中国怪奇小説集 17 閲微草堂筆記(清) - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )
中国怪奇小説集
閲微草堂筆記(清)
第十五の男は語る。
「わたくしは最後に『閲微草堂筆記』を受持つことになりましたが、これは前の『子不語』にまさる大物で、作者は観奕道人(かんえきどうじん)と署名してありますが、実は清(しん)の紀※(きいん)であります。紀※は号を暁嵐(ぎょうらん)といい、乾隆(けんりゅう)時代の進士(しんし)で、協弁大学士に進み、官選の四庫全書を作る時には編集総裁に挙げられ、学者として、詩人として知られて居ります。死して文達公と諡(おくりな)されましたので、普通に紀文達とも申します。
この著作は一度に脱稿したものではなく、最初に『※陽鎖夏録(らんようしょうかろく)』六巻を編み、次に『如是我聞(にょぜがもん)』四巻、次に『槐西雑誌(かいせいざっし)』四巻、次に『姑妄聴之(こもうちょうし)』四巻、次に『※陽続録(らんようぞくろく)』六巻を編み、あわせて二十四巻に及んだものを集成して、『閲微草堂筆記』の名を冠(かぶ)らせたのでありまして、実に一千二百八十二種の奇事異聞を蒐録(しゅうろく)してあるのですから、とても一朝一|夕(せき)に説き尽くされるわけのものではありません。もしその全貌を知ろうとおぼしめす方は、どうぞ原本に就いてゆるゆる御閲読をねがいます」
落雷裁判
清(しん)の雍正(ようせい)十年六月の夜に大雷雨がおこって、献(けん)県の県城の西にある某村では、村民なにがしが落雷に撃たれて死んだ。
明(めい)という県令が出張して、その死体を検視したが、それから半月の後、突然ある者を捕えて訊問した。
「おまえは何のために火薬を買ったのだ」
「鳥を捕るためでございます」
「雀ぐらいを撃つ弾薬(たまぐすり)ならば幾らもいる筈はない。おまえは何で二、三十|斤(きん)の火薬を買ったのだ」
「一度に買い込んで、貯えて置こうと思ったのでございます」
「おまえは火薬を買ってから、まだひと月にもならない。多く費したとしても、一斤か二斤に過ぎない筈だが、残りの薬はどこに貯えてある」
これには彼も行き詰まって、とうとう白状した。彼はかの村民の妻と姦通していて、妻と共謀の末にその夫を爆殺し、あたかも落雷で震死したようによそおったのであった。その裁判落着の後、ある人が県令に訊いた。
「あなたはどうしてあの男に眼を着けられたのですか」
「火薬を爆発させて雷(らい)と見せるには、どうしても数十斤を要する。殊に合薬(ごうやく)として硫黄(いおう)を用いなければならない。今は暑中で爆竹などを放つ時節でないから、硫黄のたぐいを買う人間は極めてすくない。わたしはひそかに人をやって、この町でたくさんの硫黄を買った者を調べさせると、その買い手はすぐに判った。更にその買い手を調べさせると、村民のなにがしに売ったという。それで彼が犯人であると判ったのだ」
「それにしても、当夜の雷がこしらえ物であるということがどうして判りました」
「雷が人を撃つ場合は、言うまでもなく上から下へ落ちる。家屋を撃ちこわす場合は、家根(やね)を打ち破るばかりで、地を傷めないのが普通である。然るに今度の落雷の現場を取調べると、草葺き家根が上にむかって飛んでいるばかりか、土間の地面が引きめくったように剥(は)がれている。それが不審の第一である。又その現場は城を距(さ)ること僅か五、六里で、雷電もほぼ同じかるべき筈であるが、当夜の雷はかなり迅烈であったとはいえ、みな空中をとどろき渡っているばかりで、落雷した様子はなかった。それらを綜合して、わたしはそれを地上の偽雷と認めたのである」
人は県令の明察に服した。
鄭成功と異僧
鄭成功(ていせいこう)が台湾に拠(よ)るとき、粤東(えつとう)の地方から一人の異僧が海を渡って来た。かれは剣術と拳法に精達しているばかりか、肌をぬいで端坐していると、刃で撃っても切ることが出来ず、堅きこと鉄石の如くであった。彼はまた軍法にも通じていて、兵を談ずることすこぶるその要を得ていた。
鄭成功は努(つと)めて四方の豪傑を招いている際であったので、礼を厚うして彼を※待(かんたい)したが、日を経るにしたがって彼はだんだんに増長して、傲慢無礼(ごうまんぶれい)の振舞いがたびかさなるので、鄭成功もしまいには堪えられなくなって来た。且(かつ)かれは清国の間牒(かんちょう)であるという疑いも生じて来たので、いっそ彼を殺してしまおうと思ったが、前にもいう通り、彼は武芸に達している上に、一種の不死身(ふじみ)のような妖僧であるので、迂闊に手を出すことを躊躇(ちゅうちょ)していると、その大将の劉国軒(りゅうこくけん)が言った。
