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まじょりか皿 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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  • 柿の種★寺田寅彦★岩波文庫
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  • 寺田寅彦随筆集/岩波文庫/全5冊組/函■昭和48年
  • 【望星2008年11月号】寺田寅彦に会いたい!
  • 【ラク】FZ0501026●古書/岩波書店/寺田寅彦全集 文学編 第15巻
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  • 【ちくま日本文学034】寺田寅彦 1878-1935
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 十二月三十一日、今年を限りと木枯(こがら)しの強く吹いた晩、本郷四丁目から電車下りて北に向うた忙がしい人々の中にただ一人忙がしくない竹村運平君が交じっていた。小さい新聞紙の包を大事そうにかかえて電車下りると立止って何かまごまごしていたが、薄汚い襟巻(えりまき)で丁寧に頸から顋(あご)を包んでしまうと歩き出した。ひょろ長い支那人のような後姿を辻に立った巡査肩章を聳(そびや)かして寒そうに見送った。
 竹村君は明けると三十一になる。四年前に文学士になってから、しばらく神田の某私立学校英語を教えていた。受持の時間に竹村君が教場へはいるときに首席にいる生徒が「気を付け」「礼」と号令をすると生徒一同起立して恭(うやうや)しくお辞儀をする。そんな事からが妙に厭であった。そして自分にも碌(ろく)に分らないような事をいい加減に教えていると、次第々々に自分が墮落して行くような気がすると云っていたが、一年ばかりでとうとう止(よ)してしまった。そうして月給がなくなって困る/\とこぼしながらぶらぶらしていた。地方中学にからりに好い口があって世話しようとした先輩があったが、田舎は厭だからと素気(すげ)なく断ってしまった。何故田舎が厭だと人が聞くと、田舎は厭じゃないが田舎の「先生」になってしまうのが厭だからといった。それで相変らず金を取らなくちゃ困るといってこぼしていた。その後一時新聞社へもはいっていた。半年くらい通って真面目に働いていたが、自分骨折って書いたものが一度も紙上へ載らないので此方も出てしまった。この頃ではあちこちの翻訳物を引受けたり、少年雑誌英文欄などを手伝って、どうかこうかはやっている。時々小説のような物を書いて雑誌へ出す事もあるが、兎角(とかく)の評判もないようである。自分小説何かに出ると、方々の雑誌屋の店先で小説月評といったような欄をあさって見るが、いつでも失望するにきまっていた。
 根津(ねづ)辺の汚い下宿屋極めて不規則生活を送っている。一日何もしないで煙草ばかり吹かして寝たり起きたり四畳半に転がっている事もあれば、朝から出かけて夜の二時頃まで帰らぬ事がある。そうかと思うと二、三日風呂にも行かず夜更(よふけ)まで机へすがったきりでコツコツ何か書いたり読んだりする。そんな時はいかにも苦しそうな溜息ばかりして何遍となく便所へはいって大きな欠伸(あくび)をする癖がある。朝は大概寝坊をして、これがために昼飯を抜きにする事があるが、その代りに夜の十時頃から近所の牛肉屋へ上がって腹一杯に食う事も珍しくない。一体に食う方にかけては贅沢で、金のある時には洋食だ鰻(うなぎ)だとむやみに多量に取寄せて独りで食ってしまうが、身なりはいつでも見窶(みすぼ)らしい風をして、床屋へ行くのは極めて稀である。それでも机の抽斗(ひきだし)には小さな鏡が入れてあって、時によると一時間もランプの下で鏡を睨(にら)めている事がある。風采はあまり上がらぬ方である。酒を飲まぬ事と一度も外で泊った事のないのを下宿主婦が感心していた。友達というものはほとんどない。ただ一人親しく往来していた同窓の男が地方就職して行ってからは、別に新しい友も出来ぬ。ただこの頃折々|牛込(うしごめ)の方へ出ると神楽坂(かぐらざか)上の紙屋の店へ立寄って話し込んでいる事がある。この紙屋というのは竹村君と同郷のもので、主人とは昔中学校で同級に居た事がある。いつか偶然に出くわしてからは通りがかりに声を掛けていたが、この頃では寄るとゆるゆる店先へ腰を下ろして無駄話をして行く。主人の妹で十九になる娘が居て店の奥の方でちらちらする時がある。色の白い女学生風な立ち姿の好い女である。晴々とした顔で奥から覗いて美しい眼を見せる時もあるが、また妙に冷たい顔をして竹村君などには目もかけぬ時がある。娘の姿のちらちらする日には竹村君は面白そうに一時間の余も話し込んでいるが、娘の顔を見せぬ日は自然に口が重くてそうかといって急に帰るでもなく、朝日を引切りなしに吹かして真鍮(しんちゅう)のしかみ火鉢の片隅へ吸殻の山をこしらえる。一週間一遍くらいはきっと廻って来るが、いつ来ても同じような話ばかりしている。店へは郷里新聞が来ているので話はよく郷里の噂になる。それから昔の同級生の噂になる。福見や河野が洋行する話や、桜井内務省参事官で幅を利かせているような話が出ると竹村君は気の乗らぬ返辞をしてふっと話題を転ずるのであった。
 今日も夕刻から神楽坂へ廻って、紙屋の店で暮の街の往来を眺めていた。店の出入りは忙しそうであったが、主人は相変らず落着いて相手になっていた。兵隊が幾組も通る。「兵隊呑気(のんき)でいいなあ」と竹村君が云うと「あなた方も気楽でしょう」といってにやにやした。竹村君は「そうさなあ、まあ兵隊のようなものだろう」といって笑った。彼は中学校を出るとすぐに生真面目な紙屋の旦那になっている主人と、自分のような人間との境遇の著しい違いを思い較べていた。そこへ外から此処(ここ)の娘が珍しく髪を島田に上げて薄化粧をして車で帰って来た。見かえるように美しい。いつになく少しはにかんだような笑顔を見せて軽く会釈(えしゃく)しながらいそいそ奥へはいった。竹村君は外套の襟の中で首をすくめて、手持無沙汰な顔をして娘の脱ぎ捨てた下駄派手な鼻緒を見つめていたが、店の時計が鳴り出すと急に店を出た。
 神田本屋へ廻って原稿料三十円を受取った。


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