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なかじきり - 森 鴎外 ( もり おうがい )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・山椒大夫  他四篇」(旺文社文庫)◇◆
  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・うたかたの記  他三篇」(岩波文庫)◇◆
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 8』森鴎外 正岡子規 夏目漱石1円
  • 森鴎外 高瀬舟・高瀬舟縁起・寒山捨得・寒山捨得縁起 CD 未開封
  • 森鴎外 舞姫 雁 井上靖 訳編 明治の古典8 初版
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 老いはようやく身に迫ってくる。  前途に希望の光が薄らぐとともに、みずから背後の影をかえりみるは人の常情である。人は老いてレトロスペクチイフの境界に入る。
 わたくしは医を学んで仕えた。しかしかつて医として社会問題に上ったことはない。「※※雕朽木(えんあきゅうぼくをえり)、老大免左遷(ろうだいさせんをまぬがる)」の句がある。
 わたくしの多少社会に認められたのは文士としての生涯である。抒情詩においては、和歌の形式がいまの思想を容(い)るるに足らざるをおもい、また詩が到底アルシャイスムを脱しがたく、国民文学として立つゆえんにあらざるをいったので、款(かん)を新詩社とあららぎ派とに通じて国風新興を夢みた。小説においては、済勝(せいしょう)の足ならしに短篇数十を作り試みたが、長篇山口にたどりついて挫折(ざせつ)した。戯曲においては、同じ足ならしの一幕物若干が成ったのみで、三幕以上の作はいたずらに見放(みさ)くる山たるにとどまった。哲学においては医者であったために自然科学統一するところなきに惑い、ハルトマン無意識哲学に仮りの足場を求めた。おそらくは幼いときに聞いた宋儒理気(そうじゅりき)の説が、かすかなレミニスサンスとして心の底に残っていて、針路をショオペンハウエル流派に引きつけたのであろうか。しかし哲学者として立言するには至らなかった。歴史においては、初め手を下すことを予期せぬ境であったのに、経歴と遭遇(そうぐう)とが人のために伝記を作らしむるに至った。そしてその体裁(ていさい)をして荒涼なるジェネアロジックの方向を取らしめたのは、あるいはかのゾラにルゴン・マカアルの血統を追尋させた自然科学の余勢でもあろうか。
 しかるにわたくしには初めより自己が文士である、芸術家であるという覚悟はなかった。また哲学者をもってみずからおったこともなく、歴史家をもってみずから任じたこともない。ただ、暫留(ざんりゅう)の地がたまたま田園なりしゆえに耕し、たまたま水涯なりしゆえに釣ったごときものである。つづめていえばわたくしは終始ヂレッタンチスムをもって人に知られた。
 歳計をなすものに中為切(なかじきり)ということがある。わたくしはこの数行を書して一生の中為切とする。しかし中為切があるいはすなわち総勘定であるかも知れない。少くも官歴より観れば、総勘定もまたかくのごときにすぎない。
 これが過去である。そして現在はなにをしているか。
 わたくしはなにもしていない。一閑人として生存している。しかし人間はウェジェタチイフにのみ生くること能わざるものである。人間は生きている限りは思量する。閑人が往々|棋(ご)を囲みかるたをもてあそぶゆえんである。
 あますところの問題はわたくしが思量の小児にいかなる玩具(おもちゃ)を授けているかというにある。ここにその玩具を検してみようか。わたくしは書を読んでいる。それが支那(しな)の古書であるのは、いま西洋の書が獲(え)がたくして、そのたまたま獲(う)べきものがみな戦争をいうがゆえである。これはレセプチイフの一面である。他のプロドュクチイフの一面においては、かの文士としての生涯の惰力が、わずかに抒情詩歴史との部分に遺残してウィタ、ミニマを営んでいる。
 わたくしは詩を作り歌を詠(よ)む。彼は知人の采録(さいろく)するところとなって時々(じじ)世間に出るが、これは友人某に示すにすぎない。前にアルシャイスムとして排した詩、いまの思想を容るるに足らずとして排した歌を、何故になお作り試みるか。他無し、未だ依るべき新たなる形式を得ざるゆえである。これが抒情詩である。
 わたくしは叙実の文を作る新聞紙のために古人の伝記を草するのも人の請うがままに碑文作るのも、ここに属する。何故に現在の思量が伝記をしてジェネアロジックの方向を取らしめているかは、未だまったくみずから明かにせざるところで、上(かみ)にいった自然科学影響のごときは、少くも動機の全部ではなさそうである。趙翼(ちょうよく)は魏収(ぎしゅう)をそしって「代人作家譜(ひとにかわってかふをつくる)」といった。しかしわたくしの伝記作るのと、支那人が史を修めたのとは、その動機に同じからざるものがあるかとおもう。碑文漢文体を用いるのも、また形式未成のゆえである。これが歴史である。現在はかくのごとくである。
 近ごろわたくしを訪うて文学芸術問題ないし社会問題に関する意見を徴し、また小説を求むるものが多い。


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