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ものわかりよさ - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
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 昔から女にもとめられている日常の美徳の一つに、ものわかりのよさ、ということがある。  とかく女が狭い生活にとじこめられていたために、人生視野がせばまって、我執だの偏執だのが女につきものの気質のように見られた一方の、その対蹠的な要求とでもいうべきものだったのかもしれない。やきもちをやかないこと、そして物わかりのよいこと。その二つが身に備わっているとなれば、賢い女のうちに入れることはまぎれもなかった。
 女にものわかりのよさをもとめられたのは、昔だけのことだろうか。男の世界によい意味でも目の上の瘤にならないように、わるい意味でも邪魔っけにならないように、女のものわかりよさが求められたのは、昔ばかりのことだろうか。
 ぐるりと生活を見わたすと、今日でもやはり、女に向かってこの同じものわかりよさが何かにつけもち出されていると思う。君はわからない女だ、という言葉内容は、君はわからない男だというと同じ内容ではいわれていないのが実際だと思う。わからない男だ、というとき、その言葉には相手が人生的なことかあるいは職業的なことか、何はともあれ原理的な点で正当な理解をもっていないという意味がこめられている。わからない女だね、という表現は、いつの場合も決してそれほど原理的なことの判断についていわれるのではない。むしろ日常一寸したこと、男の側からいえば、そういうものだよ、というようなとき、それがすらりとうなずけない女の心を、わからない女と表現することの方が多い。
 しずかに考えてみると、ものわかりのいいということと、物の理解が正しくて深いということは全く別である。今日の若い世代のものは、誰しも人間としてより正しく深く自分の一生についても考えわかって生きてゆきたい慾望をもっているし、同時に、そのように考える精神のよりどころについてある自信なさにおかれてもいる。そのために、本当に考えて責任をもって生きたいという心持が、ある場合は、女はものわかりよくなくてはならない、というどこからかの声に動揺させられたりしがちだと思われる。
 大体に、ものわかりのよさの本質は、発見精神ではなくて適応精神であり、創造への感情ではなくて、従属への感情である。ものわかりよさは、高い人間の明知とはちがった性質のものである。一方に深い質問を抱いてそれを追究して新しい何か価値人生にもたらして来るような、そういう建設の意力を、ものわかりよさはもっていない。ものわかりよさは、いつでも現在その人の生活する世間で通用している型どおりのものの上手なとりあわせを心得ているということである。善悪判断のあり来りの型だの、表通りはそうでも、裏の小路はこうついていて、そこの歩きかたはこうこうという要領や、人間はあまりの真実はかえって嫌う臆病さをもっていること、嘘も方便ということ、労少くして功多きを賢しとするしきたり、それらをみんなわきまえていて、下品に流れず、さりとて実際からそれず、生活の棹をさしてゆく術を、ものわかりのよさ、というのである。
 女であれば、世間並に娘時代の修業をつんだら、親の社会的な位置にもふさわしい結婚をおとなしくうけいれて、良人をよく満足させる努力の余力でいくらかは自分も楽しませ、良人の立身出世をよろこび、身分相当の家庭生活をやってゆく、そういうものがものわかりのいい女性であるとされている。良人のある程度までの浮気も、家庭生活が守られてゆけば、とものわかりよく、この程度のことは今の世の中では常識だからと地位から来るあれこれの利得潔癖すぎもしない。そういうのも、やはりものわかりのわるい女には入らないのである。
 若い女性成長にとっては、ものわかりよさが遙に複雑な陰翳をなげると思う。それこそは青春のかえがたい贈物である知識欲や成長への欲望、よりよい生活へ憧れるみずみずしい心の動きは、現実にぶつかって、一つ一つその強さを試みられているわけだが、その現実は、青春の思いや人間成長をねがう善意に対して、何と荒っぽい容赦ない体当りをしばしばくらわせることだろう。
 もし私たちの悲しみや苦しみ、悲劇人間としての悪意からだけ生じるものならば、古今の傑れた文学何か意味での人間悲劇を扱っている根拠が失れるであろう。悲劇というものに人の魂をうつ美があり得ないであろう。人間の最も純真な善意、まじりけのない善良な希望、そのものが現実歴史の波濤の間でそれなりに表現されず、ましてや成就されないことがどっさりある。善意現代社会矛盾のうちでいつも冒険におかれているのである。
 経験が多くのものをいう時代もあった。社会状態が一定して、それが相当の永い期間安定していた時代、その社会のなかでは経験未来への判断に多くのものを意味した。けれども、私たちが生きているこの現代は、世界じゅうが一つの巨大なうごめきをしていて、硝煙の間で歴史転換しつつある。経験というものはそういう時代になると、静的に解釈されれば何の力もないことになる。何故なら、去年あることがそうであったという事実は、今年同じあることがそうであるということにはなっていないのだから。去年の経験さえ役に立たないものになって来ているとさえいえる。まして、今日生きる若い娘にとって、母の若かったとき、お祖母さんの若かったとき、それはかくかくであった、ということが、はたしてどれだけ今日を生き明日へ生きようとする生活の支えとなり得るだろう。
 それらが支えとなるだけの力をもっていないということは感じられて、何か自分たちがこれでよいと思えるものを今日のうちから掴んで来たい、それを力に未来生活への見とおしも立てて計画も立てたい、そう若い女性たちは考えていると思う。
 だが、そういう若く愛らしい人生への熱意に対して、女への現実は何を要求しているだろう。若いひとたちは、ある年齢になれば大抵自分で働いて経済上にも自立したい心持をもっている。生活にさし迫っていなくても職業はもちたいと思っている人が大部分であろう。社会需要もこのご頃は女の力を非常に必要としているから、女の働き場所は、ともかく割合にある。だけれども、その働きは、女がより豊富人間として成長したい心持から求める社会的な勤労の姿では現れず、経済的の点からも自立は不可能なくらいしか報われない。日本では昔からのしきたりがこういうところへ作用していて、若い女は親の娘、良人の妻と考える方便が、近代経営術のうちに巧にないこまれているから、働く方では一人前、しかし報酬内職標準という割合がめやすとなっている。働かせはするが、仕事本流で女は除外されているから、向上の前途も見とおし少い。
 それに加えて、今日でもまだ男のひとたちが、相当の生活力をもつ女には男にその二つが是非ほしいように、やっぱり家庭仕事とがいるのだという自然なねがいを、自然なこととして納得できずにいるというのは女にとって何と困ったことだろう。
 男のひとたちは、世帯じみた女を好まない心をもっている。モウパッサンの「女の一生」を女の悲惨として理解する心は持っている。オルゼシュコというポーランド婦人作家の書いた「寡婦マルタ」をよめば、良人に全生活を庇護されてゆくように、その幸福を飾る花であることを目的としたまとまりないいわゆる淑女教養きり身につけていない善良で気品ある女が、いったん逆境に陥って燃える母の心から終に馬車のわだちの下で命をおとす悲劇を、自分の妻には絶対にあらせまいとねがうであろう。ちゃんとした職業教育は女にも必要であると思う。
 その気持はそれとして偽りのものではないが、しかしながら、今日わが生活現実として、仕事をもっている妻を想うと、そこに何か家庭らしさに混りものがはさまったように、何か本当の家庭になりきらないものがあるように思う気分が湧くことも、多くの男のひとたちは否定しまい。
 友達には仕事のある女のひとがよいけれど、妻には困るという感情はかなりいまだに普遍性をもっている。


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