中国怪奇小説集 06 宣室志(唐) - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )
中国怪奇小説集
宣室志(唐)
第四の男は語る。
「わたくしは『宣室志』のお話をいたします。この作者は唐(とう)の張読(ちょうどく)であります。張は字(あざな)を聖朋(せいほう)といい、年十九にして進士(しんし)に登第(とうだい)したという俊才で、官は尚書左丞(しょうしょさじょう)にまで登りました。祖父の張薦(ちょうせん)も有名の人物で、張薦はかの『遊仙窟(ゆうせんくつ)』や『朝野僉載(ちょうやせんさい)』を書いた張|文成(ぶんせい)の孫にあたるように聞いて居ります。
この書も早く渡来しましたので、わが国の小説や伝説に少なからざる影響をあたえているようでございます」
七聖画
唐の長安(ちょうあん)の雲花寺(うんげじ)に聖画殿があって、世にそれを七聖画と呼んでいる。
この殿堂が初めて落成したときに、寺の僧が画工をまねいて、それに彩色画(さいしきが)を描かせようとしたが、画料が高いので相談がまとまらなかった。それから五、六日の後、ふたりの少年がたずねて来た。
「われわれは画を善く描く者です。このお寺で画工を求めているということを聞いて参りました。画料は頂戴するに及びませんから、われわれに描かせて下さいませんか」
「それではお前さん達の描いた物を見せてください」と、僧は言った。
「われわれの兄弟は七人ありますが、まだ長安では一度も描いたことがありませんから、どこの画を見てくれというわけには行きません」
そうなると、やや不安心にもなるので、僧は少しく躊躇(ちゅうちょ)していると、少年はまた言った。
「しかし、われわれは画料を一文も頂戴しないのですから、もしお気に入らなかったならば、壁を塗り換えるだけのことで、さしたる御損もありますまい」
なにしろ無料(ただ)というのに心を惹(ひ)かされて、僧は結局かれらに描かせることにすると、それから一日の後、兄弟と称する七人の少年が画の道具をたずさえて来た。
「これから七日のあいだ、決してこの殿堂の戸をあけて下さるな。食い物などの御心配に及びません。画(え)の具の乾かないうちに風や日にさらすことは禁物ですから、誰も覗(のぞ)きに来てはいけません」
こう言って、かれらは殿堂のなかに閉じ籠ったが、それから六日のあいだ、堂内はひっそりしてなんの物音もきこえないので、寺の僧等も不審をいだいた。
「あの七人はほんとうに画を描いているのかしら」
「なんだかおかしいな。なにかの化け物がおれ達をだまして、とうに消えてしまったのではないかな」
評議まちまちの結果、ついにその殿堂の戸をあけて見ることになった。幾人の僧が忍び寄って、そっと戸をあけると、果たして堂内に人の影はみえなかった。七羽の鴿(はと)が窓から飛び去って、空中へ高く舞いあがった。
さてこそと堂内へはいって調べると、壁画は色彩うるわしく描かれてあったが、約束の期日よりも一日早かったために、西北の窓ぎわだけがまだ描き上げられずに残っていた。その後に幾人の画工がそれを見せられて、みな驚嘆した。
「これは実に霊妙の筆である」
誰も進んで描き足そうという者がないので、堂の西北の隅だけは、いつまでも白いままで残されている。
法喜寺の龍
政陽(せいよう)郡の東南に法喜寺(ほうきじ)という寺があって、まさに渭水(いすい)の西に当っていた。唐の元和(げんな)の末年に、その寺の僧がしばしば同じ夢をみた。一つの白い龍(りゅう)が渭水から出て来て、仏殿の軒にとどまって、それから更に東をさして行くのである。不思議な事には、その夢をみた翌日にはかならず雨が降るので、僧も怪しんでそれを諸人に語ると、清浄の仏寺に龍が宿るというのは、さもありそうなことである。そのしるしとして、仏殿の軒に土細工の龍を置いたらどうだという者があった。
僧も同意して、職人に命じて土の龍を作らせることになった。惜しむらくはその職人の名が伝わっていないが、彼は決して凡手ではなかったと見えて、その細工は甚だ巧妙に出来あがって、寺の西の軒に高く置かれたのを遠方から瞰(み)あげると、さながらまことの龍のわだかまっているようにも眺められた。
長慶(ちょうけい)の初年に、その寺中に住む人で毎夜門外の宿舎に眠るものがあった。彼はある夜、寺の西の軒から一つの物が雲に乗るように飄々(ひょうひょう)と飛び去って、渭水の方角へむかったかと思うと、その夜半に再び帰って来たのを見たので、翌日それを寺僧に語ると、僧もすこぶる不思議に思っていた。