「よろしい。その役目はわたくしが勤めましょう」
劉はかの僧をたずねて、冗談のように話しかけた。
「あなたのような生き仏は、色情のことはなんにもお考えになりますまいな」
「久しく修業を積んでいますから、心は地に落ちたる絮(わた)の如くでござる」と、僧は答えた。
劉はいよいよ戯(たわむ)れるように言った。
「それでは、ここであなたの道心を試みて、いよいよ諸人の信仰を高めさせて見たいものです」
そこで美しい遊女や、男色(なんしょく)を売る少年や、十人あまりを択(え)りあつめて、僧のまわりに茵(しとね)をしき、枕をならべさせて、その淫楽をほしいままにさせると、僧は眉をも動かさず、かたわらに人なきがごとくに談笑自若としていたが、時を経るにつれて眼をそむけて、遂にその眼をまったく瞑(と)じた。
その隙(すき)をみて、劉は剣をぬいたかと思うと、僧の首はころりと床に落ちた。
鬼影
泉(せん)州の人が或る夜、ともしびの前で自分の影をみかえると、壁に映っているのは自分の形でなかった。
不思議に思ってよく視ると、大きい首に長い髪が乱れかかって、手足は鳥の爪のように曲がって尖っている。その影はたしかに一種の鬼であった。しかも、その怪しい影は自分の形に伴っていて、自分の動く通りに動いているのである。大いにおどろいて家内の者を呼びあつめると、その影は誰の眼にも怪しく見えるのであった。
それが毎晩つづくので、その人も怖ろしくなった。家内の者もみな懼(おそ)れた。しかしその子細は判らないので、唯いたずらに憂い懼れていると、となりに住んでいる塾の先生が言った。
「すべての妖はみずから興(おこ)るのでなく、人に因って興るのである。あなたは人に知られない悪念を懐(いだ)いているので、その心の影が羅刹(らせつ)となって現われるのではあるまいか」
その人は慄然(りつぜん)として、先生の前に懴悔(ざんげ)した。
「実はわたくしは或る人に恨みを含んでいるので、近いうちにその一家をみな殺しにして、ここを逃げ去って、賊徒の群れに投じようかと考えていたところでした。今のお話でわたくしも怖ろしくなりました。そんな企ては断然やめます」
その晩から彼の影は元の形に復(かえ)った。
茉莉花
※中(みんちゅう)の或る人の娘はまだ嫁入りをしないうちに死んだ。それを葬ること式(かた)のごとくであった。
それから一年ほど過ぎた後、その親戚の者がとなりの県で、彼女とおなじ女を見た。
この著作は一度に脱稿したものではなく、最初に『※陽鎖夏録(らんようしょうかろく)』六巻を編み、次に『如是我聞(にょぜがもん)』四巻、次に『槐西雑誌(かいせいざっし)』四巻、次に『姑妄聴之(こもうちょうし)』四巻、次に『※陽続録(らんようぞくろく)』六巻を編み、あわせて二十四巻に及んだものを集成して、『閲微草堂筆記』の名を冠(かぶ)らせたのでありまして、実に一千二百八十二種の奇事異聞を蒐録(しゅうろく)してあるのですから、とても一朝一|夕(せき)に説き尽くされるわけのものではありません。もしその全貌を知ろうとおぼしめす方は、どうぞ原本に就いてゆるゆる御閲読をねがいます」
落雷裁判
清(しん)の雍正(ようせい)十年六月の夜に大雷雨がおこって、献(けん)県の県城の西にある某村では、村民なにがしが落雷に撃たれて死んだ。
明(めい)という県令が出張して、その死体を検視したが、それから半月の後、突然ある者を捕えて訊問した。
「おまえは何のために火薬を買ったのだ」
「鳥を捕るためでございます」
「雀ぐらいを撃つ弾薬(たまぐすり)ならば幾らもいる筈はない。おまえは何で二、三十|斤(きん)の火薬を買ったのだ」
「一度に買い込んで、貯えて置こうと思ったのでございます」
「おまえは火薬を買ってから、まだひと月にもならない。多く費したとしても、一斤か二斤に過ぎない筈だが、残りの薬はどこに貯えてある」
これには彼も行き詰まって、とうとう白状した。彼はかの村民の妻と姦通していて、妻と共謀の末にその夫を爆殺し、あたかも落雷で震死したようによそおったのであった。その裁判落着の後、ある人が県令に訊いた。
「あなたはどうしてあの男に眼を着けられたのですか」
「火薬を爆発させて雷(らい)と見せるには、どうしても数十斤を要する。殊に合薬(ごうやく)として硫黄(いおう)を用いなければならない。今は暑中で爆竹などを放つ時節でないから、硫黄のたぐいを買う人間は極めてすくない。わたしはひそかに人をやって、この町でたくさんの硫黄を買った者を調べさせると、その買い手はすぐに判った。更にその買い手を調べさせると、村民のなにがしに売ったという。それで彼が犯人であると判ったのだ」
