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すかんぽ - 木下 杢太郎 ( きのした もくたろう )

  • ■詩人木下杢太郎『戯曲和泉屋染物店』明治45年初版函、処女出版
  • 188木下杢太郎『雪櫚集』昭和9初版 箱少し壊れ
  • ◆本◇現代日本文学全集17 S31発行 小山内薫/木下杢太郎/吉井勇q
  • 極稀、『木下杢太郎詩集』、初版函「帯」、昭和5年、第一書房
  • 木下杢太郎日記 全5冊揃セット 岩波書店
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 字引で見ると、の和名は須之(すし)であると云ふ。東京ではといふ。われわれの郷里ではととぐさと呼んだ。漢名は酸模または※蕪(そんぶ)である。日本植物圖鑑ではすいばと云ふのが普通の名稱として認められてゐる。今はさう云ふ事が億劫(おくくふ)であるから、此植物に關する本草學(ほんざうがく)的の詮索は御免を蒙(かうむ)る。

 震災前、即ち改築前の大學の庭には此草が毎年繁茂して、五月なかばには紅緑の粒を雜(まじ)へた可憐な花の穗が夕映のくさむらに目立つた。學生として僕ははやく此草の存在注意した。其花の莖とたんぽぽの冠毛(くわんまう)の白い硝子(ガラス)玉とを配して作つたスケッチ齋藤茂吉君の舊い歌集の※繪として用ゐられた。
 此植物は僕には舊いなじみである。まだ小學校に上つて間もない時分、年上の惡少にそそのかされて、春の末、荒野(あらの)の岡に行つた。
「紙に包んでな、鹽を持つて行くのだよ。」
 臺所の戸棚をあけて、鹽の壺から鹽を出して紙に包むと云ふ事が、この時ばかりはとても難澁な爲業(しわざ)であつた。そこに人の居ないのをうかがつて、またやがてそこに來る人のけはひのせぬのを確めて、臺所の押入の戸をあけるのである。
 匙(さじ)が壺の縁に當つて鹽の粉が敷居の上にこぼれる。指先につまんで紙に取つてもなかなか取りきれない。人の足音がし、急いで懷に入れた紙の袋から懷の中に鹽がこぼれたらしい。
「お前何をしてゐる。」
 母だつたので安心した。何も返事をしなかつた。萬が一の爲めに辯解の用意はしてあつた。水が飮みたくなつたからコップを出さうと思つて鹽の壺をたふしたと云ふのである。然し其戸棚はコップのしまつてある戸棚ではなかつた。下男と女中とが話をしながら臺所の庭にはひつて來た。
「おはつ、正吉が鹽をこぼした。片付けてやんなさい。」
 下男は、假にここに正吉と呼ぶことにした僕の顏を見て笑つた。僕の企(くはだて)を推量したのであらうと思つた。此下男は一昨年、僕が始めて東京に往つたとき、僕をおぶつて山越をした男である。峠の山ばたで「すいは」といふ灌木の葉を取つて僕に食はしたことがあつた。その「すいは」と云ふのはここに云ふすかんぽではない。はつきりとは覺えてゐないが、どうだんつつじのやうな小さい葉であつたと思ふ。
 臺所の煤(すす)でてらてらと黒光のする大きな戸の表には、赤と黒との字の刷られた柱暦が貼つてあつた。
 さうして外へ出て、兼ねて打合はせて置いた場處で惡少と會ひ、一緒に低い岡に登つて行つたのである。道端には小さな川が流れてゐるが、水が甚だ好く澄んでゐる。今はもうさう云ふものが無くなつた。だが二十前年頃までは、誰が植ゑたのか、ひとりでに生えたのか、葉の長い石菖(せきしやう)が繁茂してゐた。子供たちは無論、村の人も其名をば知らず、「めはじき」と子供は呼んでゐた。その花の穗を採つて屈(かが)めて、上下眼瞼(まぶた)に張り赤目をする遊戲があつた。「めはじき」の名は多分それから出たのであらう。別に本當のめはじきと云ふ草の有ることは後年に至つて之を知つた。
 このきれいな小川を見ると、「水番水を頂戴」と云ふ言葉必然に思ひ出されるのであつた。母の話に、母がまだ少(わか)く、この道の上の禪宗のお寺寺子屋に通つてゐた頃には、手習の水番と云ふものがあつて、この川まで水を汲みに下りたと云ふ。水番と云ふ制度は、われわれが小學校へ入る少し前までは、小學校にも殘つてゐた。
 菫(すみれ)と云ふ花をも此川の縁で覺えた。寺にお會式(ゑしき)の有つた春の夕、祖母と此坂路を降つて來ると、祖母が、「ああここにはこんなに菫が咲いてゐる。それが菫といふ花だよ」と云つて教へてくれた。花に嗜好を持つてゐたのではなかつたが、此紫色の小さい可憐草花をばかくて夙(はや)くから覺えたのである。
 後年、ひめりんだうとほととぎすとを見付けたのも此路の傍であつた。ほととぎすはその花瓣の斑(ふ)が普通のものとは異つてゐた。


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