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ルクレチウスと科学 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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     緒言  今からもう十余年も前のことである。私はだれかの物理学史を読んでいるうちに、耶蘇紀元(やそきげん)前一世紀のころローマの詩人哲学者ルクレチウス(紀元前九八―五四)が、暗室にさし入る日光の中に舞踊する微塵(みじん)の混乱状態を例示して物質元子(1)の無秩序運動説明したという記事に逢着(ほうちゃく)して驚嘆の念に打たれたことがあった。実に天下に新しき何物もないという諺(ことわざ)を思い出すと同時に、また地上には古い何物もないということを痛切に感じさせられたのであった。
 その後に私は友人安倍能成(あべよししげ)君の「西洋哲学史」を読んで、ロイキッポス、デモクリトスエピクロスを経てルクレチウスに伝わった元子論の梗概(こうがい)や、その説の哲学的の意義、他学派に対する関係等について多少の概念を得る事ができた、と同時にこの元子説に対する科学者としての強い興味を刺激された。しかしてこの説の内容についてもう少し詳しい知識を得たいという希望をもっていたが、われわれのような職業科学者にとっては、読まなければならない新しい専門的の書物があまりに多いために、どうも二千年前の物理学を復習する暇がないような気がして、ついついそのままになっていたのである。
 ところが、昨年の夏であったか、ある日|丸善(まるぜん)の二階であてもなくエヴリーマンス・ライブラリーをあさっているうちに

Lucretius: Of the Nature of Things. A Metrical Translation by William Ellery Leonard.

というのが目についた。そうして旧知の人にめぐりあったような気がしてさっそく一本を求め、帰りの電車の中でところどころ拾い読みにしてみると、予想以上におもしろい事がらが満載されてあるように感ぜられた。それからあちらこちらの往復に電車で費やす時間利用してともかくも一度読了した。その後ある物理学者の集会の席上で私はこの書の内容の梗概を紹介して、多くの若い学者たちに一読を勧めたこともあった。
 ことし(一九二八)になって雑誌ネチュアー(四月十四日発行)の巻頭紹介欄に

Munro's Lucretius. Fourth Edition, finally revised.

