中国怪奇小説集 08 録異記(五代) - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )
中国怪奇小説集
録異記
第六の男は語る。
「わたくしの役割は五代という事になっています。昔から五代乱離といいまして、なにしろ僅か五十四年のあいだに、梁、唐、晋、漢、周と、国朝が五たびも変ったような混乱時代でありますので、文芸方面は頗る振わなかったようです。しかしまた一方には、五代乱離といえどもみな国史ありといわれていまして、皆それぞれの国史を残している位ですから、文章まったく地に墜(お)ちたというのではありません。したがって、国史以外にも相当の著述があります。
さてそのなかで、今夜の御注文に応じるには何がよかろうかと思案しました末に、まずこの『録異記』をえらむことにしました。作者は蜀(しょく)の杜光庭(とこうてい)であります。杜光庭は方士(ほうし)で、学者で、唐の末から五代に流れ込み、蜀王の昶(しょう)に親任された人物です。申すまでもなく、この時代の蜀は正統ではありません、乱世に乗じて自立したものですから、三国時代の蜀と区別するために、歴史家は偽蜀などと呼んでいます。その偽蜀に仕えていたので、杜光庭の評判はあまり好くないようですが、単に作物(さくぶつ)として見る時は、この『録異記』などは五代ちゅうでも屈指の作として知られています。彼はこのほかにも『神仙感遇伝』『集仙録』などの著作があります。これから紹介いたしますのは、『録異記』八巻の一部と御承知ください」
異蛇
剣利門(けんりもん)に蛇がいる。長さは三尺で、その大きいのは甕(かめ)のごとく、小さいのも柱の如く、かしらは兎、からだは蛇で、うなじの下が白い。かれが人を害せんとする時は、山の上からくるくると廻転しながら落ちて来て、往来の人を噛むのである。そうして、人の腋の下を啖(く)い破ってその穴から生血を吸う。この蛇の名を板鼻(はんび)といい、常に穴のなかにひそんで、その鼻を微かにあらわしている。鳴く声は牛の吼えるようで数里の遠きにきこえ、大地も為に震動する。住民が冬期に田を焼く時、あるいは誤まって彼を焼き殺すことがあるが、他の蛇に比して脂が多いのみである。
乾符(けんぷ)年中のことである。神仙(しんせん)駅に巨きい蛇が出た。黒色で、身のたけは三十余丈、それにしたがう小蛇の太さは椽(たるき)のごとく、柱のごとく、あるいは十|石(こく)入り又は五石入りの甕(かめ)のごときもの、およそ幾百匹、東から西へむかって隊を組んで行く。朝の辰(たつ)どき(午前七時―九時)に初めてその前列を見て、夕の酉(とり)どき(午後五時―七時)にいたる頃、その全部がようやく行き尽くしたのであって、その長さ実に幾里であるか判らない。その隊列が終らんとするところに、一人の小児が紅い旗を持ち、蛇の尾の上に立って踊りつ舞いつ行き過ぎた。この年、山南の節度使の陽守亮(ようしゅりょう)が敗滅した。
会稽山(かいけいざん)の下に※冠蛇(けいかんだ)というのが棲んでいる。かしらには雄※(おんどり)のような※冠(とさか)があって、長さ一尺あまり、胴まわり五、六寸。これに撃たれた者はかならず死ぬのである。
爆身蛇(ばくしんだ)というのがある。灰色で、長さ一、二尺、人の路ゆく声を聞けば、林の中から飛び出して来て、あたかも枯枝が横に飛ぶように人を撃つ。撃たれた者はみな助からない。
黄願蛇(おうがんだ)は長さ一、二尺、黄金のような色で、石のひだのうちにひそんでいる。雨が降る前には牛のように吼(ほ)える。これも人を撃って殺すもので、四明山(しめいざん)に棲んでいる。
異材
唐の大尉(たいじょう)、李徳裕(りとくゆう)の邸へ一人の老人がたずねて来た。老人は五、六人に大木を舁(か)かせていて、御主人にお目通りを願うという。門番もこばみかねて主人に取次ぐと、李公も不思議に思って彼に面会を許した。
「わたくしの家では三代前からこの桑の木を家宝として伝えて居ります」と、老人は言った。「しかしわたくしももう老年になりました。うけたまわれば、あなたはいろいろの珍しい物をお蒐(あつ)めになっているそうでございますから、これを献上したいと存じて持参いたしました。この木のうちには珍しい宝がございまして、上手な職人に伐らせれば、必ずその宝が見いだされます。洛邑(らくゆう)にその職人が居りますが、その年頃を測ると余ほどの老人になって居りまして、あるいはもうこの世にいないかも知れません。それでも子孫のうちには、その道を伝えられている者があろうと思います。いずれにしても、洛に住む職人でなければ、これを伐ることは出来ません」
李公は受取って、その老人を帰した。それから洛中をたずねさせると、かの職人は果たして死んだあとであった。その子が召されて来て、暫くその木材を睨(にら)んでいたが、やがてよろしゅうございますと引き受けた。
「これはしずかに伐らなければなりません」
その言う通りに切り開いて、二|面(めん)の琵琶の胴を作らせたが、その面(おもて)には自然に白い鴿(はと)があらわれていて、羽から足の爪に至るまで、巨細(こさい)ことごとく備わっているのも不思議であった。ただ、職人が少しの手あやまちで、厚さ幾分のむらが出来たために、一羽の鴿はその翼(つばさ)を欠いたので、李公はその完全なものを宮中に献じ、他の一面を自分の手もとにとどめて置いた。それは今も伝わって民間にある。
