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ゆず湯 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・山椒大夫  他四篇」(旺文社文庫)◇◆
  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・うたかたの記  他三篇」(岩波文庫)◇◆
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 8』森鴎外 正岡子規 夏目漱石1円
  • 森鴎外 高瀬舟・高瀬舟縁起・寒山捨得・寒山捨得縁起 CD 未開封
  • 森鴎外 舞姫 雁 井上靖 訳編 明治の古典8 初版
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(ゆ)      一  本日というビラを見ながら、わたしは急に春に近づいたような気分になって、いつもの湯屋格子をくぐると、出あいがしらに建具屋のおじいさんが濡れ手拭で額をふきながら出て来た。 「旦那、徳がとうとう死にましたよ。」
徳さん……。左官屋の徳さんが。」
「ええ、けさ死んだそうで、今あの書生さんから聞きましたから、これからすぐに行ってやろうと思っているんです。なにしろ、別に親類というようなものも無いんですから、みんなが寄りあつまって何とか始末してやらなけりゃあなりますまいよ。運のわるい男でしてね。」
 こんなことを言いながら、気の短いおじいさん下駄を突っかけて、そそくさと出て行ってしまった。午後二時ごろの銭湯はひろびろと明かるかった。狭い庭には縁日で買って来たらしい大きい鉢の梅が、硝子戸越しに白く見えた。
 着物をぬいで風呂場へゆくと、流しの板は白く乾いていて、あかるい風呂の隅には一人の若い男の頭がうしろ向きに浮いているだけであった。すき透るような新しい湯は風呂いっぱいにみなぎって、輪切りの柚(ゆず)があたたかい波にゆらゆら流れていた。窓硝子洩れる真昼の冬の日に照らされて、かげろうのように立ちまよう湯気のなかに、黄いろい木の実の強い匂いが籠っているのもこころよかった。わたしは好い心持になって先ずからだを湿(しめ)していると、隅の方に浮いていた黒い頭がやがてくるりと振り向いた。
こんにちは。」
押し詰まってお天気で結構です。」と、わたしも挨拶した。
 彼は近所の山口という医師薬局生であった。わたしと別に懇意でもないが、湯屋なじみで普通挨拶だけはするのであった。建具屋のおじいさん書生さんといったのはこの男で、左官屋の徳さんはおそらく山口医師診察受けていたのであろうと私は推量した。
左官屋の徳さんが死んだそうですね。」と、わたしもやがて風呂にはいって、少し熱い湯に顔をしかめながら訊いた。
「ええ、けさ七時ごろに……。」
「あなたのところの先生に療治してもらっていたんですか。」
「そうです。慢性の腎臓炎でした。わたしのところへ診察受けに来たのは先月からでしたが、なんでもよっぽど前から悪かったらしいんですね。先生も最初からむずかしいと言っていたんですが、おととい頃から急に悪くなりました。」
「そうですか。気の毒でしたね。」
「なにしろ、気の毒でしたよ。」
 鸚鵡(おうむ)返しにこんな挨拶をしながら、薬局生はうずたかい柚をかきわけて流し場へ出た。それから水船のそばへたくさんの小桶をならべて、真っ赤にゆでられた胸や手足を石鹸白い泡に埋めていた。それを見るともなしに眺めながら、わたしはまだ風呂のなかに浸っていた。表には師走(しわす)の町らしい人の足音が忙がしそうにきこえた。冬至(とうじ)の獅子舞囃子の音も遠く響いた。ふと眼をあげて硝子窓の外をうかがうと、細い露地を隔てた隣りの土蔵白壁のうえに冬の空は青々と高く晴れて、下界いそがしい世の中を知らないように鳶が一羽ゆるく舞っているのが見えた。こういう場合、わたしはいつものんびりした気持になって、なんだかぼんやりと薄ら眠くなるのが習いであったが、きょうはなぜか落ちついた気分になれなかった。徳さんの死ということがわたしの頭をいろいろに動かしているのであった。
「それにしてもお玉さんはどうしているだろう。」
 わたしは徳さんの死から惹いて、その妹のお玉さんの悲しい身の上をも考えさせられた。
 お玉さんは親代々の江戸っ子で、お父(とっ)さんは立派左官棟梁株であったと聞いている。昔はどこに住んでいたか知らないが、わたしが麹町の元園町に引っ越して来た時には、お玉さんは町内のあまり広くもない露地の角に住んでいた。わたしの父はその露地の奥のあき地に平家新築して移った。お玉さんの家は二階家で、東の往来にむかった格子作りであった。あらい格子の中は広い土間になっていて、そこには漆喰(しっくい)の俵や、土舟などが横たわっていた。住居の窓は露地のなかの南にむかっていて、住居につづく台所のまえは南から西へ折りまわした板塀に囲まれていた。塀のうちには小さい物置と四、五坪の狭い庭があって、庭には柿や桃や八つ手のたぐいが押しかぶさるように繁り合っていた。いずれも庭不相当の大木であった。二階はどうなっているか知らないが、わたしの記憶しているところでは、一度も東向きの窓を明けたことはなかった。


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