サン・ジョルジュ・ド・ブウエリエについて - 岸田 国士 ( きしだ くにお )
岸田國士
「わたくしは、ただ、自分の欲求に従ひ、只管霊感に耳を傾けて、劇作の筆を取り始めました。流行の誤れる趣味、因襲の命ずる手段術策はこれを顧みる気にさへならなかつたのです。わたくしは、ただ、人生研究に憂身を※す一介の徒弟でありました。それは光と影とを併せ有ち、その中に神秘の姿を織り込んでゐるいとも弱き人生であります。わたくしは、まだ名も知らない、誰も十分に究めたことのない、まことに危ふい道を進んだのです。」
これは、ブウエリエが、批評家ブリツソンに宛てた献呈語の一節である。また、
「此のささやかな戯曲――そこでは、愛と死との運命が奇怪な戯れを演じてゐるこの戯曲は、ジヤック・ルウシェ君の手によつて、美術座開場初興行の舞台にかけられた。……ジヤック・ルウシェ君は、主として舞台装置の芸術的革新を唱導した。此の「子供の謝肉祭」によつて、極く僅かの様式が、最も単純な外貌に如何に美を添へ得るかを人々は知つたのである。」
と、彼は、此の戯曲の跋文に述べてゐる。彼は、なほ、その役々の出来映えについて、出演俳優の悉くに感謝の意を表した後、再び此の戯曲について自ら語つてゐる。曰く、
「此の戯曲が――しかも何等企むところなき此の戯曲が受けたかくも熱烈な、また意外にもかく懇篤なる世評を想ふとき、わたくしは、真を求むる心が常にある反響を呼ぶといふ一事を信じないわけにいかない。わたくしは真実を写す作品を書いた。公衆はわたくしがその中に籠めた大なる感動の叫びを聞いたのだ。しかも、わたくしは、その叫びの、あまりに高からんことを恐れたのである。凡そ、芸術の効果は、控え目といふことにある。わたくしは、人生を包まず露はすところの演劇を愛するが、その中で、作者がその思想を絶叫する演劇を好まない……云々」
作者が、自著が、自ら何を云はうと、それを言葉通り享け容れることは危険であるが、以上の文字をここに抜いた理由は、これだけの中に、戯曲家ブウエリエの面目が躍如としてゐるからである。
彼は今年幾歳になるか知らぬが、十六の時から詩を作り、二十の頃初めて「無冠の帝王」といふ戯曲を書いた。彼の云ふところに従へば、その前にも戯曲を書いたが、それは「上演不可能」なもので、題は、「新しきキリストの悲劇」とつけたさうである。「無冠の帝王」は千九百六年に上演されてゐる。
彼は何よりも単純である。その単純さは、しかし、一種信仰に似た力と共に、作品にかのお伽噺のもつ神秘さを与へ、時によると、彼自ら主張する如く、最も惨めな現実の中に崇高な夢を、最も平凡な人間の中に力強い生命を吹き込むことに成功するのである。
兎も角、「子供の謝肉祭」一篇を読んで先づ感じることは、彼が芸術家である前に、最も善良な人間であるといふことである。一体、あまりに善良であるといふことは、動もすると退屈である。これは悲しむべき人生の皮肉だが、どうも仕方がない。私は、此の戯曲を最初読んだ時に、それほど面白いとは思はなかつた。ところが、嘗て千九百十年に此の戯曲が上演された時の記録によると、更にまた、千九百二十三年、国立劇場コメディイ・フランセエズが、特に此の戯曲をその上演目録中に加へた結果を見ると、私はやや自分の鑑賞眼を疑はないわけに行かなかつた。私は、勉強のために、此の戯曲を丁寧に翻訳してみようと決心した。
