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世界怪談名作集 08 ラッパチーニの娘 アウペパンの作から - ホーソーン ナサニエル ( ホーソーン ナサニエル )

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世界怪談名作集 ラッパチーニの娘 アウペパンの作から ホーソーン Nathaniel Hawthorne 岡本綺堂訳        一  遠い以前のことである。ジョヴァンニ・グァスコンティという一人青年が、パドゥア大学学問研究をつづけようとして、イタリーのずっと南部地方から遙(はる)ばると出て来た。
 財嚢のはなはだ乏しいジョヴァンニは、ある古い屋敷の上の方の陰気な部屋下宿を取ることにした。これはあるパドゥア貴族邸宅ででもあったらしく、その入り口の上には今はすっかり古ぼけてしまったある一家の紋章が表われているのが見られた。自国イタリー有名な偉大な詩を知っていた旅の青年は、この屋敷家族祖先一人、おそらくその所有者たる人は、ダンテの筆によって、かのインフェルノ煉獄永劫(えいごう)呵責(かしゃく)の相伴者として描き出されたものであることを、想いおこされるのであった。これらの回想や連想が、はじめて故郷を去った若者にはきわめてありがちの断腸の思い結び付いて、ジョヴァンニは思わず溜め息をついた。そうして、物さびしい粗末部屋の中をあちらこちらと見まわした。
「おや、あなた」と、リザベッタ老婦人は、この青年の人柄のひどく立派なのに打たれて、この部屋を住み心地のよいように見せようと努めながら声をかけた。
「お若いかたの胸から溜め息などが出るとは、これはどうしたことでございましょう。あなたはこの古い屋敷を陰気だとでも思っていらっしゃるのですか。では、どうぞその窓から首を出してご覧下さい。ナポリと同じようにきらきらした日の光りが拝(おが)まれますよ」
 ジョヴァンニは、老婦人の言うがままにただ機械的に窓から首を突き出して見たが、パドゥア日光が南イタリー日光のように陽気だとは思われなかった。とはいえ、日光は窓の下の庭を照らして、さまざまの植物に恵みある光りを浴びせていた。その植物はまたひとかたならぬ注意をもって育てられたもののように見えた。
「この庭は、お家(うち)のものですか」と、ジョヴァンニは訊(き)いた。
ほんとうに、あなた。あんな植物なぞはどうか出来ないで、それよりももっとよい野菜でも出来したらば……」と、老いたるリザベッタ婦人は答えた。「いいえ、そうではございません。あの庭はジャコモ・ラッパチーニさまが、ご自身の手で作っておいでになります。あの先生は名高いお医者さんで、きっと遠いナポリのほうまでもお名前がひびいていることと思います。先生はあの植物をたいそうつよい魅力を持った薬に蒸溜なさるとかいう噂で、折りおりに先生が働いていらっしゃるのが見えます。またどうかすると、お嬢さままでが庭に生えている珍らしい花を集めているのが見えますよ」
 老婦人は、この部屋の様子について、もう何もかも言い尽くしてしまったので、青年幸福祈りながら出て行った。
 ジョヴァンニはなんの所在もないので、窓の下の庭園をいつまでも見おろしていた。その庭の様子で、このパドゥア植物園は、イタリーはおろか、世界のいずこよりも早く作られたものの一つであると判断した。もしそうでないとすると、もっとも、これはあまり当てにはならないが、かつて富豪の一族の娯楽場か何かであったかもしれない。
 庭園中央には稀に見るほどの巧みな彫刻を施した大理石噴水の跡がある。それも今はめちゃくちゃにこわれてしまって、その残骸はほとんど原形をとどめぬほどになっているが、その水だけは今も相変わらず噴き出して、日光きらきらと輝いていた。その水のさらさらと流れ落ちる小さいひびきは、上にいる青年部屋の窓までも聞こえてくる。この噴水永遠不滅霊魂であって、その周囲の有為転変(ういてんぺん)にはいささかも気をとめずに絶えず歌っているもののように思われるのであった。すなわち、ある時代には大理石をもって泉を造り、またある時はそれを毀(こぼ)って地上に投げ出してしまうような、有為転変の姿も知らぬように――。
 水の落ちてゆく池(プール)の周囲に、いろいろな植物が生い繁っているのを見ると、大きい木の葉や、美しい花の営養には、十分なる水分供給が大切であるように思われた。池の中央にある大理石花瓶のうちに、特にきわだって眼につく一本灌木(かんぼく)があった。その木には無数の紫の花が咲いて、花はみな宝石のような光沢と華麗とをそなえていた。こういう花が一団となって目ざましい壮観を現出し、たとい日光がここに至らずとも、十分に庭を明かるく照らすにたるかのようであった。
 土のあるところには、すべて草木が植えられてある。それらはその豊麗なることにおいて、かの灌木にやや劣っているとしても、なおひとかたならざる丹精の跡がありありと見られた。また、それらの草木は皆それぞれに特徴を有(ゆう)していて、それがその培養者たる科学者にはよく知られているらしく、あるものは多くの古風な彫刻を施した壺のうちに置かれ、また、あるものは普通植木鉢のうちに植えられていた。それらのあるものは蛇のように地上を這いまわり、あるいは心のままに高く這いあがっていた。また、あるものはバータムナスの像のまわりを花環のように取り巻いて、布(きれ)のように垂れさがった枝はその像をすっかり掩(おお)っていた。それらはまこと立派配列されていて、彫刻家にとってはこの上もないよい研究材料であろうと思われた。
 ジョヴァンニが窓の側に立っていると、木の葉の茂みのうしろから物の摺れるような音が聞こえたので、彼は誰か庭のうちで働いているのに気がついた。間もなくその姿が現われたが、それは普通労働者ではなく、黒の学者服を身にまとった、脊丈(せい)の高い、痩せた、土気色をした、弱よわしそうに見える男であった。彼は中年を過ぎていて、髪は半白で、やはり半白の薄い髯(ひげ)を生やしていたが、その顔には知識教養のあとがいちじるしく目立っていた。但(ただ)し、その青春時代にも、温かな人情味などはけっして表わさなかったであろうと思われるような人物であった。
 なにものも及ばぬほどの熱心をもって、この科学者的の庭造り師は、順じゅんにすべての灌木試験していった。彼はそれらの植物のうちにひそんでいる性質を検(しら)べ、その創造的原素の観察をおこない、何ゆえにこの葉はこういう形をしているか、かの葉はああいう形をしているか、また、そのためにそれらの花がたがいに色彩や香気を異にしているのである、というようなことを発見しようとしているらしい。しかも彼自身は、植物についてこれほどの深い造詣(ぞうけい)があるにもかかわらず、彼とその植物との間には、少しの親しみもないらしく、むしろ反対に、彼は植物に触れることも、その匂いを吸うことも、まったく避けるように注意を払っていた。それがジョヴァンニに甚(はなは)だ不快な印象を与えたのであった。
 科学者的庭造り師の態度は、たとえば猛獣とか、毒蛇とか、悪魔とかいうもののような、少しでも気を許したらば恐ろしい災害を与えるような、有害影響を及ぼすもののうちを歩いている人のようであった。庭造りというようなものは、人間労働のうちでも最も単純な無邪気なものであり、また人類のまだ純潔であった時代祖先らの労働と喜悦(きえつ)とであったのであるから、今この庭を造る人のいかにも不安らしい様子を見ていると、青年はなんとはなしに一種の怪しい恐怖をおぼえた。


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