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おしの - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

  • 朗読CD 朗読街道30「魔術・妙な話・春の夜」芥川龍之介
  • 「芥川龍之介」 関口安義   岩波新書
  • ◆◇ 芥川龍之介 著「羅生門・鼻」(新潮文庫) ◇◆
  • 朗読CD 朗読街道28「トロッコ・蜜柑・片恋・他」芥川龍之介
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  • 芥川龍之介◆侏儒の言葉・西方の人◆続西方の人収録
  • 別冊毎日グラフ 芥川龍之介 生誕百年、そして今
  • 絶版■芥川龍之介【邪宗門・杜子春】新潮文庫帯/昭和42年/葱.秋
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芥川龍之介  ここは南蛮寺(なんばんじ)の堂内である。ふだんならばまだ硝子画(ガラスえ)の窓に日の光の当っている時分であろう。が、今日梅雨曇(つゆぐも)りだけに、日の暮の暗さと変りはない。その中にただゴティック風の柱がぼんやり木の肌(はだ)を光らせながら、高だかとレクトリウムを守っている。それからずっと堂の奥に常燈明(じょうとうみょう)の油火(あぶらび)が一つ、龕(がん)の中に佇(たたず)んだ聖者の像を照らしている。参詣人はもう一人もいない。
 そう云う薄暗い堂内に紅毛人(こうもうじん)の神父(しんぷ)が一人祈祷(きとう)の頭を垂(た)れている。年は四十五六であろう。額の狭(せま)い、顴骨(かんこつ)の突き出た、頬鬚(ほおひげ)の深い男である。床(ゆか)の上に引きずった着物は「あびと」と称(とな)える僧衣らしい。そう云えば「こんたつ」と称(とな)える念珠(ねんじゅ)も手頸(てくび)を一巻(ひとま)き巻いた後(のち)、かすかに青珠(あおたま)を垂らしている。
 堂内は勿論ひっそりしている。神父はいつまでも身動きをしない。
 そこへ日本人の女が一人静かに堂内へはいって来た。紋(もん)を染めた古帷子(ふるかたびら)に何か黒い帯をしめた、武家(ぶけ)の女房らしい女である。これはまだ三十代であろう。が、ちょいと見たところは年よりはずっとふけて見える。第一妙に顔色が悪い。目のまわりも黒い暈(かさ)をとっている。しかし大体(だいたい)の目鼻だちは美しいと言っても差支えない。いや、端正に過ぎる結果、むしろ険(けん)のあるくらいである。
 女はさも珍らしそうに聖水盤(せいすいばん)や祈祷机を見ながら、怯(お)ず怯(お)ず堂の奥へ歩み寄った。すると薄暗い聖壇の前に神父一人|跪(ひざまず)いている。女はやや驚いたように、ぴたりとそこへ足を止めた。が、相手の祈祷していることは直(ただち)にそれと察せられたらしい。女は神父を眺めたまま、黙然(もくねん)とそこに佇(たたず)んでいる。
 堂内は不相変(あいかわらず)ひっそりしている。神父も身動きをしなければ、女も眉(まゆ)一つ動かさない。それがかなり長い間(あいだ)であった。
 その内に神父祈祷をやめると、やっと床(ゆか)から身を起した。見れば前には女が一人何か云いたげに佇(たたず)んでいる。南蛮寺(なんばんじ)の堂内へはただ見慣れぬ磔仏(はりきぼとけ)を見物に来るものも稀(まれ)ではない。しかしこの女のここへ来たのは物好きだけではなさそうである。神父はわざと微笑しながら、片言(かたこと)に近い日本語を使った。
何か御用ですか?」
「はい、少々お願いの筋がございまして。」
 女は慇懃(いんぎん)に会釈(えしゃく)をした。貧しい身なりにも関(かかわ)らず、これだけはちゃんと結(ゆ)い上げた笄髷(こうがいまげ)の頭を下げたのである。神父微笑(ほほえ)んだ眼に目礼(もくれい)した。手は青珠(あおたま)の「こんたつ」に指をからめたり離したりしている。
「わたくしは一番(いちばん)ヶ瀬(せ)半兵衛(はんべえ)の後家(ごけ)、しのと申すものでございます。実はわたくしの倅(せがれ)、新之丞(しんのじょう)と申すものが大病なのでございますが……」
 女はちょいと云い澱(よど)んだ後(のち)、今度は朗読でもするようにすらすら用向きを話し出した。新之丞は今年十五歳になる。それが今年(ことし)の春頃から、何ともつかずに煩(わずら)い出した。咳(せき)が出る、食欲(しょくよく)が進まない、熱が高まると言う始末(しまつ)である、しのは力の及ぶ限り、医者にも見せたり、買い薬もしたり、いろいろ養生(ようじょう)に手を尽した。しかし少しも効験(こうけん)は見えない。のみならず次第に衰弱する。その上この頃は不如意(ふにょい)のため、思うように療治(りょうじ)をさせることも出来ない。聞けば南蛮寺(なんばんじ)の神父の医方(いほう)は白癩(びゃくらい)さえ直すと云うことである。どうか新之丞の命も助けて頂きたい。………
「お見舞下さいますか? いかがでございましょう?」
 女はこう云う言葉の間(ま)も、じっと神父を見守っている。


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