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カルナツクの夏の夕 - 岸田 国士 ( きしだ くにお )

  • ◆本◇現代日本文学全集33 S30発行 豊島與志雄/岸田國士 q
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岸田國士  画家のO君から手紙が来て、静かな処だ、やつて来て見ろといふことでした。  細君からも何か書き添へてあつたやうに思ひます。
 巴里から十何時間、ブルタアニュの西海岸で、その昔ケリオンといふ不思議小人が住んでゐた処です。

 宿はさゝやかなホテル・パンシヨン、国道を距てゝ美しい牧場などがありました。
 海へも遠くはない。
 聖堂の古風な鐘楼広場物語めいた泉水、それに、空は低く、森は黒ずんでゐました。
 小川のへりに、牛が睡つてゐる。
 女はレエスで髷をかくしてゐる。
 カンナが赤く黄色く、食堂のテラスに咲いてゐました。

 宿には、もう十人近くの客がありました。家族連れが多い。
 夕食が済むと、みんなテラスへ出て、話しをしたり、歌を唱つたりしました。グラン・ギニヨル(物凄い芝居)の声色を使つて、女どもを喜ばせてゐる一癖ありさうな若者などもゐました。
 ある晩、瓦斯会社に出てゐるといふM氏の細君が、「あなた方は若い方ばかりのくせに、どうして踊らうとなさらないの」と、さも心外らしく、一座の人達を見まはしました。
「ぢや、奥さん、ピアノをどうぞ」Sといふ工手学校生徒がやり返しました。
 食堂には、自働ピアノが置いてありました。
「僕は、風琴弾きを雇つて来ることを提議します」これはTといふ新聞記者でした。
「賛成」口々にかう叫んだ。

 読者よ、今こゝで丁度月が出ることを許して下さるでせうか。そして、わたくしが少しばかり物想ひに沈んでゐることを……。
 口髭を生やした大男が、風琴を提げてやつて来ました。
「リデエ!」
「リデエ!」
「リデエ!」
 娘たちが騒ぎました。
 リデエといふのはブルタアニュ特有の踊りなのです
「さ、みんな輪になつて……」
 郵便局事務員、月給四百|法(フラン)のC嬢は、その弟の手を取りました。
「僕は、リデエなんか知らないよ」
「来ればわかるのよ」
 わたくしは、O君の方を見ました。踊り好きの細君は、これもいやがるO君の両手引張りながら、もう足だけは風琴の音に合はせてゐます。
駄目よ、そんな顔したつて……」
 わたくしは、どんな顔をしてゐたのでせう。多分、「君踊るかい」といふやうな眼つきをしてO君の方を見た、それなのでせう。それとも、「困つたことになつたなあ」そんな顔をしたかもわからない。O夫人は、御亭主とわたくしを両手に引据ゑて、「さ、あなたはマドムアゼルP……と手をおつなぎなさい。あんたは――と夫の顔を見て――あんたは、さうだ、マダムM、ねえ、ちよいと、奥さん、此の人の右の手を預かつて下さらない」
 マドムアゼルP……と呼ばれた少女は、やゝはにかんでゐるらしく見えました。
 此の憂鬱東洋青年が、恐る恐る差し出す手を、彼女はしばらく見つめてゐました。指は五本ある――彼女は、急に元気よくわたくしの手に飛びついて来た。実際、飛びついて来たのです。
 人の輪が、静かに、左へ左へと廻りはじめました。
 単調な、素朴な、そしてなんとなく神秘なその風琴舞踏曲が、古めかしい民謡のもつ独特な世界へ人々の心を惹き入れました。
 わたくしは、マドムアゼルP……と共に、手を振り、足を挙げました。さては、うろ覚えの歌の文句を、低く口吟んで見たりしました。おゝ、故郷の父母よ、同胞よ、そつちを向いておいでなさい
 わたくしはもう疲れて来た。一人列を離れて、林檎酒(シイドル)のコツプに、唇をあてました。マドムアゼルP……は、前よりも一層快活に踊つてゐるのです。そして、わたくしの方は一度も振向かうとしない。
 おそろしく蒸し暑い晩でした。

 マドムアゼルP……は、その日、水色支那絹のロオブ、髪は何時もの通り二つに編んだお下げ、象牙まがひの腕環が細い手頸で遊んでゐました。
 母親だとばかり思つてゐた、これはまた苦労人らしい中年婦人は、彼女伯母さんだといふことがわかりました。

 その次ぎには、パ・ド・ルウを踊ることになりました。此の古典的な舞踏は、また若い娘たちをよろこばせました。逞しい騎士の群にまじる美しいプリンセスのやうに、彼女らは、軽く裾を取つて、しとやかに腰をかゞめるのでした。
 マドムアゼルP……の真面目な顔を見て、わたくしも笑ふわけに行きません。


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