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カメラをさげて - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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  • 寺田寅彦随筆集/岩波文庫/全5冊組/函■昭和48年
  • 【望星2008年11月号】寺田寅彦に会いたい!
  • 【ラク】FZ0501026●古書/岩波書店/寺田寅彦全集 文学編 第15巻
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  • 【ちくま日本文学034】寺田寅彦 1878-1935
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 このごろ時々写真機をさげて新東京風景断片の採集に出かける。技術の未熟なために失敗ばかり多くて獲物ははなはだ少ない。しかし写真をとろうという気で町を歩いていると、今までは少しも気のつかずにいたいろいろの現象事実が急に目に立って見えて来る。つまり写真機を持って歩くのは、生来持ち合わせている二つの目のほかに、もう一つ別な新しい目を持って歩くということになるのである。
 顕微鏡も、やはりわれわれの目のほかのもう一つの目である。この目で手近な平凡なものをのぞいて見ると自分のいる周囲の世界が急に全然別物のように見えて来る。これは物の尺度の相違から来る観照の相違である。写真機の目の特異性はこれとはまただいぶちがった方面にある。この目はまず極端な色盲であって現実世界からあらゆる色彩を奪ってしまう。そうして空間平面押しひしいでしまう。そうして、その上にその平面の中のある特別な長方形の部分だけを切り抜いて、残る全部の大千世界を惜しげもなくむざむざと捨ててしまうのである。実に乱暴にぜいたくな目である。それだけに、なろう事ならその限られた長方形の中に、切り捨て世界をもいっしょに押し縮めたようなものを収めたくなるのである。それだから、カメラをさげて秋晴れ郊外を歩いている人たちはおそらく幾平方センチメートルの紙片の中に全|武蔵野(むさしの)の秋を圧縮して持って来るつもりで歩いているのであろう。少なくも自分場合には何枚かの六×九センチメートルコダックフィルムの中に一九三一年における日本文化の縮図を収めるつもりで歩くのであるが、なかなかそううまくは行かない。しかしそういうつもりで、この特別な目をぶらさげて歩いているだけでもかなり多くの発見をすることがある。
 手近な些末(さまつ)な例をあげると、銀座(ぎんざ)の裏河岸(うらがし)のある町の片側に昔ふうの荷車が十台ほどもずらりと並べておいてある、その反対側にはオートバイがこれも五、六台ほど並んで置かれてあった。その平凡光景がカメラの目からは非常におもしろく見えるのであった。昭和通(しょうわどお)りに二つ並んで建ちかかっている大ビルディング鉄骨構造をねらったピントの中へ板橋(いたばし)あたりから来たかと思う駄馬(だば)が顔を出したり、小さな教会堂門前へ隣のカフェの開業祝いの花輪飾りが押し立ててあったり、また日本一モダーンなショーウィンドウの前にめざしの頭が二つ三つころがっていたりするのもやはりカメラの目を通して得られた小さな発見であった。
 こういう目をもって見て歩いた新東京の市街ほど不思議な市街はおそらく世界じゅうどこを捜してもないであろう。極端な古いものから極端な新しいものまでが、平気できわめてあたりまえな顔をして隣り合い並び立って、仲よくにぎやかに一九三一年らしい東京ジャズを奏しているのである。こういうものに長い間慣らされて来たわれわれはもはやそれらから不調和とか矛盾とかを感ずる代わりに、かえってその間に新しい一種の興趣らしいものを感じさせられるのであろう。現代人相生、調和の美しさはもはや眠けを誘うだけであって、相剋(そうこく)争闘の爆音のほうが古典的|和弦(かげん)などよりもはるかに快く聞かれるのであろう。そういう爆音を街頭に放散しているものの随一はカフェやバーの正面の装飾美術であろう。ちょうどいろいろな商品レッテルを郭大して家の正面へはり付けたという感じである。考えようではなかなか美しいと思われるのもあるがしかしいずれにしても実に瞬間的(エフェメラル)な存在表象するようなものばかりである。