去年は見なかった珍しい十字形の白い花が咲いている。それが日比谷公園(ひびやこうえん)の一角に、英国より寄贈されたものだという説明の札をつけて植えてある「花水木(はなみずき)」というのと少なくも花だけはよく似ているようである。しかし植物図鑑で捜してみるとこれは「やまぼうし」一名「やまぐわ」(Cornus Kousa, Buerg.)というものに相当するらしい。
 とにかく、わずかな季節の差違で、去年はなかったものが、今突然目の前に出現したように思われるのであった。不注意なわれわれ素人(しろうと)には花のない見知らぬ樹木はだいたい針葉樹と扁葉樹(へんようじゅ)との二色(ふたいろ)ぐらいか、せいぜいで十種二十種にしか区別ができないのに、花が咲いて見るとそこに何か新しい別物が生まれたかのように感じるものらしい。無理な類推ではあるが人間個性も、やっぱり何かしらひと花咲かせてみないと充分にその存在がはっきりしない、あれと同じだというような気がするのである。
 去年の七月にはあんなにたくさんに池のまわりに遊んでいた鶺鴒(せきれい)がことしの七月はさっぱり見えない。そのかわりに去年はたった一匹しかいなかったあひるがことしは十三羽に増殖している。鴨(かも)のような羽色をしたひとつがいのほかに、純白の雌(めす)が一羽、それからその「白」の孵化(ふか)したひなが十羽である。ひなは七月に行った時はまだ黄色い綿で作ったおもちゃのような格好で、羽根などもほんの琴の爪(つめ)ぐらいの大きさの、言わば形ばかりのものであった。それでも時々延び上がって一人前らしく羽ばたきのまね事をするのが妙であった。麦笛を吹くような声でピーピーと鳴き立ててはベランダの前へ寄って来て、飯の余りせんべいの欠けらをねだるのである。それからまた池にはいったと思うとせわしなく水中にもぐり込んでは底の泥(どろ)をくちばしでせせり歩く。その水中を泳ぐ格好がなかなか滑稽(こっけい)で愛敬(あいきょう)があり到底水上では見られぬ異形の小妖精(しょうようせい)の姿である。鳥の先祖は爬虫(はちゅう)だそうであるが、なるほどどこか鰐(わに)などの水中を泳ぐ姿に似たところがあるようである。もっとも親鳥がこんな格好をして水中を泳ぎ回ることは、かつて見たことがない。この点ではかえって子供のほうが親よりも多芸であり有能であるとも言われる。親鳥だと、単にちょっと逆立(さかだ)ちをしてしっぽを天に朝(ちょう)しさえすればくちばし自然に池底に届くのであるが、ひな鳥はこうして全身を没してもぐらないと目的を達しないから、その自然の要求からこうした芸当をするのであろうが、それにしても、水中にもぐっている時間を測ってみるとやはりひな鳥のほうが著しく長い、大概七秒か八秒ほどの間もぐって水底を泳ぎ回っているのに、親鳥のほうはせいぜい三四秒ぐらいでもう頭を上げる。これはたしかにひなと親鳥とではその生理的機能にそれだけの差があることを意味するのではないかと思われる。
 鴨羽(かもは)の雌雄夫婦おしどり式にいつも互いに一メートル以内ぐらいの間隔を保って遊弋(ゆうよく)している。一方ではまた白の母鳥と十羽のひなとが別の一群を形づくって移動している。そうしてこの二群の間には常に若干の「尊敬の間隔」が厳守せられているかのように見えていた。ところがある日その神聖な規律を根底から破棄するような椿事(ちんじ)の起こったのを偶然な機会で目撃することができた。いつものように夫婦仲よく並んで泳いでいたひとつがいの雄鳥のほうが、実にはなはだ突然にけたたましい羽音を立てて水面を走り出したと思うとやがて水中に全身を没してもぐり込んだ。そうしてまっしぐらに水中をおそらく三メートル以上も突進して行って、静かに浮かんでいる白の親鳥のそばに浮き上がったかと思うと、いきなりその首筋に食いついて、この弱々しい小柄の母鳥のからだを水中に押し沈めた。驚いて見ていると、この暴君はまもなくこの哀れな俘虜(ふりょ)を釈放して、そうしてあたかも何事も起こらなかったように悠々(ゆうゆう)とその固有の雌鳥の一メートル以内の領域に泳ぎついて行った。善良なるその妻もまたあたかもこの世の中に何事も起こらなかったかのように平静な態度でこの不倫の夫を迎えたのであった。一方ではまた、突然暴行の後に釈放された白い母鳥も、ほんのちょっとばかり取り乱した羽毛くちばしでかいつくろって、心ばかりの身じまいをしただけで、もう何事もなかったように、これも瞬間の驚きから回復したらしい十羽のひなを引率してしずしずと池の反対の側へ泳いで行くのであった。離婚問題も慰藉料(いしゃりょう)問題も鳥の世界には起こり得ないのである。
 自分の到着前には雄が二羽いたそうである。その中の一羽がむやみに暴戻(ぼうれい)で他の一羽を虐待する。そのたびに今もいる鴨羽(かもは)の雌(めす)は人間で言わば仲を取りなし顔とでもいったような様子でそば近く寄って行って、いつもとは少しちがった特殊な低い鳴き声を発していたそうであったが、そのうちにある日突然その暴君の雄鳥の姿が池では見られなくなったそうである。たぶん宿の廚(くりや)の料理人引致して連れて行ったものらしく、ともかくもちょうどその晩宿の本館は一団の軍人客でたいそうにぎやかであったそうである。そうしてそのときに池に残された弱虫のほうの雄が、今ではこの池の王者となり暴君となりドンファンとなっているのである。
 七月末に一度帰京してちょうど二週間たって再び行って見て驚いたのはあひるのひなの生長の早いことであった。あの黄色いうぶ毛はいつのまにか消えうせて、もうそろそろ一人前の鴨羽に近い色彩発現が見える。小さなブーメラング形の翼の胚芽(はいが)の代わりにもう日本語羽根と名のつけられる程度のものが発生している。しかしまだ雌雄区別素人目(しろうとめ)にはどうも判然としない。よく見るとしっぽに近い背面の羽色に濃い黒みがかった縞(しま)の見えるのが雄らしく思われるだけである。あひるの場合でもやはりいわゆる年ごろにならないと、雌雄の差による内分泌分化が起こらないために、その性的差別に相当する外貌上(がいぼうじょう)の区別が判然と分化しないものと見える。それだのに体量だけはわずかの間に莫大(ばくだい)な増加を見せて、今では白の母鳥のほうがかえってひなの中の大柄なのよりはずっと小さく見えるくらいであった。一方で例のドンファンの雄鳥はと見るとなんとなく羽色がやつれたようで、首のまわりのあの美しい黒い輪も所まだらにはげちょろけているのであった。なんだか急に年を取ったように見える。こうした変化がたった二週間ばかりの間に起こったのである。浦島(うらしま)の物語の小さなひな形のようなものかもしれない。


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