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三つのなぜ - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

  • 朗読CD 朗読街道30「魔術・妙な話・春の夜」芥川龍之介
  • 「芥川龍之介」 関口安義   岩波新書
  • ◆◇ 芥川龍之介 著「羅生門・鼻」(新潮文庫) ◇◆
  • 朗読CD 朗読街道28「トロッコ・蜜柑・片恋・他」芥川龍之介
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  • 芥川龍之介◆侏儒の言葉・西方の人◆続西方の人収録
  • 別冊毎日グラフ 芥川龍之介 生誕百年、そして今
  • 絶版■芥川龍之介【邪宗門・杜子春】新潮文庫帯/昭和42年/葱.秋
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芥川龍之介    一 なぜファウスト悪魔に出会ったか?  ファウストは神に仕えていた。従って林檎(りんご)はこういう彼にはいつも「智慧(ちえ)の果」それ自身だった。彼は林檎を見る度に地上楽園思い出したり、アダムやイヴを思い出したりしていた。
 しかし或雪上り午後ファウスト林檎を見ているうちに一枚の油画を思い出した。それはどこかの大伽藍(だいがらん)にあった、色彩の水々しい油画だった。従って林檎はこの時以来、彼には昔の「智慧の果」の外にも近代の「静物」に変り出した。
 ファウストは敬虔(けいけん)の念のためか、一度林檎を食ったことはなかった。が或嵐の烈(はげ)しい夜、ふと腹の減ったのを感じ、一つの林檎を焼いて食うことにした。林檎は又この時以来、彼には食物(くいもの)にも変り出した。従って彼は林檎を見る度に、モオゼの十戒思い出したり、油の絵具調合を考えたり、胃袋の鳴るのを感じたりしていた。
 最後に或薄ら寒い朝ファウスト林檎を見ているうちに突然林檎商人には商品であることを発見した。現に又それは十二売れば、銀一枚になるのに違いなかった。林檎はもちろんこの時以来、彼には金銭にも変り出した。
 或どんより曇った午後ファウストはひとり薄暗い書斎林檎のことを考えていた。林檎とは一体何であるか?――それは彼には昔のように手軽には解けない問題だった。彼は机に向ったまま、いつかこの謎(なぞ)を口にしていた。
林檎とは一体何であるか?」
 すると、か細い黒犬が一匹、どこからか書斎へはいって来た。のみならずその犬は身震いをすると、忽(たちま)ち一人騎士に変り、丁寧にファウストにお時宜(じぎ)をした。――
 なぜファウスト悪魔に出会ったか?――それは前に書いた通りである。しかし悪魔に出会ったことはファウスト悲劇の五幕目ではない。或寒さの厳しい夕、ファウスト騎士になった悪魔と一しょに林檎問題を論じながら、人通りの多い街を歩いて行った。すると痩(や)せ細った子供一人、顔中涙に濡(ぬ)らしたまま貧しい母親の手をひっぱっていた。
「あの林檎を買っておくれよう!」
 悪魔ちょっと足を休めファウストにこの子供を指し示した。
「あの林檎を御覧なさい。あれは拷問(ごうもん)の道具ですよ。」
 ファウスト悲劇はこういう言葉にやっと五幕目の幕を挙げはじめたのである。

   二 なぜソロモンシバの女王とたった一度しか会わなかったか?

 ソロモンは生涯にたった一度シバの女王に会っただけだった。それは何もシバの女王が遠い国にいたためではなかった。タルシシの船や、ヒラムの船は三年に一度金銀や象牙(ぞうげ)や猿や孔雀(くじゃく)を運んで来た。が、ソロモンの使者の駱駝(らくだ)はエルサレムを囲んだ丘陵沙漠(さばく)を一度もシバの国へ向ったことはなかった。
 ソロモンはきょうも宮殿の奥にたった一人|坐(すわ)っていた。ソロモンの心は寂しかった。モアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人|等(とう)の妃(きさき)たちも彼の心を慰めなかった。彼は生涯に一度会ったシバの女王のことを考えていた。
 シバの女王美人ではなかった。のみならず彼よりも年をとっていた。しかし珍しい才女だった。ソロモンはかの女と問答をするたびに彼の心の飛躍するのを感じた。それはどういう魔術師星占い秘密を論じ合う時でも感じたことのない喜びだった。彼は二度でも三度でも、――或は一生の間でもあの威厳のあるシバの女王と話していたいのに違いなかった。
 けれどもソロモンは同時に又シバの女王を恐れていた。それはかの女に会っている間は彼の智慧(ちえ)を失うからだった。少くとも彼の誇っていたものは彼の智慧かかの女の智慧か見分けのつかなくなるためだった。ソロモンモアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等の妃たちを蓄えていた。が、彼女等は何といっても彼の精神奴隷だった。ソロモン彼女等を愛撫(あいぶ)する時でも、ひそかに彼女等を軽蔑(けいべつ)していた。しかしシバの女王だけは時には反って彼自身を彼女奴隷にしかねなかった。
 ソロモン彼女奴隷になることを恐れていたのに違いなかった。しかし又一面には喜んでいたのにも違いなかった。この矛盾はいつもソロモンには名状の出来苦痛だった。


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