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たなばたと盆祭りと - 折口 信夫 ( おりくち しのぶ )

  • ◎切手◎たなばた(七夕)◎1962◎10×20◎
  • 未使用たなばた(七夕)1962
  • 346額面★未使用記念切手★年中行事シリーズ たなばた
  • ★切手シート たなばた 1962-07-07 30枚★
  • 未使用ひなまつり(雛祭)/たなばた(七夕)/せつぶん(節分)3種3枚
  • 月の中 萬膳 兼八 古酒たなばた 1.8L 4本セット!
  • 月の中 2011年 ・ 古酒たなばた 1.8L 2本セット
  • 「たなばた」の記念切手です
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     一 この二つの接近した年中行事については、書かねばならぬ事の多すぎる感がある。又既に、先年柳田先生が「民族」の上で述べてゐられるから、私しきが今更此に対して、事新しく、附け加へるほどのことはあるまいと思ふが、顔が違へば、心も此に応じる。又変つた思案も出ようと言ふものである。
たなばたは、七月七日の夜と、一般に考へられてゐる様であるが、此は、七月六日の夜から、翌朝へかけての行事であるのが、本式であつた。此点、今井武志さんの報告にある、信州上水内の八月六日の夜を以てするのが、古形を存するものゝ様である。沖縄保存してゐるたなばた祭りも、やはり七月六日の夜からで、翌朝になるとすんでゐた。
水の女」の続稿には、既に計画出来てゐるのであるが、たなばたといふ言葉は、宛て字どほり棚機であつた。棚は、天(アメ)湯河板挙(ユカハタナ)・棚橋閼伽棚(簀子から、かけ出したもの)の棚で、物からかけ出した作りである。その一種なる地上・床上にかけ出した一種のたなばかりが栄えたので、此原義は、訣りにくゝなつて了うた。たなと言へば、上から吊りさげる所謂「間木」と称するもの、とばかり考へられるやうになつた。同行の学者の中にも、或はこの点、やはり隈ない理会のとゞかぬらしく、たなを吊り棚とばかり考へてほかくれぬ人もある。
壁に片方づけになつてゐない吊り棚に、年神棚(トシダナ)がある。此は、天井から吊りさげるのが、本式であつた。神又は神に近い生活をする者を、直(ナホ)人から隔離するのがたなの原義で、天井からなりと、床上になりと、自由に、たななるものは、作る事が出来た訣である。棚の一つの型をなす「盆棚(ボンダナ)」と称せられるものは、決して、普通の吊り棚でも、雁木(ガンギ)でもない。此は、地上に立てた柱の上に、座を設けたものが、移して座敷のうへにも、作られる様になつたのであつた。
だが、かうしたたなの中にも、自然なる分化があつて、地上から隔離する方法によつて、名を異にする様になつた。一つは、盆棚形式のもので、柱を主部とするものである。珠玉の神を御倉板挙(ミクラタナ)(記)といふなどは、倉の棚に、此神を祀つたものと見てゐるが、これは、くらだなに対する理会が、届かないからである。くらだなが即(すなはち)倉で、倉の神が玉であり、同時に、天照皇大神の魂のしんぼるであり、また米のしんぼるとして、倉棚に据ゑられたのである。
この倉は、地上に柱を立て、その脚の上に板を挙げて、それに、五穀及びその守護霊を据ゑて、仮り屋根をしておく、といふ程度のものであつたらしく、「神座(クラ)なる棚」の略語、くらの義である。時には、その屋根さへもないものがあつて、それを古くから、さずきと言うた。後に、この言葉分化した為に、而も、さずきその物の脚が高くなつた為に、別名やぐらと称する称へを生んだ。神霊を斎ひ込める場合には、屋根は要るが、それでなくて、一時的に神を迎へる為ならば、屋根のないのを原則としてゐた。後には、棚にも屋根を設ける様になつたが、古くは、さうではなかつたのである。
だから、やまたのをろちの条に、八つのさずきを作つて迎へた、といふ事も訣るのである。此が、特殊な意義に用ゐられた棚の場合には、一方崖により、水中などに立てた所謂、かけづくりのものであつた。偶然にも、さずきの転音に宛てた字が桟敷と、桟の字を用ゐてゐるのを見ても、さじき或は棚が、かけづくりを基とした事を示してゐる。後には、此かけづくりをはしどのなどゝさへ称する様になつた。だから、考へると、市廛(イチタナ)の元の作りが訣つて来る様に思ふ。恐らく異郷人と交易行為を行ふ場処は、かうした棚を用ゐたので、その更に起原をなすものは、棚に神を迎へ、神に布帛その他を献じた処から、出てゐるのである。
さうした意味から考へると、日本紀天孫降臨章にある、

天孫又問曰、其於秀起浪穂之上(ホダタルナミノホノウヘ)、起(タテ)八尋(ヤヒロ)殿而、手玉玲瓏織※(タダマモユラニハタオル)之|少女(ヲトメ)者、是誰|之女子耶(ガヲトメゾ)。答曰、大山祇神之女等。大(エヲ)号磐長姫少(オトヲ)号木華開耶姫。

とある八尋殿は、構への上からは殿であるが、様式からいへば、階上に造り出したかけづくりであつた、と見て異論はない筈である。此棚にゐて、はた織る少女が、即棚機つ女(メ)である。さすれば従来、機の一種に、たなばたといふものがあつた、と考へてゐたのは、単に空想になつて了ひさうだ。我々の古代には、かうした少女一人、或はそれを中心とした数人の少女が、夏秋|交叉(ユキアヒ)の時期を、邑落離れた棚の上に隔離せられて、新に、海或は海に通ずる川から、来り臨む若神の為に、機を織つてゐたのであつた。
かうして来ると、従来、

天(アメ)なるや、おとたなばたのうながせる、玉のみすまる、みすまるに、あな玉はや。三谷二渡(ミタニフタワタ)らす、あぢしきたかひこねの神ぞや(記)

といふ歌のたなばたも、織女星信仰の影の、まだ翳さない姿に、かへして見る事が出来るのである。おとといひ、玉のみすまるといひ、すべて、天孫降臨の章の説明になるではないか。而も、其織つた機を着る神のからだの長大な事をば形容して、三谷二渡(ミタニフタワタ)らすとさへ云うてゐるではないか。此は美しさを輝く方面から述べたのではなく、水から来る神なるが故に、蛇体と考へてゐたのである。
かうした土台があつた為に、夏秋の交叉(ユキアヒ)祭りは、存外早く、固有・外来種が、融合を遂げたのであつた。其将に外来種を主とする様に傾いた時期が奈良の盛期で、如何に固有の棚機つ女に、織女星信仰を飜訳しようとしてゐるかゞ目につく。此様に訪ねて来た神の帰る日が、その翌日である為に、棚機祭りにくつつけて、禊ぎを行ふ処すらある。畢竟、祓へ・棚機関係は、離すべからざるもので、暦日の上にあるいろんな算用の為方は、自然に起つた変化と見てよい。第一禊ぎ自身が、神の来る以前に行はれる――吉事を期待する所謂吉事祓へ――行事であつた筈である。それが我々の計り知れぬ古代に、既に、送り神に托して、穢れを持ち去つて貰はうといふ考へを生じて来た。今日残つてゐる棚機祭りに、漢種の乞巧奠は、単なる説明としてしか、面影止めてゐない。


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