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万葉集巻十六 - 正岡 子規 ( まさおか しき )

  • 萬葉集一二三四 日本古典文学全集2~5 小学館
  • 文日 萬葉集1-4 全4巻 岩波書店日本古典文学大系 箱入良品
  • ☆シャーマンキング 『萬葉集』☆RENGE/藤原尤
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萬葉集卷十六  萬葉集は歌集の王なり。其歌の眞摯に且つ高古なるは其特色にして、到底古今集以下無趣味無趣向なる歌と比すべくもあらず。萬葉中の平凡なる歌といへども之を他の歌集に插(はさ)めば自ら品格高くして光彩を發するを見る。しかも此集今に至りて千年、未だ曾て一人の之を崇尚する者あるを聞かず。眞淵の萬葉を推したるは卞和(べんくわ)の玉を獻じたるに比すべきも、彼猶此玉を以て極めて瑕瑾(かきん)多き者となしたるは、善く玉を知らざりしがためなり。眞淵は萬葉に善き歌と惡き歌とありといふ。歌に善きと惡きとあるは何の集か然らざらん。然るに特に萬葉に於てしかいふ者は萬葉には殊に惡歌多き事を認めたるに非るか。萬葉に於て殊に惡歌多しといふ裏面には古今、拾遺|抔(など)が比較的に善く精選せられたるを意味するに非るか。若し然らば眞淵は萬葉の惡歌を以て古今の惡歌よりも更に惡しとする者にて、余の所見と全く異なる所見を抱き居りし者なり。余は眞淵を以て萬葉を解せざる者と斷言するに躊躇せざるなり。論より證據、眞淵の家集を繙(ひもと)いて彼の短歌長歌の事はこゝに言はず別に論あり)が萬葉の調に近きか古今以下の調に近きかといはゞ無論何人も古今以下の調に近き事を認めざるを得ざるべし。眞淵は口にこそ萬葉善しといへ、其實、腸(はらわた)には古今以下の臭味深く染み込みて終に之を洗ひ去る事能はざりしなり。只彼の歌が多くは字句の細工を斥けて、趣味ある意匠を撰ぶに傾きたるは、當時に在りて極めて卓越せる意見にして、これこそ彼が萬葉より得來りたる唯一の賜(たまもの)なりけめ。されど萬葉の長所はこれに止まらず。眞淵は僅に趣向の半面を見て調子の半面を見得ざりしなり。萬葉の調子の善きは如何なる凡歌といへども眞淵の歌の調子拔けたるが如きはあらず。況んや眞淵は趣向の半面すら其一部分を得たるに過ぎず。萬葉の趣向は眞淵の歌の如く變化少き者にあらざるなり。
 眞淵以後萬葉を貴ぶ者多少之れ有り。されども其萬葉に貴ぶ所は其簡淨なる處、莊重なる處、高古なる處、眞面目なる處に在りて、曾て其他を知らざるが如し。簡淨、莊重、高古、眞面目、此等が萬葉の特色たる事は余亦異論無し。萬葉二十卷、殊に初の二三卷が善く此特色を現して秀歌に富める事は余も亦之を是認す。只萬葉崇拜者が第十六の卷を忘れたる事に向つて余は不平無き能はず。寧ろ此一事によりて余は所謂萬葉崇拜者が能く萬葉の趣味を解したりや否やを疑はざるを得ざるなり。余は試に世人に向つて萬葉第十六卷の歌を紹介し我邦の歌、しかも千年前の歌に此種類の歌ある事を現すと同時に、萬葉集の中に此一卷ある事を知らしめんと思ふなり。
 萬葉第十六卷は主として異樣なる、即ち他に例の少き歌を集めたる者にして、趣向の滑稽、材料の複雜等其特色なり。併し調子は皆萬葉通じて同じ調子なれば如何に趣向に相違あるも其萬葉の歌たる事は一見まがふべくもあらず。左に其一二を擧げんか。〔日本附録週報 明治32・2・27 一〕


さし鍋に湯わかせ子供いちひ津の檜橋より來むきつにあむさむ

 こは狐の鳴くを聞きてよめる歌にて狐に沸湯を浴びせてやらんと戲れしなり。眞率なる滑稽甚だ興あり。

す薦(ごも)敷き青菜煮もてきうつばりにむかばき懸けてやすむ此君

 食事の時の有樣なるべし。或る人が行騰(むかばき)を梁に懸けて休息して居る處へ薦(食事のために敷く者)を敷き菜を煮て持て來たといふ事にて、材料極めて多し。

はちす葉はかくこそあれもおきまろが家なる者はうもの葉にあらし

 うもの葉は芋の葉なり。おきまろは人名なり。これは蓮の葉を見て「これが蓮の葉ぢや、おき丸の内にあるのは芋の葉であつたらう」といふ意なり。無邪氣なる滑稽今人の思ひよらぬ處なり。

玉箒刈りこ鎌麻呂むろの樹と棗(なつめ)がもとゝかき掃かむため

 鎌麿は鎌を擬人法にしたるなり。玉箒は箒木なるべし。我邦に擬人法無しといふ人あれど物を人に擬するは神代記に多く見え歌にも例あり。此卷に鹿と蟹とが自己の境遇を述ぶる長歌二首あり。擬人法の長き者なり。

からたちのうばら刈りそけ倉建てむ屎(くそ)遠くまれ櫛造る刀自

 歌に糞を詠まずといふ人あれど此歌には詠みこみあり。しかも屎まると詠みたり。

勝間田の池はわれ知る蓮無ししかいふ君が鬚無きがごと

 こは人の知れる歌なり。或る人、勝間田の池の蓮を見て歸りて其趣を女に語りけるに女此歌を詠みて戲れたるなり。其實、池には蓮多くあり、其人には鬚多くあるを反對にいへる處滑稽にして面白し。此歌の第二句「池はわれ知る」とあるは「池は蓮無し」といふべき其中へ「われ知る」の一句を插入したる處最も巧なる言葉づかひなり。後世の歌、此變化を知らざるがために單調に墮ち了れり。萬葉調を主張しながら「句の獨立」などくだらぬ論を爲す者は論語よみの論語知らずとやいはん。


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