「それにしても、当夜の雷がこしらえ物であるということがどうして判りました」
「雷が人を撃つ場合は、言うまでもなく上から下へ落ちる。家屋を撃ちこわす場合は、家根(やね)を打ち破るばかりで、地を傷めないのが普通である。然るに今度の落雷の現場を取調べると、草葺き家根が上にむかって飛んでいるばかりか、土間の地面が引きめくったように剥(は)がれている。それが不審の第一である。又その現場は城を距(さ)ること僅か五、六里で、雷電もほぼ同じかるべき筈であるが、当夜の雷はかなり迅烈であったとはいえ、みな空中をとどろき渡っているばかりで、落雷した様子はなかった。それらを綜合して、わたしはそれを地上の偽雷と認めたのである」
人は県令の明察に服した。
鄭成功と異僧
鄭成功(ていせいこう)が台湾に拠(よ)るとき、粤東(えつとう)の地方から一人の異僧が海を渡って来た。かれは剣術と拳法に精達しているばかりか、肌をぬいで端坐していると、刃で撃っても切ることが出来ず、堅きこと鉄石の如くであった。彼はまた軍法にも通じていて、兵を談ずることすこぶるその要を得ていた。
鄭成功は努(つと)めて四方の豪傑を招いている際であったので、礼を厚うして彼を※待(かんたい)したが、日を経るにしたがって彼はだんだんに増長して、傲慢無礼(ごうまんぶれい)の振舞いがたびかさなるので、鄭成功もしまいには堪えられなくなって来た。且(かつ)かれは清国の間牒(かんちょう)であるという疑いも生じて来たので、いっそ彼を殺してしまおうと思ったが、前にもいう通り、彼は武芸に達している上に、一種の不死身(ふじみ)のような妖僧であるので、迂闊に手を出すことを躊躇(ちゅうちょ)していると、その大将の劉国軒(りゅうこくけん)が言った。
「よろしい。その役目はわたくしが勤めましょう」
劉はかの僧をたずねて、冗談のように話しかけた。
「あなたのような生き仏は、色情のことはなんにもお考えになりますまいな」
「久しく修業を積んでいますから、心は地に落ちたる絮(わた)の如くでござる」と、僧は答えた。
劉はいよいよ戯(たわむ)れるように言った。
「それでは、ここであなたの道心を試みて、いよいよ諸人の信仰を高めさせて見たいものです」
そこで美しい遊女や、男色(なんしょく)を売る少年や、十人あまりを択(え)りあつめて、僧のまわりに茵(しとね)をしき、枕をならべさせて、その淫楽をほしいままにさせると、僧は眉をも動かさず、かたわらに人なきがごとくに談笑自若としていたが、時を経るにつれて眼をそむけて、遂にその眼をまったく瞑(と)じた。
その隙(すき)をみて、劉は剣をぬいたかと思うと、僧の首はころりと床に落ちた。
鬼影
泉(せん)州の人が或る夜、ともしびの前で自分の影をみかえると、壁に映っているのは自分の形でなかった。
不思議に思ってよく視ると、大きい首に長い髪が乱れかかって、手足は鳥の爪のように曲がって尖っている。その影はたしかに一種の鬼であった。しかも、その怪しい影は自分の形に伴っていて、自分の動く通りに動いているのである。大いにおどろいて家内の者を呼びあつめると、その影は誰の眼にも怪しく見えるのであった。
それが毎晩つづくので、その人も怖ろしくなった。家内の者もみな懼(おそ)れた。しかしその子細は判らないので、唯いたずらに憂い懼れていると、となりに住んでいる塾の先生が言った。
「すべての妖はみずから興(おこ)るのでなく、人に因って興るのである。あなたは人に知られない悪念を懐(いだ)いているので、その心の影が羅刹(らせつ)となって現われるのではあるまいか」
その人は慄然(りつぜん)として、先生の前に懴悔(ざんげ)した。
「実はわたくしは或る人に恨みを含んでいるので、近いうちにその一家をみな殺しにして、ここを逃げ去って、賊徒の群れに投じようかと考えていたところでした。今のお話でわたくしも怖ろしくなりました。そんな企ては断然やめます」
その晩から彼の影は元の形に復(かえ)った。
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※中(みんちゅう)の或る人の娘はまだ嫁入りをしないうちに死んだ。それを葬ること式(かた)のごとくであった。
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