異肉
洪州(こうしゅう)の北ざかいの大王埠(たいおうふ)に胡(こ)という家があった。家はもと貧しかったが、五人の子のうちで末子(ばっし)は姿も心もすぐれていて、この子が生まれてからは、その家がだんだんに都合がよくなって、百姓仕事も繁栄にむかい、家計もいよいよ豊かになったので、近所の者も不思議がっていた。
さてそのなかで、今夜の御注文に応じるには何がよかろうかと思案しました末に、まずこの『録異記』をえらむことにしました。作者は蜀(しょく)の杜光庭(とこうてい)であります。杜光庭は方士(ほうし)で、学者で、唐の末から五代に流れ込み、蜀王の昶(しょう)に親任された人物です。申すまでもなく、この時代の蜀は正統ではありません、乱世に乗じて自立したものですから、三国時代の蜀と区別するために、歴史家は偽蜀などと呼んでいます。その偽蜀に仕えていたので、杜光庭の評判はあまり好くないようですが、単に作物(さくぶつ)として見る時は、この『録異記』などは五代ちゅうでも屈指の作として知られています。彼はこのほかにも『神仙感遇伝』『集仙録』などの著作があります。これから紹介いたしますのは、『録異記』八巻の一部と御承知ください」
異蛇
剣利門(けんりもん)に蛇がいる。長さは三尺で、その大きいのは甕(かめ)のごとく、小さいのも柱の如く、かしらは兎、からだは蛇で、うなじの下が白い。かれが人を害せんとする時は、山の上からくるくると廻転しながら落ちて来て、往来の人を噛むのである。そうして、人の腋の下を啖(く)い破ってその穴から生血を吸う。この蛇の名を板鼻(はんび)といい、常に穴のなかにひそんで、その鼻を微かにあらわしている。鳴く声は牛の吼えるようで数里の遠きにきこえ、大地も為に震動する。住民が冬期に田を焼く時、あるいは誤まって彼を焼き殺すことがあるが、他の蛇に比して脂が多いのみである。
乾符(けんぷ)年中のことである。神仙(しんせん)駅に巨きい蛇が出た。黒色で、身のたけは三十余丈、それにしたがう小蛇の太さは椽(たるき)のごとく、柱のごとく、あるいは十|石(こく)入り又は五石入りの甕(かめ)のごときもの、およそ幾百匹、東から西へむかって隊を組んで行く。朝の辰(たつ)どき(午前七時―九時)に初めてその前列を見て、夕の酉(とり)どき(午後五時―七時)にいたる頃、その全部がようやく行き尽くしたのであって、その長さ実に幾里であるか判らない。その隊列が終らんとするところに、一人の小児が紅い旗を持ち、蛇の尾の上に立って踊りつ舞いつ行き過ぎた。この年、山南の節度使の陽守亮(ようしゅりょう)が敗滅した。
会稽山(かいけいざん)の下に※冠蛇(けいかんだ)というのが棲んでいる。かしらには雄※(おんどり)のような※冠(とさか)があって、長さ一尺あまり、胴まわり五、六寸。これに撃たれた者はかならず死ぬのである。
爆身蛇(ばくしんだ)というのがある。灰色で、長さ一、二尺、人の路ゆく声を聞けば、林の中から飛び出して来て、あたかも枯枝が横に飛ぶように人を撃つ。撃たれた者はみな助からない。
黄願蛇(おうがんだ)は長さ一、二尺、黄金のような色で、石のひだのうちにひそんでいる。雨が降る前には牛のように吼(ほ)える。これも人を撃って殺すもので、四明山(しめいざん)に棲んでいる。
異材
唐の大尉(たいじょう)、李徳裕(りとくゆう)の邸へ一人の老人がたずねて来た。老人は五、六人に大木を舁(か)かせていて、御主人にお目通りを願うという。門番もこばみかねて主人に取次ぐと、李公も不思議に思って彼に面会を許した。
「わたくしの家では三代前からこの桑の木を家宝として伝えて居ります」と、老人は言った。「しかしわたくしももう老年になりました。うけたまわれば、あなたはいろいろの珍しい物をお蒐(あつ)めになっているそうでございますから、これを献上したいと存じて持参いたしました。この木のうちには珍しい宝がございまして、上手な職人に伐らせれば、必ずその宝が見いだされます。洛邑(らくゆう)にその職人が居りますが、その年頃を測ると余ほどの老人になって居りまして、あるいはもうこの世にいないかも知れません。それでも子孫のうちには、その道を伝えられている者があろうと思います。いずれにしても、洛に住む職人でなければ、これを伐ることは出来ません」
李公は受取って、その老人を帰した。それから洛中をたずねさせると、かの職人は果たして死んだあとであった。その子が召されて来て、暫くその木材を睨(にら)んでいたが、やがてよろしゅうございますと引き受けた。
「これはしずかに伐らなければなりません」
その言う通りに切り開いて、二|面(めん)の琵琶の胴を作らせたが、その面(おもて)には自然に白い鴿(はと)があらわれていて、羽から足の爪に至るまで、巨細(こさい)ことごとく備わっているのも不思議であった。ただ、職人が少しの手あやまちで、厚さ幾分のむらが出来たために、一羽の鴿はその翼(つばさ)を欠いたので、李公はその完全なものを宮中に献じ、他の一面を自分の手もとにとどめて置いた。それは今も伝わって民間にある。
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