に関するダルシー・タムソンの紹介文が現われた。それによると、この書の第二巻目はマンローの詳細なる評注に加うるに、物理学者のダ・アンドラデ(E. N. da C. Andrade)の筆に成るルクレチウスの科学的意義に関する解説を収録してあるということであった。それでこれを取り寄せてその解説を読むと同時に、また評注の中の摘要をたよりにしてもう一度詳しく読み返してみた。しかして読めば読むほどおもしろい本であるという考えを深くした。
 マンローの注は、もちろんラチンの原文を読まんとする人のために作られたものであって、自分のような古典知識のないものにとっては大部分はいわゆるねこに小判である。しかし原詩の十行あるいは三十行ごとに掲げた摘要は便利なものである。
 マンローの第三巻はこの人の対語訳で、同じものがボーンのポピュラーライブラリーの中にも出ているそうであるが、自分はまだこの訳を読んでいない。
 思うにルクレチウスを読み破る事ができたら、今までのルクレチウス研究者発見し得なかった意外なものを掘り出す事ができはしないかと疑う。それほどにルクレチウスの中には多くの未来黙示されているのである。
 アンドラデの解説によると、近代物理学大家であったケルヴィン卿(きょう)もまたルクレチウスの愛読者であった。すなわち卿の一八九五年のある手紙の一節に「このごろ、マンロー訳の助けをかりてルクレチウスを読んでいた。そして原子衝突についてなんとか自分流儀解釈をしてみようと思ってだいぶ骨折ってみたが、どうもうまくできない」と言っている。
 ルクレチウスの黙示からなんらかの大きな啓示受け学者の数は、おそらく少なくはなかったであろう。アンドラデによると、ニウトンの原子に関する説明(2)を読めば、彼がルクレチウスを知らなかったと想像する事はできないということである。ロバート・ボイルも直接に、またガッセンディを通じて間接にルクレチウスに親しんだ事が明らかである。また微粒子の雨によって重力説明せんとしたル・サージュはその論文に 〔Lucre`ce newtonien〕 という表題をつけたくらいである。この説が後にケルヴィンによってさらに追求された事はよく知られた事である。ケルヴィンのほかにクラークマクスウェルやティンダルのごとき大家もまたルクレチウスに注意を払ったという事実があるそうである。それはとにかく、このような形跡を物理学史上に残さないで、しかも実際ルクレチウスから大きな何物かを感得した物理学者化学者生物学者がどれだけあったかもしれないということは、この一巻を読了したすべての人の所感でなければならない。それだけ多くの未来に対する黙示が含まれているのである。今から百年前にこの書を読んだ人にはおそらく無意味な囈語(たわごと)のように思われたであろうと思うような章句で、五十年前の読者にはやっと始めてその当時の科学的の言葉翻訳されたであろうと思われるのがある。それどころか十年前の物理学者ならばなんの気なしに読過したであろうと思う一句が、最新学説の光に照らして見ると意外な予言者としてわれわれの目に飛び込んで来るのもあるようである。
 私がルクレチウスを紹介した集会の席上で、今どきそういうかび臭いものを読んで、実際に現在物理学研究上に何か具体的の啓示受けるという事がはたして有りうるであろうかという疑いをもらした人もあった。この疑いはあるいは現代の多くの科学者の疑いを代表するものであるかもしれない。しかし私は確かにそれが可能であると信じる一人である。もちろん科学者の中にはいろいろの種類の性質の人がある。暗示に対する感受性の鋭敏なたちの人と鈍感なたちの人とがある。解析クラシカル型の人は多く後者に属し、幾何ロマンチック型の学者前者に属するのは周知の事実である。暗示に対して耳と目を閉じないタイプの学者ならば、ルクレチウスのこの黙示録から、おそらく数限りない可能性の源泉をくみ取る事ができるであろう。少なくもあるところまで進んで来て行き詰まりになっている考えに新しい光を投げ、新たな衝動を与える何物かを発見する事は決して珍しくはあるまいと思うのである。
 要するにルクレチウスは一つの偉大な科学的の黙示録(アポカリプス)である。そのままで現代意味における科学書ではもちろんありうるはずがない。もしこの書の内容を逐次に点検して、これを現在知識に照らして科学的批判を試み、いろいろな事実論理誤謬(ごびゅう)を指摘して、いい気持ちになろうとすれば、それは赤ん坊の腕をねじ上げるよりも容易であると同時にまたそれ以上におとなげないばかげた事でなければならない。
 近着の雑誌リリュストラシオン(3)に「黙示録に現われたる飛行機科学戦」と題する珍奇な絵入りの読み物がある。ヨハネの黙示録第九章に示された恐ろしい蝗(いなご)の災いを欧州大戦における飛行機にうまく当てはめておもしろく書いてある。これもやはり一種の黙示である。しかしいかほどまでに蝗の記述が戦闘飛行機に当てはまってもそれは決して科学的の予言とは名づけ難いであろう。しからばルクレチウスの黙示もまたこれと同じような意味黙示に過ぎないであろうかと考えてみると、自分には決してそうは思われないのである。ヨハネは目的の上からすでに全然宗教的の幻想であるのに反して、ルクレチウスのほうは始めから科学的の対象を科学的精神によって取り扱ったものである。彼の描き出した元子の影像がたとえ現在原子模型とどれほど違っていようとも、彼の元子の目的とするところはやはり物質究極組成分としての元子であり、これの結合運動によって説明せんと試みた諸現象はまさしく現在われわれの原子によって説明しようと試みつつある物理化学現象である。
 意味のわからない言葉の中からはあらゆる意味が導き出されることは事実である。


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