彼の作品は、まだほかに、「ある女の一生」「トリスタンとイゾルドの悲劇」「テエブ王ウディイプ」「勝祝ひ」「王者の悲劇」「奴隷」などがある。「子供の謝肉祭」は、初演当時、殆ど劃時代的のセンセイシヨンを招いたが、その成功の一半は勿論演出の奇蹟的効果に帰すべきであるとしても、此の戯曲が、何処かに、時流を擢んでたある独自なものをもつてゐるからで、その点、私の努力は無駄でなかつたと信じてゐる。
多くの批評家は、彼の作品を通じて、マアテルリンクの影響が少くないことを指摘してゐる。私も同感である。読者諸君もすぐにそれは気づかれることであらう。ただ此の作者が、その偉大さに於てでなく、思想的に、かのフラマンの神秘主義者と異る処は、恐らく此の仏蘭西人が、所謂自ら云ふところの「良識(ボン・サンス)」を尊ぶあまり、却つて、「良識」ならざる「常識」的人道家の域に止まつてゐるであらう。
しかし、一方、彼は、ロマン・ロオランの所謂「民衆の為めの芸術」に食指を動かし、シェイクスピヤの自由なフアンテジイにも心を惹かれてゐるらしく思はれる。彼は、まだ、近代的伝説美の創造をほのめかして、希臘劇の伝統を云々したことさへあるのである。夙に自然主義の病根を「自然の模倣」にありとし、ナチュラリスムに対してナチュリスムを唱へ、自然の外貌を描くことよりも、その本体を、その魂を捉へることの必要を力説した。そしてその本体、その魂を昔ながらの運命に結びつけた。所詮彼は一個の情熱的詠歎家であり、その作品中のみならず、その感想等に於て、詩人らしき幼稚さと善人らしき諄(くど)さを、やや勇敢に振撒いてゐる。
とは云ふものの、千九百年代の初頭に此の作を示した戯曲家ブウエリエは、やはり、一個の先駆的芸術家であつたことは争へない。そこには、在来の写実劇には見られない「感情の昂揚」があり、たとひ比喩の域を全く脱し得ないにもせよ、やや暗示に近き心理描写によつて、次の新しい時代を開いた功蹟は、ポオル・クロオデルと共に仏国戯曲史の一頁を飾る資格がある。
殊に、所謂ポエジイ・アンチイム、即ち、日常生活の中に織り込まれたおのづからな「詩」を、極めて直截な表現を以て、かくも高らかに之を舞台の上に活かし得たことは、何と云つても非凡な才能の賜である。
「子供の謝肉祭」に現はれる人物中、二人の伯母は、如何にも類型的な悪役としか見えないが、これは、最後の幕でもわかる通り、作者が故ら此の二人の人物を、お伽噺の「性悪な巫女(フエエ)」に見立て、その化身として扱つたのである。此の戯曲を読む時、これら二人の人物のみならず、全体の舞台的構成について、ある心構へが必要だと思ふので、特に例を引いたのだが、「写実」と「リリシズム」或は、「事実談」と「お伽噺」、この交錯は、殆ど作品の随処に現はれる。此の二つが渾然融合した時、彼の作品は光り、別々に混つてゐる時、彼の作品はやや頼りないのである。
それともう一つ注意すべきことは、此の戯曲が、極端なまでに舞台上の感覚的効果、即ち、照明、音響、色彩等を勘定に入れて組み立てられてゐるといふことである。
このことは、ほんたうに戯曲を読み得るものなら誰でもわかるのであるが、由来、この種の戯曲は、上演によつて始めてその真価を発揮するので、読んだだけでは、物足らないと思ふ人があるかも知れない。
舞台を悪写実と空疎な装飾から故ら、所謂様式化による舞台の改革を企てようとしたジヤック・ルウシエの第三次美術座は、第一に此の作品に眼を着けたのである。このことは、本文の初めに、ブウエリエ自身の口から云はせた通りだが、その年、即ち千九百十年を一期として、仏国劇壇の先駆的傾向が目覚ましい躍進を遂げたことは、「子供の謝肉祭」の舞台的成功に刺激されるところが多かつたと云つていい。此の歴史的意義からでも、今日、サン・ジョルジュ・ド・ブウエリエの名は「子供の謝肉祭」の名と共に、一応、近代劇研究者の脳裏に刻みつけて置く必要があると思ふ。
