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ラジオ・モンタージュ - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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 プドーフキンやエイゼンシュテインらの映画芸術価値世界的に認められると同時に彼らのいわゆるモンタージュ理論がだいぶ持てはやされ、日本でもある方面ではこのモンタージュということが一種のはやり言葉になったかのように見える。この言葉意味については本家本元の二人の間にも異論があるそうであって、これについては近ごろの読売新聞紙上で八住利雄(やすみとしお)氏が紹介されたこともある。
 このモンタージュなるものは西洋人にとってはたしかに非常発見であったに相違ない。そうしてこれに対する解説を近代的な言葉で発展させればいろいろむつかしくも言えるようであるが、しかしわれわれ日本の旧思想の持ち主の目から見れば実質的にはいっこう珍しくもなんともないことのように思われてしかたがない。つまり日本人がとくの昔から、別にむつかしい理論も何もなしにやっていた筆法を映画の上に応用しているようにしか思われないのである。
 たとえば昔からある絵巻物というものが今の映画、しかもいわゆるモンタージュ映画の先駆のようにも見られる。またいわゆる俳諧連句(はいかいれんく)と称するものが、このモンタージュ芸術を極度に進歩させたものであるとも考えられるのである。そうしてまたこのモンテーという言葉自身が暗示するように、たとえば日本生花芸術やまた造庭の芸術でも、やはりいろいろのものを取り合わせ、付け合わせモンタージュを行なって、そうしてそこに新しい世界創造するのであって、その芸術技法には相生相剋(そうこく)の配合も、テーゼ、アンチテーゼ総合ももちろん暗黙の間に了解されているが、ただそれがなんら哲学的な術語で記述されてはいないのである。
 ところがおもしろいことには、日本エイゼンシュテイン神様のように持てはやされている最中に、当のエイゼンシュテイン自身が、日本の伝統文化は皆モンタージュ的であるが、ただ日本映画だけがそうでないと言ったという話が伝えられて来た。彼は日本文字がそうであり、短歌俳諧(はいかい)がそうであり、浮世絵がそうであると言い、また彼の生まれて初めて見たカブキで左団次(さだんじ)や松蔦(しょうちょう)のする芝居を見て、その演技モンタージュ的なのに驚いたという話である。これは近ごろ来朝したエシオピアの大使が、ライオンを見て珍しがらずに、金魚を見て驚いた話ともどこか似たところのある話である。また日本浮世絵芸術外国人発見されて後に本国でも認められるようになった話ともやはり似ていて、はなはだ心細い次第である。
 それはとにかくモンタージュ芸術技法使用するメディアムが何であっても可能である。たとえば食物でも巧みに取り合わせられた料理は一種のモンタージュ芸術と言われなくもない。そうだとすれば、ラジオによる音響放送素材適当なる取り合わせ配列によって一種の芸術モンタージュ放送創作することが充分可能なわけであろう。
 もっとも、従来行なわれたラジオドラマふうのものの中には、やや前記のモンタージュに類する要素をいくぶんか備えたと思われるものもあるかもしれない。それはその創作者にそういうはっきりした意図はなかったにしろ、自然にそれと同様の効果をねらったものがあったかもしれない。しかし、もしこういう明白な意識設定した上でその創作をするとすれば、かなり新しくておもしろい試みがいくらも行なわれうるのではないかと思われるのである。
 ただ一つラジオの場合に他の場合区別しなければならない本質的の相違のある点は、ラジオはだいたい現在の瞬間にある場所で発している音楽をほとんど同時に他の場所放送しているというところにある。それゆえに、いろいろな時にいろいろな場所で進行した音響的シーンを勝手順序や間隔をもってモンタージュ的に配置することができないように見える。しかしこれには蓄音機というものがあって、その盤がちょう映画フィルムのごとく記録的に保存されうるのであるから、これを使えばかなりいろいろの勝手技法活用することができてもいいわけである。
 そう言えば、全部をレコードにして編集し、その編集結果をまた一つづきのレコードとしてしまえば、結局ラジオの必要はなくなるのではないかという議論が持ち出されるであろう。それはある意味では実際そうであるが、しかし必ずしもそうばかりではない。第一に、蓄音機存在にかかわらず音楽放送が行なわれている事実がこれに対する一つの答弁であるが、そればかりではない、もっと重要なことがある。現在同刻に他所で起こりつつある出来事の音響効果の同時放送中に、過去における別の場所の音的シーンを適当に插入(そうにゅう)あるいはオーヴァーラップさせ、あるいはまたフェード・イン、フェード・アウトさせることによって、現在のシーンの効果支配し調節するということができるとすれば、それは蓄音機だけの場合にては決して有り得ない一つの現象を出現させることになるからである。
 たとえば満州(まんしゅう)における戦況の経過に関して軍務当局者の講演がある場合に、もし戦地における実際の音的シーンのレコード適当に插入することができれば、聴衆の実感ははなはだしく強調されるであろう。また少し極端な例を仮想してみるとすれば、たとえばフランスナポレオン記念祭に大統領演説したりする際に、もしも本物のナポレオンの声や、ウォータールーの砲声や、セントヘレナの波の音のレコードが(そういうものがあったとして、それが保存されていたとして)適当に插入(そうにゅう)されたとしたら、それは実に不思議な印象を与えるであろう。それほどでなくても、たとえば議院新築落成式の日に、過去議会におけるいろいろな故人の演説の断片を聞くことができても多少の感慨はあるであろう。
 もしも、レコード現場放送との継ぎ目を自由に、ちょうどフィルムをつなぐようにつなぐことができれば、すでに故人となった名優と現に生きている名優とせりふのやり取りをさせることもできるであろう。九代目X十郎と十一代目X十郎との勧進帳(かんじんちょう)を聞く事も可能であり、同じY五郎の、若い時と晩年との二役を対峙(たいじ)させることも不可能ではなくなる。
 もしまた、いろいろな自然雑音を忠実に記録放送することができる日が来れば、ほんとうに芸術的な音的モンタージュ編成されうるであろうが、現在のような不完全な機械で、擬音のほうがかえって実際に近く聞こえるような状態では到底理想的なものはできないであろう。しかし、こういう機械的の欠点はだんだんに除去されるであろうから、いつかはここで想像されたような音響モンタージュによる立派な詩や絵のようなものが創作されて一般の鑑賞を受ける日が来るであろうと思われる。
 こういうものができるようになった場合に、その「音画」のシナリオはどんなものが可能であろうか。これには実に格好な典型的なものがすでに元禄(げんろく)時代にできているように私には思われる。それは芭蕉(ばしょう)とその門下の共同制作になる連句である。その多数な「歌仙(かせん)」や「百韻(ひゃくいん)」のいかなる部分を取って来ても、そこにこの「放送音画」のシナリオ発見することができるであろう。もちろんこれらの連句はさらにより多く発声映画シナリオとして適切なものであるが、しかし適当に使えばここにいわゆるモンタージュ放送台本としてもまた立派に役立つものと思われる。
 以上はただ、放送事業の実際にうとい一学究のはなはだしい空想に過ぎないのであるが、未来放送に関する可能性についての一つの暗示として、思うままをしるしてみた次第である。
昭和六年十二月日本放送協会調査時報



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第64刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
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