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一九四七・八年の文壇 文学における昨年と今年 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • ●日本文壇史 1~3 伊藤整 計3冊
  • ■ 吉屋信子 /  自伝的女流文壇史 改版  ■中公文庫復刊■
  • 文芸文庫 伊藤整「日本文壇史 3 悩める若者たち」
  • ●単行本【兎の眼】灰谷健次郎.理論社.文壇デビュー作●
  • ●終戦後文壇見聞記 大久保房男 定価2625円 初版
  • 大いなる助走/筒井康隆 文壇を恐怖に陥れた今世紀最大の問題作
  • 水上勉**[*”文壇放浪”*]**瞼に残る,あの作家,この作家**切手可
  • 【「続・推理文壇戦後史」 ミステリーブームの軌跡をたどる】
  • 今東光 毒舌文壇史 昭和48年 /きき手・梶山季之
  • ■ダカーポ■楽しんですぐ身につく英会話■文壇デビュー・他■
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一九四七・八年の文壇 ――文学における昨年と今年――  一九四七年の文学の動向として大へん目立つことは大体三つあると思います。  その一つは、一九四六年中は戦争に対する協力者としての活動経験から執筆をひかえていたどっさりの作家が、公然と活動をはじめたことです。これは日本政府自分自身の組織の中に、あいまい条件におかれている多くの政治家をもっているために、戦争責任者の究明をごく申訳け的に行っている事情に呼応するものです。
 雑誌編集者作家自身も、戦争協力に対する責任の追求が、政府のがわからはきわめて緩慢で申訳け的であり、人民民主自覚がおくらされているために、民主文化の陣営からの追求も居直ってしまうことが可能であるということを発見した結果です。『文学界』の人々は、もっとも戦争戦争遂行に協力した人々の一群であるし、このごろさかんに執筆している石川達三氏は戦時中の協力に対して、日本がふたたびあやまちを犯せば自分もまたふたたび犯すであろうという意味雑誌の上に明言しています。石川達三氏は、今日人民的な民主主義をうちたてようとしているすべての正直な人々の努力の真只中でこういう放言をしながら、四国地方反動団体の巻頭言などを書いています。
 また先日日比谷で行われたユネスコ大会で、ユネスコ文学のことについて演説をされました。ユネスコ国際連合教育科学文化部)は中心題目として科学教育文化の上に平和独立自由とを確保して次の戦争を防止しようとする国際組織です。
 去る十二月二十日に行われた東京ユネスコ協力会発起人会で招請状を出した新居格氏は、ユネスコ本質上この会は会員純潔な良心に期待しなければならないと力説されました。発言した方々のすべてのことばはここに一致していました。その会の委員として石川達三氏があげられているということは矛盾ではないでしょうか。日本はふたたび軍事的・侵略的なあやまちを犯さないために組織されようとしている会の委員に、日本がふたたびあやまちを犯せば自分も犯すであろうといって、明瞭に今日国際間の問題になっている日本反動勢力の擡頭に呼応する立場をしめしている石川達三氏がユネスコの「純潔本質」にふさわしいと判断されるでしょうか。
 これは一人作家問題ではありません。ユネスコに限られた問題でもありません。日本人民生活の全般と日本民主文化建設仕事が、今日権力者のたくみなリードによってきわめて不徹底におかれようとしている危険な注目すべき現象です。人民の民論はこういう現象に対して率直な意見を展開すべきであると思います。
 第二のことは、サルトル実存主義の皮相的な流行坂口安吾氏の文学中心とする肉体主義流行それから日本民主革命歴史的な段階をあやまって理解した「近代主義流行等がありました。これらの流行文学の範囲をこえた影響をおこしていて、哲学者といわれる田辺元博士まできわめてジャーナリスティックな扱いで実存主義にふれるような傾向をよびおこしました。
 坂口安吾文学は、毎月彼と関係のあるジャーナリストを呼んで大盤振舞いをするほど繁昌しています。田村次郎氏の肉体主義は彼にりっぱな邸宅を買わせたと新聞に出ました。戦災者や引揚者が住むに家なく警察講堂に検束される形でやっと雨露をしのぐ有様が一方にあるのに。
 第三は、インテリゲンチャの間から野間宏椎名麟三中村真一郎その他作家が注目すべき創作活動を行ったこと、勤労大衆文化活動がさかんになってきて文学サークル協議会確立し、『文学サークル』という雑誌が出るようになったし、全逓新聞の応募小説になかなか優秀なものがあって、その七篇が『檻の中』という小説集にまとめて出版され、日本文学の中に新しい健全民主的要素を活躍させはじめたことがあります。
 詩の方面では、国鉄詩人達が職場詩人としての成果をしめして、ますます発展しようとしていることや、勤労者によって書かれた戯曲が自立劇団の上演目録登場しはじめたことなどを見逃すことはできません。古い天皇制的な祝日民主的な人民祝日にかわろうとしている時、メーデーの歌が素朴な明るいメロディーをもって、人に知られない着実な生活をいとなんでいる主婦一人である坂井照子さんによって作曲されたことも忘れられません。あの「町から村から工場から」の歌詞国鉄詩人作品です。