このような珍しい現象記録をそれが消えない今のうちに収集しておくのは、切手やマッチのレッテル収集よりは有意義であろうと思っていたが、近刊板垣鷹穂(いたがきたかお)氏著「芸術現代の諸相」の中に、このような収集一部発表されているのを見てなるほどと思うのであった。これらの特殊なインスチチューションの名前がまた実に興味あるものであって、これも記録しておく価値がある。近ごろ見かけた珍しいものの一つとしてはサンスクリット孔雀(くじゃく)という意味言葉入り口の頭上の色ガラス窓にデワナガリー文字で現わしたのさえあった。ダミアンティシャクンタラのような妖姫(ようき)がサーヴするかと思わせるのもおもしろい
 こういうものの並んでいる間に散点してまた実に昔のままの日本代表する塩煎餅屋(しおせんべいや)や袋物屋や芸者屋の立派生存しているのもやはり印画記録価値が充分にある。
 六国史(りっこくし)などを読んで、奈良朝(ならちょう)の昔にシナ文化洪水(こうずい)が当時の都人士の生活を浸したころの状態をいろいろに想像してみると、おそらく今の東京とかなり共通な現象を呈していたのではないかと思われることがしばしばある。惜しいことにそのころの写真が残っていない。しかしそのつもりで後代の風俗絵巻物でも細かに研究してみたらやはり各時代に同様な現象発見するのではないかとも想像される。
 鳥羽僧正(とばそうじょう)の鳥獣戯画なども当時のスポーツやいろいろの享楽生活のカリカチュアと思って見ればこの僧正はやはり一種のカメラをさげて歩いた一人であったかもしれない。この僧正アメリカ野球選手との試合記録させなかったのは残念である。
 新東京街路河岸(かし)に立って、ありとあらゆる異種の要素の細かい切片の入り乱れた光景を見るときに、私は自然日本帝国地質図思い出す。いろいろの時代のいろいろの火成岩水成岩が実に細かいきれぎれになってつづれの錦(にしき)を織り出している。この事実は一方では地震火山の多いこととも関係するが、一方ではまた日本風景多種多様なことや、ひいてはまた国々の郷土色彩変化の多いこととも連関していると思われる。われわれの祖先から住み古したこの国土地質自身からがすでにあらゆる世界じゅうのものの縮図的にできているのではないか。その上に、人種の上から考えても、灰色の昔から、日のいずる方(かた)を求めて世界のあらゆる方面から自然にこの極東の島環国に集中した種族の数は決して二通り三通りでなかったであろうということは、われわれの周囲の人々の顔の中にギリシア型、ローマ型、ユダヤ型をはじめインディアン型、マレイ型、エスキモー型からニグロ型までことごとく標本的に具備しているという簡単事実からでも想像される。あらゆる民族の中の勇敢な進取的連中自然寄り集まってできた国だとすれば、日本世界じゅうでいちばんえらい国でなければならないはずである。
 それは疑問としてもその上にまだ山川風土でありとあらゆる多様のタイプを具備している。実際|千島(ちしま)カラフトの果てから台湾(たいわん)の果てまで数えれば、気候でもまず文化民の生活に適する限り一通りはそろっている。こういう珍しい千代紙式に多様な模様を染め付けられた国の首都としての東京市街であってみれば、おもちゃ箱ごみ箱を引っくり返したような乱雑さ、ないしはつづれの錦の美しさが至るところに見いだされてもそれは別に不思議なことでもなければ、慨嘆するにも当たらないことであるかもしれない。そしておそらく古い昔から実質的には今と同じ状態がなんべんとなく少しずつちがった形式で繰り返されながら、あらゆる異種の要素がおのずから消化され同化され、無秩序の混乱から統整の固有文化が発育して来ると、たとえだれがどんなに骨を折ってみても、日本全体を赤色にしろ白色にしろただの一色に塗りつぶそうという努力は結局無効に終わるであろうと思われる。それにはまず日本地質から気候から改造してかからなければおそらくできない相談であろう。日ごろからいだいていたこんな考えが昨今カメラをさげて復興帝都の裏河岸(うらがし)を歩いている間にさらにいくらかでも保証されるような気がするのである。
 西洋旅行している間に出会う黄色い顔をした人間日本人であるかシナ人であるかを判断する一つの簡単目標写真機をさげているかいないかであるといった人がある。当否は別としておもしろい話である。


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