これは、ブウエリエが、批評家ブリツソンに宛てた献呈語の一節である。また、
「此のささやかな戯曲――そこでは、愛と死との運命が奇怪な戯れを演じてゐるこの戯曲は、ジヤック・ルウシェ君の手によつて、美術座開場初興行の舞台にかけられた。……ジヤック・ルウシェ君は、主として舞台装置の芸術的革新を唱導した。此の「子供の謝肉祭」によつて、極く僅かの様式が、最も単純な外貌に如何に美を添へ得るかを人々は知つたのである。」
と、彼は、此の戯曲の跋文に述べてゐる。彼は、なほ、その役々の出来映えについて、出演俳優の悉くに感謝の意を表した後、再び此の戯曲について自ら語つてゐる。曰く、
「此の戯曲が――しかも何等企むところなき此の戯曲が受けたかくも熱烈な、また意外にもかく懇篤なる世評を想ふとき、わたくしは、真を求むる心が常にある反響を呼ぶといふ一事を信じないわけにいかない。わたくしは真実を写す作品を書いた。公衆はわたくしがその中に籠めた大なる感動の叫びを聞いたのだ。しかも、わたくしは、その叫びの、あまりに高からんことを恐れたのである。凡そ、芸術の効果は、控え目といふことにある。わたくしは、人生を包まず露はすところの演劇を愛するが、その中で、作者がその思想を絶叫する演劇を好まない……云々」
作者が、自著が、自ら何を云はうと、それを言葉通り享け容れることは危険であるが、以上の文字をここに抜いた理由は、これだけの中に、戯曲家ブウエリエの面目が躍如としてゐるからである。
彼は今年幾歳になるか知らぬが、十六の時から詩を作り、二十の頃初めて「無冠の帝王」といふ戯曲を書いた。彼の云ふところに従へば、その前にも戯曲を書いたが、それは「上演不可能」なもので、題は、「新しきキリストの悲劇」とつけたさうである。「無冠の帝王」は千九百六年に上演されてゐる。
彼は何よりも単純である。その単純さは、しかし、一種信仰に似た力と共に、作品にかのお伽噺のもつ神秘さを与へ、時によると、彼自ら主張する如く、最も惨めな現実の中に崇高な夢を、最も平凡な人間の中に力強い生命を吹き込むことに成功するのである。
兎も角、「子供の謝肉祭」一篇を読んで先づ感じることは、彼が芸術家である前に、最も善良な人間であるといふことである。一体、あまりに善良であるといふことは、動もすると退屈である。これは悲しむべき人生の皮肉だが、どうも仕方がない。私は、此の戯曲を最初読んだ時に、それほど面白いとは思はなかつた。ところが、嘗て千九百十年に此の戯曲が上演された時の記録によると、更にまた、千九百二十三年、国立劇場コメディイ・フランセエズが、特に此の戯曲をその上演目録中に加へた結果を見ると、私はやや自分の鑑賞眼を疑はないわけに行かなかつた。私は、勉強のために、此の戯曲を丁寧に翻訳してみようと決心した。
彼の作品は、まだほかに、「ある女の一生」「トリスタンとイゾルドの悲劇」「テエブ王ウディイプ」「勝祝ひ」「王者の悲劇」「奴隷」などがある。「子供の謝肉祭」は、初演当時、殆ど劃時代的のセンセイシヨンを招いたが、その成功の一半は勿論演出の奇蹟的効果に帰すべきであるとしても、此の戯曲が、何処かに、時流を擢んでたある独自なものをもつてゐるからで、その点、私の努力は無駄でなかつたと信じてゐる。