 新日本文学に属する民主立場作家活動は、それぞれの作家の特長にしたがってだんだん流動してきました。毎日新聞出版文化賞に「播州平野」と「風知草」とが当選したことは、その作家一人問題ではなくて、民論が一方で坂口安吾氏の文学を繁昌させながらも他の一方ではやはり真面目今日社会矛盾について考えており、その解決をもとめており、人民幸福にする可能をもつ民主主義を欲しているという事実を雄弁に語るものでした。
 さて大掴みに注目されるこれらの三つの現象は、本年度にどう展開されてゆくでしょうか。
 これまでは文学問題文学の枠の中からだけとやかくいわれました。しかしこの段階は誰の目にもはっきり過去のものとしてうつっていると思います。なぜなら以上の三つの問題のどの一つをとってみても、ただ小説問題とか詩の問題とかにかぎってその狭い地盤の上で発生している現象ではありません。どれもこれも、日本社会が全体として今日当面しているいろいろの事情から湧いている現象の一つとしての文学現象であるといえます。
 前年度に見られた現象がこういう本質のものであるとするならば、一九四八年度における文学の諸問題文学という分野の特殊な性質をたもちながらも、たしかに一九四八年度日本民主化歴史がどうすすむかという事情と一致した歩調で、いくらか社会現象よりおくれながら働いてゆくものだと思います。つまり日本の大多数の人がどのように具体的に自分たちの民主的な毎日を確保してゆくために努力するかということときっちり結びついています。
 こう見てくると実に面白いことがあります。それはもう前年度文学現象の検討の中に、自ら現代文学重要な発展の可能性が示されているということです。前年度の回顧の中の第一分類に属する丹羽文雄氏が「私は小説家である」といういせいのいい論文で、社会小説を主張して私小説から脱却しようとする今日の潮流に合していますが、一社会人として社会進歩歴史に対して責任を負わない客観主義に立つ社会小説というものは、人間一人一人自覚と自主が確立される社会建設してゆこうとする民主的な方向と一致しないものであることは、明らか理解されます。作者社会人としての感覚歴史に対する積極的な参与自覚しない客観主義は、いわば十九世紀自然主義のぬりかえにすぎず、社会客観的に見てあらゆる社会階層現実とその発展を描破しようとする民主主義文学でないことは明瞭です。
 石川達三林房雄その他戦争協力者が民主化の低迷に乗じての活動は本年中どう動くかということは、これこそ実に数百万小説読む人々が自分たちの運命についてどこまで自分の主人になりうるかという問題と関連しています。日本民主主義勢力が日本民主化をおし進める努力とその成果との対照なしにいえないことです。
 本年度勤労人民の中からの文化活動は、経済的苦痛を打開しようとするたたかいとともに活溌になります。組織的にいえば、組合文化部は前年度経験によって、だんだん文化過小評価をなくしてきたし、サークル指導者たちは文学その他文化活動がいわゆる「文化的」な勤労者らしくないさまざまの栄養をうけていることについて十分な注意をよびさまされてきています。
 たとえば四七年十二月にもたれた新日本文学会大会で行われた文学サークル協議会の報告は、これらの活動家サークル員の一人一人がごく自然なかたちで、人民文学というものが、ジャーナリズムとばかり結びついた「流行作家」たちの実存主義肉体主義あるいは客観主義と、どんなにちがうかということを実感しはじめています。
 本年は、このサークル職場の人々の間にもたれる文学コンクール成績が、一そう文学的に評価されるものとなるでしょう。そして民主主義文学の中核をなすべき勤労階級文学は、だんだんその流れの幅をひろげるでしょう。日本に新しい生活と新しい文学を求めるすべての人々は、はげしい期待をもってこの流れに注目しています。
 おなじように、前年度から活動をあらわしたインテリゲンチャ新進作家たちの、本年度仕事非常に期待されると同時に、個々別々にそれぞれの作家として発展させなければならないさまざまの矛盾希望的なモメントを前年度において示しています。
 たとえば野間宏氏は「暗い絵」を完結して「肉体は濡れて」「顔の中の赤い月」「華やかな彩り」とうつってきましたが主題の小ささにくらべて長い小説にまとめてゆく文学上の危険現象を、本年はどのように緊密な方向へ発展させるか、また右と左の足がそれぞれに別な土台に立ってしかもその間に「統一をもとめている同時的把握」の課題がこの作家によってどう解決されるかの問題があります。これは野間宏氏という一人作家肉体精神とをたて裂きにするかどうかという問題です。
 また椎名麟三氏には、自分社会人間経験文学表現を、どういうふうにしてドストイェフスキーの影響からとき放し、日本の歴史成長をとげてゆくかということの課題があります。


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