それからまた五、六日の後、村民の斎(とき)に呼ばれて、寺中の僧は朝からみな出てゆくと、その留守の間にかの土龍の姿が見えなくなったので、人びとはまた驚かされた。
「たとい土で作った物でも、龍の形をなす以上、それが霊ある物に変じたのであろう」
こう言っていると、その晩に渭水の上から黒雲が湧き起って、次第にこの寺をつつむように迫って来たかと見るうちに、その雲のあいだから一つの物が躍り出て、西の軒端へ流れるように入り込んだので、寺の僧らはまた驚き怖れた。やがて雲も収まり、空も明るくなったので、かの軒の下にあつまって瞰あげると、土龍は元の通りに帰っていたが、その鱗(うろこ)も角(つの)もみな一面に湿(ぬ)れているのを発見した。
その以来、龍の再び抜け出さないように、鉄の鎖(くさり)をもって繋いで置くことにした。旱魃(かんばつ)のときに雨を祈れば、かならず奇特(きどく)があると伝えられている。
阿弥陀仏
宣城(せんじょう)郡、当塗(とうと)の民に劉成(りゅうせい)、李暉(りき)の二人があった。かれらは大きい船に魚や蟹(かに)のたぐいを積んで、呉(ご)や越(えつ)の地方へ売りに出ていた。
唐の天宝(てんぽう)十三年、春三月、かれらは新安(しんあん)から江を渡って丹陽(たんよう)郡にむかい、下査浦(かさほ)というところに着いた。故郷の宣城を去る四十里(六丁一里)の浦である。日もすでに暮れたので、二人は船を岸につないで上陸した。
そこで、李は岸の人家へたずねて行き、劉は岸のほとりにとどまっていると、夜は静かで水の音もひびかない。その時、たちまち船のなかで怪しい声がきこえた。
「阿弥陀仏、阿弥陀仏」
おどろいて透かして視ると、一尾の大きい魚が船のなかから鬚(ひげ)をふり、首をうごかして、あたかも人の声をなして阿弥陀仏を叫ぶのであった。劉はぞっとして、蘆(あし)のあいだに身をひそめ、なおも様子をうかがっていると、やがて船いっぱいの魚が一度に跳ねまわって、みな口々に阿弥陀仏を唱え始めたので、劉はもう堪(た)まらなくなって、あわてて船へ飛び込んで、船底にあるだけの魚を手あたり次第に水のなかへ投げ込んだ。
全部の魚を放してしまったところへ、李が戻って来た。彼は劉の話をきいて大いに怒った。
「ばかばかしい。おれたちは今夜初めてこの商売をするのじゃあねえ。
この書も早く渡来しましたので、わが国の小説や伝説に少なからざる影響をあたえているようでございます」
七聖画
唐の長安(ちょうあん)の雲花寺(うんげじ)に聖画殿があって、世にそれを七聖画と呼んでいる。
この殿堂が初めて落成したときに、寺の僧が画工をまねいて、それに彩色画(さいしきが)を描かせようとしたが、画料が高いので相談がまとまらなかった。それから五、六日の後、ふたりの少年がたずねて来た。
「われわれは画を善く描く者です。このお寺で画工を求めているということを聞いて参りました。画料は頂戴するに及びませんから、われわれに描かせて下さいませんか」
「それではお前さん達の描いた物を見せてください」と、僧は言った。
「われわれの兄弟は七人ありますが、まだ長安では一度も描いたことがありませんから、どこの画を見てくれというわけには行きません」
そうなると、やや不安心にもなるので、僧は少しく躊躇(ちゅうちょ)していると、少年はまた言った。
「しかし、われわれは画料を一文も頂戴しないのですから、もしお気に入らなかったならば、壁を塗り換えるだけのことで、さしたる御損もありますまい」
なにしろ無料(ただ)というのに心を惹(ひ)かされて、僧は結局かれらに描かせることにすると、それから一日の後、兄弟と称する七人の少年が画の道具をたずさえて来た。
「これから七日のあいだ、決してこの殿堂の戸をあけて下さるな。食い物などの御心配に及びません。画(え)の具の乾かないうちに風や日にさらすことは禁物ですから、誰も覗(のぞ)きに来てはいけません」
こう言って、かれらは殿堂のなかに閉じ籠ったが、それから六日のあいだ、堂内はひっそりしてなんの物音もきこえないので、寺の僧等も不審をいだいた。
「あの七人はほんとうに画を描いているのかしら」
「なんだかおかしいな。なにかの化け物がおれ達をだまして、とうに消えてしまったのではないかな」
評議まちまちの結果、ついにその殿堂の戸をあけて見ることになった。幾人の僧が忍び寄って、そっと戸をあけると、果たして堂内に人の影はみえなかった。七羽の鴿(はと)が窓から飛び去って、空中へ高く舞いあがった。