多くの批評家は、彼の作品を通じて、マアテルリンクの影響が少くないことを指摘してゐる。私も同感である。読者諸君もすぐにそれは気づかれることであらう。ただ此の作者が、その偉大さに於てでなく、思想的に、かのフラマンの神秘主義者と異る処は、恐らく此の仏蘭西人が、所謂自ら云ふところの「良識(ボン・サンス)」を尊ぶあまり、却つて、「良識」ならざる「常識」的人道家の域に止まつてゐるであらう。
しかし、一方、彼は、ロマン・ロオランの所謂「民衆の為めの芸術」に食指を動かし、シェイクスピヤの自由なフアンテジイにも心を惹かれてゐるらしく思はれる。彼は、まだ、近代的伝説美の創造をほのめかして、希臘劇の伝統を云々したことさへあるのである。夙に自然主義の病根を「自然の模倣」にありとし、ナチュラリスムに対してナチュリスムを唱へ、自然の外貌を描くことよりも、その本体を、その魂を捉へることの必要を力説した。そしてその本体、その魂を昔ながらの運命に結びつけた。所詮彼は一個の情熱的詠歎家であり、その作品中のみならず、その感想等に於て、詩人らしき幼稚さと善人らしき諄(くど)さを、やや勇敢に振撒いてゐる。
とは云ふものの、千九百年代の初頭に此の作を示した戯曲家ブウエリエは、やはり、一個の先駆的芸術家であつたことは争へない。そこには、在来の写実劇には見られない「感情の昂揚」があり、たとひ比喩の域を全く脱し得ないにもせよ、やや暗示に近き心理描写によつて、次の新しい時代を開いた功蹟は、ポオル・クロオデルと共に仏国戯曲史の一頁を飾る資格がある。
殊に、所謂ポエジイ・アンチイム、即ち、日常生活の中に織り込まれたおのづからな「詩」を、極めて直截な表現を以て、かくも高らかに之を舞台の上に活かし得たことは、何と云つても非凡な才能の賜である。
「子供の謝肉祭」に現はれる人物中、二人の伯母は、如何にも類型的な悪役としか見えないが、これは、最後の幕でもわかる通り、作者が故ら此の二人の人物を、お伽噺の「性悪な巫女(フエエ)」に見立て、その化身として扱つたのである。此の戯曲を読む時、これら二人の人物のみならず、全体の舞台的構成について、ある心構へが必要だと思ふので、特に例を引いたのだが、「写実」と「リリシズム」或は、「事実談」と「お伽噺」、この交錯は、殆ど作品の随処に現はれる。此の二つが渾然融合した時、彼の作品は光り、別々に混つてゐる時、彼の作品はやや頼りないのである。
それともう一つ注意すべきことは、此の戯曲が、極端なまでに舞台上の感覚的効果、即ち、照明、音響、色彩等を勘定に入れて組み立てられてゐるといふことである。
このことは、ほんたうに戯曲を読み得るものなら誰でもわかるのであるが、由来、この種の戯曲は、上演によつて始めてその真価を発揮するので、読んだだけでは、物足らないと思ふ人があるかも知れない。
舞台を悪写実と空疎な装飾から故ら、所謂様式化による舞台の改革を企てようとしたジヤック・ルウシエの第三次美術座は、第一に此の作品に眼を着けたのである。このことは、本文の初めに、ブウエリエ自身の口から云はせた通りだが、その年、即ち千九百十年を一期として、仏国劇壇の先駆的傾向が目覚ましい躍進を遂げたことは、「子供の謝肉祭」の舞台的成功に刺激されるところが多かつたと云つていい。此の歴史的意義からでも、今日、サン・ジョルジュ・ド・ブウエリエの名は「子供の謝肉祭」の名と共に、一応、近代劇研究者の脳裏に刻みつけて置く必要があると思ふ。
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