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クサンチス - サマン アルベール ( サマン アルベール )

  • 雁 森林太郎 名著復刻全集 近代文学館 昭和43年9月
  • amy☆昭和17年☆森鴎外集☆三代名作全集☆森林太郎☆汚れ有☆
  • 名著複刻全集『雁』森林太郎
  • ●絶版【鴎外選集16】森林太郎(森鴎外)(プチソフト1)
  • 鴎外選集 第15巻 諸国物語 下 森林太郎 岩波書店
  • ◆蛙 森林太郎◆森鴎外/大正8年/初版/玄文社出版/三田文選別冊
  • ◆著書:森林太郎(森鴎外) かげ草◆明治44年/訂正再版/春陽堂
  • 蛙 森林太郎 大正9年 5版
  • 即決★雁 森林太郎著 森鴎外 新選名著復刻全集近代文学館
  • 蛙 森林太郎 大正9年 5版
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XANTHIS アルベエル・サマン Albert Samain 森林太郎訳  飾棚だの飾箱だのといふものがある。貴重材木硝子(ガラス)を使つて細工がしてある。その小さい中へ色々な物が逃げ込んで、そこを隠れ家(が)にしてゐる。その中から枯れ萎びた物の香(か)が立ち昇る。過ぎ去つた時代の、人を動かす埃がその上に浮かんでゐる。昔の人のした奢侈の、上品な、うら哀(かな)しい心がそこから啓示(けいし)せられるのである。
 己(おれ)はさういふ棚や箱を見る度に、こんな事を思ふ。なんでも幅広な、奥深い帷(とばり)に囲まれて、平凡な実世界接触を免かれて、さういふところでは一種特別な生活が行はれてゐるのではあるまいかと思ふ。真成なる有(いう)といふものがあるとすれば、それに必要な条件が、かういふところで、現実的に、完全に備はつてゐるのではあるまいか。もし物に感じ易い霊のある人がゐて、有用無用の問題をとうとう断絶してしまつて、無条件自然豊富に己を委ねてしまつたら、かういふ棚や箱が、限なく尊いエリシオン原野になるのではあるまいか。
 己はかういふものを楽んで見るのが縁になつて、色々自分の為めになる交際を結ぶことが出来た。中にも己は或る古い、銀の煙草入れと近附きになつた。その煙草入れには、アレクサンドロス大帝印度王ポロスを征服した戦争の図が、極めて細密に彫り附てあつたのである。この煙草入れが、先頃日の暮れ方の薄明りに、心持の幽玄になつた時、親切にも或る話をして聞かせてくれた。その話は人に物の哀を感ぜさせ、興味を催させ、道義の念を感発せしむる節(ふし)の頗る多い話であつた。己はその話をこゝに書かずにはゐられない。これはその話を聞いて、実際さうであつたかと信ずる事の出来る程、夢見心になることの好な人に読ませる為めに書くのである。
 ルイ第十五世時代出来た飾箱の中に、何一つ欠点の挙げやうのない、美しい、小さいタナグラ人形があつた。明色(めいしよく)の髪の毛には、菫の輪飾が戴かせてある。耳朶(みゝたぶ)にはアウリカルクムの輪が嵌めてある。きらめく宝石の鎖が胸の上に垂れてゐる。体が頭の頂から足の尖まで羅(うす)ものに包まれてゐて、それが千変万化の襞を形づくつてゐる。その羅ものの底から、体のうら若い、敏捷な態度が、隠顕出没して、秘密げに解け流れる裸形(らけい)になつて見えるやうである。
 この人形の台に彫つてある希臘(グレシア)文字を見れば、この女の名はクサンチスといふものである。生れた土地はクリツサといつて、近くに豊饒(ほうねう)な平野が多く、その外を波の打ち寄せる海に取り巻かれてゐる都会であつた。
 クサンチスは実にこの飾箱の中の第一の宝である。
 折々クサンチスは台から下へ降りて来て、大勢が感嘆して環(めぐ)り視てゐる真中に立つて、昔アルテミスの祠(ほこら)の、円柱(まるばしら)の並んだ廊下で踊つた事のある踊を浚(さら)つて見る。金の輪を嵌めた、小さい足を巧みに踏んで、真似の出来ない姿をして、踊の段取りを見せる。その間に、自分では知らずに、変幻極まりなく、且最も深遠な事物を表現する。そして踊つてしまつて、真つ直ぐに、誇りの姿をして立つて、両臂をはればれしく頭の上に挙げて、指を組み合はせてゐて、優しい乳房の上に、羅ものが静か緊張してゐると、名状すべからざる、崇高な美が輝いて、それを見る人は神聖なる震慄(しんりつ)に襲はれるのである。
 或る日クサンチスがいつもより一層人を酔はせるやうな踊り方をした跡で、そこへ近所の貴人(きにん)が見舞ひに来た。この人は昔マイセン出来陶器人形公爵である。身なりが上品で、交際振りの丁寧な事は比類がない。顔色にどこか疲れたやうな跡はあるが、まだ美男子たる事を失はない。只戦争に行つたので、首と左の足とは焼接ぎで直してある。
 クサンチスには公爵がひどく気に入つた。かすめた声に現はれてゐる疲れが、何事にも打ち勝つて行く青年光沢よりも、却つて女の心を迷はせるのである。
 公爵は長い間女と話をしてゐた。その口から語り出す事は、何もかも女の為めにひどく面白く聞えた。不思議な事には、クサンチスはその話を聞いてゐながら、自分記憶してゐた故郷の事を思ひ出した。それは夕日が紅(くれなゐ)を帯びた黄金(こがね)色に海岸を照してゐる時、優しい、明るい目をした、賢い人達が、互に親しい話を交へてゐる様子を思ひ出したのである。
 別れを告げて帰る時、貴人は女の手をそつと握つて、それにそつと接吻した。クサンチスはこれより前に、久しい間、或る老人猶太(ユダヤ)人に世話をせられて、世をあぢきなく感じてゐたのである。猶太人はこの女を亜鉛(とたん)に金めつきをした厭な人形の中に交ぜて置いたのである。それが今こんな上品な交際振りをする人と知合ひになつたのだから、喜ぶのも尤(もつとも)である。
 二人の交際は次第に親密になつた。公爵は、その時代の人の習はしとして、人に気に入るやうに立ち振舞ふ事が上手だから、クサンチスを喜ばせる事が出来たのである。
 折々公爵は、クサンチスが朝早く起きた頃に、薔薇の花で飾つた陶器馬車で、迎へに来た。女は急いで化粧をして、丁度その日の空の色と、自分の気分とに適した着物を着て出掛けた。或る時はふはふはした紐飾の付いた、明るい色の、幅広な裳を着ける。


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