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カメラに関する覚え書 - 伊丹 万作 ( いたみ まんさく )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・山椒大夫  他四篇」(旺文社文庫)◇◆
  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・うたかたの記  他三篇」(岩波文庫)◇◆
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 8』森鴎外 正岡子規 夏目漱石1円
  • 森鴎外 高瀬舟・高瀬舟縁起・寒山捨得・寒山捨得縁起 CD 未開封
  • 森鴎外 舞姫 雁 井上靖 訳編 明治の古典8 初版
 ある人が私の作品のあるカメラ・ポジション批評して、必然性がないから正しくないといつた。  私の考えではカメラ・ポジション必然性がないということはあたりまえのことで、もしも必然性などというものを認めなければならぬとしたら非常に不都合なことになるのである。
 なぜならば一つのカットの撮り方は無数にあるわけで、その多くの可能性の中から一つを選ぶことが芸術家に与えられた自由なのである。したがつて必然性を認めるということは芸術家自由を認めないというのと同じことで、それならば映画製作芸術家などは要らないことになつてしまう。
 カメラ・ポジション選定の過程においてもしも必然性を認めるとしたら、それは芸術家がその主観において、「よし」と判断する悟性以外にはあり得ない。そしてその意味においてならば私は自分作品のカメラ・ポジションには残らず必然性があると主張することもできるし(実際においては必ずしもそうは行かないが)、何人も外部からそれを否定する材料を持たないはずである。
 これを要するに、カメラ・ポジション決定する客観必然性などというものは存在しないし、主観必然性というものはあつても、それは第三者によつては存在規定されない性質のものであるとすれば、結局カメラ・ポジション必然性というものは決して批評の対象とはなり得ないものだということがわかる。

 カメラ・ポジション選択はだれの仕事だろう。私は多くの場合、それを監督仕事にすることが一等便宜だと考えるものである。
 もしもカメラマンがあらゆるカットの目的存在を正しく理解し、常に必要にしてかつ十分なら画面の切り方と、内容規定する条件の範囲において最も美しい画面構成をやつてくれることが絶対に確実であるならば、私は好んで椅子から立ち上りはしない。
 どんなに優秀なカメラマンでも人間である以上、絶対に誤解がないとは保し難い。これは決して不思議なことではない。一般に一つのカットの含むあらゆる意味監督以上に理解している人はない。
 長年の私の経験が、カメラ・ポジション誤謬を最少限度にとどめる方法は、結局監督自身がルーペをのぞくこと以外にはないということを私に教えた。
 ただし、右は主として内容に即したカメラ・ポジションについてであつて、必ずしも美的要求からくる画面の切り方にまでは言及していない。
 内容目的に沿うにはすでに十分であるが、同時に美的要求を満すためには、さらにポジション修正を要する場合がある。
 あるいはカットの性質上、内容ポジションがあまり密接な関係を持たない場合がある。
 たとえば描写的なカットなどにおいては往々にして美的要求だけがポジション決定する場合がある。このような部分、あるいは場合に関しては監督は一応手を引くべきであろう。
 なぜならば、それらは純粋にカメラ的な仕事だから。

 カメラ・ポジション選択監督に任せると、カメラマン仕事がなくなりはしないかと心配する人がある。
 ところが実際において、決してそんな心配は要らないのである。試みにいま私が思いつくままに並べてみてもカメラマン仕事は、まだこのほかに、配光の指定(これだけでも大変仕事だ。)、ロケーション場合自然光線に関する場所および時間の考慮、絞り露出判断、レンズおよびフィルター選択、ピントに関する考慮と測定、それに付随するあらゆる細心の注意画面の調子に関するくふう、セット・小道具・衣裳・俳優肉体などあらゆる色調ならびに線の調和などに対する関心、およびそれらの質・量あるいは運動による画面効果計算、カメラの運動に関する一切の操作、およびそれらを円滑ならしめるためのあらゆる注意撮影機械に関する保存上および能率上の諸注意現像場との諸交渉・打合せ、および特殊技術に関する協同作業、トーキー部との機械的連繋、および右の諸項を通じて監督との頭脳的協力、とちよつと数えてみてもこんなにある。しかも右のうち、どの一項をとつて考えてみても作品効果に重大な関係を持たないものはないのだからなかなか大変仕事だと思わなければならない。
 しかも右にあげたのは撮影現場における仕事だけであるが、カメラマン仕事撮影現場を離れると同時に解消するという性質のものではない。
 平素から芸術理解力においては常に普通社会人の水準から一歩踏み出しているだけの修養が必要なことはもちろん、専門知識においてはまた常に世界最前線から一歩も遅れない用意が肝腎である。しかも絶えず撮影に関するあらゆる機械改善を、念頭から離さないだけの熱意を持つことが望ましい。
 これだけの仕事の幅と深さを謙虚な気持で正視している人ならば、おそらく無反省自分仕事の分野の拡大を喜ぶということはあり得ないはずである。
 万一、カメラのかたわらから監督を駆逐していたずらに快哉を叫ぶようなカメラマンがいるとしたら、その人はおそらくまだ一度自分仕事についてまじめに考えた経験を持たない人であろう。(昭和十二年五月二十四日



底本:「新装版 伊丹万作全集2」筑摩書房
   1961(昭和36)年8月20日初版発行
   1982(昭和57)年6月25日3版発行
入力鈴木厚司
校正:染川隆俊
2007年2月15日作成
青空文庫作成ファイル
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