さてこそと堂内へはいって調べると、壁画は色彩うるわしく描かれてあったが、約束の期日よりも一日早かったために、西北の窓ぎわだけがまだ描き上げられずに残っていた。その後に幾人の画工がそれを見せられて、みな驚嘆した。
「これは実に霊妙の筆である」
誰も進んで描き足そうという者がないので、堂の西北の隅だけは、いつまでも白いままで残されている。
法喜寺の龍
政陽(せいよう)郡の東南に法喜寺(ほうきじ)という寺があって、まさに渭水(いすい)の西に当っていた。唐の元和(げんな)の末年に、その寺の僧がしばしば同じ夢をみた。一つの白い龍(りゅう)が渭水から出て来て、仏殿の軒にとどまって、それから更に東をさして行くのである。不思議な事には、その夢をみた翌日にはかならず雨が降るので、僧も怪しんでそれを諸人に語ると、清浄の仏寺に龍が宿るというのは、さもありそうなことである。そのしるしとして、仏殿の軒に土細工の龍を置いたらどうだという者があった。
僧も同意して、職人に命じて土の龍を作らせることになった。惜しむらくはその職人の名が伝わっていないが、彼は決して凡手ではなかったと見えて、その細工は甚だ巧妙に出来あがって、寺の西の軒に高く置かれたのを遠方から瞰(み)あげると、さながらまことの龍のわだかまっているようにも眺められた。
長慶(ちょうけい)の初年に、その寺中に住む人で毎夜門外の宿舎に眠るものがあった。彼はある夜、寺の西の軒から一つの物が雲に乗るように飄々(ひょうひょう)と飛び去って、渭水の方角へむかったかと思うと、その夜半に再び帰って来たのを見たので、翌日それを寺僧に語ると、僧もすこぶる不思議に思っていた。
それからまた五、六日の後、村民の斎(とき)に呼ばれて、寺中の僧は朝からみな出てゆくと、その留守の間にかの土龍の姿が見えなくなったので、人びとはまた驚かされた。
「たとい土で作った物でも、龍の形をなす以上、それが霊ある物に変じたのであろう」
こう言っていると、その晩に渭水の上から黒雲が湧き起って、次第にこの寺をつつむように迫って来たかと見るうちに、その雲のあいだから一つの物が躍り出て、西の軒端へ流れるように入り込んだので、寺の僧らはまた驚き怖れた。やがて雲も収まり、空も明るくなったので、かの軒の下にあつまって瞰あげると、土龍は元の通りに帰っていたが、その鱗(うろこ)も角(つの)もみな一面に湿(ぬ)れているのを発見した。
その以来、龍の再び抜け出さないように、鉄の鎖(くさり)をもって繋いで置くことにした。旱魃(かんばつ)のときに雨を祈れば、かならず奇特(きどく)があると伝えられている。
阿弥陀仏
宣城(せんじょう)郡、当塗(とうと)の民に劉成(りゅうせい)、李暉(りき)の二人があった。かれらは大きい船に魚や蟹(かに)のたぐいを積んで、呉(ご)や越(えつ)の地方へ売りに出ていた。
唐の天宝(てんぽう)十三年、春三月、かれらは新安(しんあん)から江を渡って丹陽(たんよう)郡にむかい、下査浦(かさほ)というところに着いた。故郷の宣城を去る四十里(六丁一里)の浦である。日もすでに暮れたので、二人は船を岸につないで上陸した。
そこで、李は岸の人家へたずねて行き、劉は岸のほとりにとどまっていると、夜は静かで水の音もひびかない。その時、たちまち船のなかで怪しい声がきこえた。
「阿弥陀仏、阿弥陀仏」
おどろいて透かして視ると、一尾の大きい魚が船のなかから鬚(ひげ)をふり、首をうごかして、あたかも人の声をなして阿弥陀仏を叫ぶのであった。劉はぞっとして、蘆(あし)のあいだに身をひそめ、なおも様子をうかがっていると、やがて船いっぱいの魚が一度に跳ねまわって、みな口々に阿弥陀仏を唱え始めたので、劉はもう堪(た)まらなくなって、あわてて船へ飛び込んで、船底にあるだけの魚を手あたり次第に水のなかへ投げ込んだ。
全部の魚を放してしまったところへ、李が戻って来た。彼は劉の話をきいて大いに怒った。
「ばかばかしい。おれたちは今夜初めてこの商売をするのじゃあねえ。
岡本 綺堂 (おかもと きどう) 以外のオススメ作品
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中国怪奇小説集 06 宣室志(唐) のリンク元
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