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ランス紀行 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

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 六月七日、午前六時頃にベッドを這い降りて寒暖計をみると八十度。きょうの暑さも思いやられたが、ぐずぐずしてはいられない。同宿のI君をよび起して、早々に顔を洗って、紅茶とパンとをのみ込んで、ブルヴァー・ド・クリシーの宿を飛び出したのは七時十五分前であった。
 How to see the battlefields――抜目のないトウマス・クックの巴里支店では、この四月から斯ういう計画を立てて、仏蘭西戦場の団体見物を勧誘している。われわれもその団体加入して、きょうこのフランス戦場見物に行こうと思い立ったのである。切符昨日のうちに買ってあるので、今朝は真直にガル・ド・レストの停車場へ急いでゆく。宿からは左のみ遠くもないのであるが、巴里へ着いてまだ一週間を過ぎない我々には、停車場方角がよく知れない。おまけに電車ストライキ最中で、一台も運転していない。その影響で、タキシーも容易に見付からない。地図で見当をつけながら、兎も角もガル・ド・レストへゆき着いたのは、七時十五分頃であった。七時二十分までに停車場集合するという約束であったが、クックの帽子をかぶった人間一人もみえない。停車場は無暗に混雑している。おぼつかない仏蘭西語でクックの出張所をたずねたが、はっきりと教えてくれる人がない。そこらをまごまごしているうちに、七時三十分頃であろう、クックの帽子をかぶった大きい男をようよう見付け出して、あの汽車に乗るのだと教えて貰った。
 混雑のなかをくぐりぬけて、自分達の乗るべき線路プラットホームに立って、先ずほっとした時に、倫敦で知己になったO君とZ君とが写真機携帯で足早に這入って来た。
『やあ、あなたもですか。』
『これは好い道連れが出来ました。』
 これで今日一行中に四人の日本人見出したわけである。たがいに懐かしそうな顔をして、しばらく立話をしていると、クックの案内者が他の人々を案内して来て、レザアヴしてある列車の席をそれぞれに割りあてる。日本人はすべて一室に入れられて、そのほかに一人英国紳士が乗込む。紳士はもう六十に近い人であろう、容貌といい、服装といい、いかにも代表的のイングリッシュ・ゼントルマンらしい風采の人物で、叮嚀に会釈して我々の向うに席を占めた。O君があわてて喫いかけた巻莨の火を消そうとすると、紳士笑いながら徐かに云った。
『どうぞお構いなく……。わたくしもすいます。』
 七時五十五分に出る筈の列車がなかなか出ない、一行三十余人はことごとく乗り込んでしまっても、列車は動かない。八時を過ぎて、ようように汽笛は鳴り出したが、速力は頗る鈍い。一時間ほども走ると、途中で不意に停車する。それから又少し動き出したかと思うと、十分ぐらいで又停車する。英国紳士はクックの案内者をつかまえて其理由質問していたが、案内者も困った顔をして笑っているばかりで、詳しい説明をあたえない。斯ういう始末で、一進一止、捗らないことおびただしく、われわれももううんざりして来た。きょうの一行に加わって来た米国兵士五六人は、列車が停止するたびに車外に飛び出して路ばたの草花などを折っている。気の早い連中には実際我慢が出来ないであろうと思い遣られた。
 窓をあけて見渡すと、何というところか知らないが、青い水が線路を斜めに横ぎって緩く流れている。その岸には二三本の大きい柳の枝が眠むそうに靡いている。線路に近いところには低い堤が蜿ってつづいて、紅い雛芥子と紫のブリュー・ベルとが一面に咲きみだれている。薄のような青い葉も伸びている。米国兵士はその青い葉をまいて笛のように吹いている。一町も距れた畑のあいだに、三四軒の人家の赤煉瓦が朝の日に暑そうに照されている。
『八十五六度だろう。』と、I君は云った。汽車が停まると頗る暑い。われわれが暑がって顔の汗を拭いているのを、英国紳士笑いながら眺めている。そうして、『このくらいならば歩いた方が早いかも知れません。』と云った。われわれも至極同感で、口を揃えてイエス・サーと答えた。
 英国紳士は相変らずにやにや笑っているが、我々はもう笑ってはいられない。
『どうかして呉れないかなあ。』
 気休めのように列車は少し動き出すかと思うと、又すぐに停まってしまう。どの人もあきあきしたらしく、列車が停まると皆な車外に出てぶらぶらしていると、それを車内へ追い込むように夏の日光はいよいよ強く照り付けてくる。眼鏡をかけている私もまぶしい位で、早々に元の席へ逃げて帰ると、列車は又思い出したように動きはじめる。


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