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かの女の朝 - 岡本 かの子 ( おかもと かのこ )

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  • 鮨 岡本かの子 初版 戦前 文学 小説 昭和16年
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  • 0805 日本の文学46 宇野千代・岡本かの子 昭和44年4月初版
  • 佐藤春夫 『掬水譚』 岡本かの子宛署名本 谷崎潤一郎
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 K雑誌先月号に載ったあなたの小説を見ました。ママの処女作というのですね、これが。ママの意図(いと)としては、フランス人の性情(せいじょう)が、利に鋭いと同時に洗練された情感と怜悧(れいり)さで、敵国の女探偵を可愛(かわ)ゆく優美待遇する微妙な境地を表現したつもりでしょう。フランス及(およ)びフランス人をよく知る僕(ぼく)には――もちろんフランス人にも日本人として僕が同感し兼(か)ねる性情も多分(たぶん)にありますが――それが実に明白に理解されます。そして此(こ)の作はその意味として可(か)なり成功したものでしょう。だが、これは僕自身としてのママへの希望ですが、ママは何故(なぜ)、ひとのことなんか書いて居(い)るのですか。ママにはもっと書くべき世界がある。ママの抒情(じょじょう)的世界、何故|其処(そこ)の女主人公にママはなり切らないのですか。ひとのこと処(どころ)ではないでしょう。ママがママの手を動かして自分の筆を運ぶ以上、もっと、ママに急迫(きゅうはく)する世界を書かずには居られないはずです。それを他国の国情など書いて居るのは、やっぱりママの小児性(しょうにせい)が、いくらか見せかけの気持ちに使われて居るからですよ。ママ! ママは自分抒情世界の女主人に、いつもいつもなって居なさい。幼稚(ようち)なアンビシューに支配されないで。でなければ、小説なんか書きなさいますなよ。


 かの女の息子手紙である。今、仏蘭西(フランス)巴里(パリ)から着いたものである。朝の散歩に、主人|逸作(いっさく)といつものように出掛(でか)けようとして居る処(ところ)へ裏口から受け取った書生(しょせい)が、かの女の手に渡した。
 逸作はもう、玄関に出て駒下駄(こまげた)を穿(は)いて居たのである。其処出合いがしらに来合わせた誰かと、玄関の扉(とびら)を開けた処で話し声をぼそぼそ立てて居た。
 かの女は、まことに、息子小児性と呼ばれた程(ほど)あって、小児の如(ごと)く堪(こら)え性(しょう)が無(な)かった。
 主人逸作が待って居(い)そうでもあったが、ひとと話をして居るのを好(よ)いことにして、息子手紙封筒を破った。そして今のような文面にいきなり打突(ぶつ)かった。
 だが、かの女としては、それが息子手紙でさえあれば、何でも好かった。小言(こごと)であろうと、ねだりであろうと、(だが、甘えの時は無かった。息子二十三歳で、十代の時自分を生んだ母の、まして小児性を心得て居て、甘えるどころではなくて、母の甘えに逢(あ)っては叱(しか)ったり指導したりする役だった。普通生活には少しだらしなかったが、本当は感情的で頭の鋭い正直男子だった。)そしてやっぱり一人息子にぞっこんな主人逸作への良き見舞品となる息子手紙は、いつも彼女自分が先(さ)きに破るのだった。
 ――あら竹越さんなの。
 逸作と玄関で話して居たのは、かの女の処(ところ)へ原稿の用で来た「文明社」の記者であった。
 ――はあ、こんなに早く上(あが)って済みませんでしたけれど……。その代(かわ)りめったにお目にかかれない御主人にお目にかかれまして……。
 竹越氏が正直に下げる頭が大げさでもわざとらしくはなかった。逸作は好感から微笑してかの女と竹越との問答(もんどう)の済むのを待って、ゆっくり玄関口に立って居た。
 竹越氏が帰って行った。二人は門を出て竹越氏の行った表通りとは反対の裏通りの方へ足を向けた。
 ――今の記者|何処(どこ)のだい。
 ――あら、知らないの、だって親し相(そう)に話して居なすったじゃないの。
 ――だって向(むこ)うから親しそうに話すからさ。
 ――雑誌大変よくってなんて仰(おっしゃ)って居たじゃないの。
 ――だって、記者への挨拶(あいさつ)ならそれよりほか無いだろう。
 ――何処(どこ)の雑誌か知らなくっても?
 ――そうさ、何処の雑誌だっておんなじだもの。
 ――あれだ、パパにゃかないませんよ。
 かの女は自分のことと較(くら)べて考えた。かの女はいつか或(あ)る劇場廊下で或る男に挨拶(あいさつ)された。誰だか判(わか)らなかったが、彼女反射的に頭を下げた。だが、知らない人に頭をさげたことが気になった。そしてやっぱり反射的にその男のあとを追った。広い劇場廊下の半町程(はんちょうほど)もその男のあとを追って
 ――あなたは、何誰(どなた)でしたか。
 と真面目(まじめ)で男の顔を見て訊(き)いた。男はかつて、かの女の処(ところ)へは逸作の画業に就(つ)いての用事で、或(あ)る雑誌社から使いに来た人だった。


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