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三年 - 斎藤 茂吉 ( さいとう もきち )

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  • ◆本◇現代日本文学全集23 S28発行 斎藤茂吉 q
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 と云つても、このといふものは、三十年ぐらゐの気持であつた。荷作したまま荷が動かず、紹介してもらつた丸通の課長でさへ、『斎藤さん、もう手おくれですよ』などと云つたほどであつた。
 渋谷駅に行つて見ると、いはゆる『疎開荷物』といふものが小山ほどに積まれて居る。然(しか)もこの小山ほどといふのは、誇張でない、ぎつしりと隙間(すきま)のないまでに積まれてゐるので、自分は来る度毎(たびごと)に驚き愕(おどろ)いたものである。なぜ驚いたかといふに、まさかこれほど沢山の荷物が集まつて居るとは、想像もしなかつたからである。いつたいこんなに沢山に集まつてゐる荷物はどうして動くのだらうか。空襲は日毎時毎に劇(はげ)しくなつて来る。このまま空襲に会つたら、尽(ことごと)く焼けてしまはねばならぬのである。愕くのはさういふ点にもあつた。そこへ次から次へと荷を満載したトラツクが来る。荷を満載した馬車が来る。汗みどろになつて人の挽(ひ)いて来るリヤカーがあるといつた調子で、かういふ方面に全くの素人である自分の如き者にとつては、『名状すべからざる』光景といふべきものであつた。
 しかるにこの如き状態の荷物は、毎日動いて居るのである。此処(ここ)に集まつた限りの荷物は兎(と)に角(かく)動いて居るのである。名状すべからざるこの光景は少しづつ整理されつつあるのである。自分はこの運輸機関といふものを讃歎したのであつた。『実に偉いものだ』と独語したのであつた。実に『偉大なる存在』として受取れたのであつた。

 自分三月九日の大空襲の時には、東京青山の自宅にゐた。浅草観音堂の焼けたあの大空襲である。あの時は自分病院玄関にも焼夷弾(せういだん)の重いのが三つも落下したのであつた。自分はいよいよ覚悟し、郷里に逃れようとして、四月三四日には上野駅から出発するつもりでゐた。ところが四月一日の朝、義歯の床が割れて居ることに気づいた。これは困つた。郷里には善い歯科医が居ないかも知れない。さうすれば何とかして東京でこの義歯直して行かねばならない。さう思ひ、これまでかかりつけの赤十字社病院前の歯科医を訪ねると、そこは強制疎開のために家を取りこぼつてゐる最中であつた。労働服などを著(き)て埃(ほこり)の中で立働いてゐた。致方(いたしかた)がないので、その近くの歯科をたづねると、いづれも休院か廃院の有様であつた。困つてゐると、渋谷美竹町にある大久保歯科医院を教へてくれた人があつたので、訪ねて応急手当を依頼したところが、大久保氏は特別の好意を寄せられ、義歯の割れたところを大急ぎで修繕してくれた。しかし未(ま)だしつくりしないので四五日その歯科医院に通つた。その間にも毎日のやうに空襲警報が発せられたが、自分はついでに丸通を訪問して、自分の荷を動かしてもらふことに努めた。また、吉田勲生氏の恩頼を受けた。さうして四月中ばに自分上野駅を立つて郷里逃げて行つた。それからも荷がなかなか届かず、殆(ほとん)ど諦(あきら)めてゐたところが、だいぶ経(た)つてから荷が届いた。日用生活品物であつたが、これも彼(か)の小山ほど積まつた荷の名状すべからざる中をくぐり通過して、遙々(はるばる)届けられたのだとおもふと、自分日本運輸機関を祝福し感謝したのであつた。人夫(にんぷ)は自分疎開して居る、十右衛門の炉辺(ろへん)で夕飯を食ひ酒を飲んで帰つて行つた。

 自分は今度三年ぶりで東京へ帰つて来た。さうして某日渋谷駅渋谷駅貨物取扱所をたづねた。無用者立人禁止といふ札がかかつて居り、三年前のあの小山の如き、名状すべからざる荷のありさまと違ひ、フオームにはこぢんまりとして荷が積まれてあつた。自分は今昔の感に堪へぬといつた面持で暫くそこに佇立(ちよりつ)してゐた。それから日本通運株式会社をたづねてみた。そこは一部火災であつたらしいが、その隣に別に新築せられ、課長も替はつて居られた。ここは三年前、自分の屡(しばしば)訪れて荷を依頼したところである。さうして空襲の劇甚なころであつた。今は平和にかへり、機関も益(ますます)整頓せられた。自分此処でも佇立してややしばらく感慨にふけつた。それから美竹町の歯科医院をたづねたが、そのあたり一面が灰燼に帰し、大久保氏の行方も不明であつた。自分其処(そこ)を去つた。

 自分二月一たび山形県上山(かみのやま)町に行き、弟が経営してゐる旅館山城屋に泊つて、疎開相談をしたのであつた。


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