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丹那山の怪 - 江見 水蔭 ( えみ すいいん )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
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       一  東海道(とうかいどう)は三島(みしま)の宿(しゅく)。本陣|世古六太夫(せころくだゆう)の離れ座敷に、今宵の宿を定めたのは、定火消(じょうびけし)御役(おやく)酒井内蔵助(さかいくらのすけ)(五千石)の家臣、織部純之進(おりべじゅんのしん)という若武士(わかざむらい)で、それは酒井家領地巡検使という役目を初めて承わり、飛地伊豆(いず)は田方郡(たかたごおり)の諸村を見廻りの初旅というわけで、江戸からは若党一人中間(ちゅうげん)二人とを供に連れて来たのだが、箱根(はこね)風越(かざこし)の伊豆相模(さがみ)の国境(くにざかい)まで来ると、早くも領分諸村の庄屋(しょうや)、村役などが、大勢出迎えて、まるで殿様扱いにして了(しま)うのであった。
「出迎えの人数は?」と純之進は本陣に寛居(くつろぎ)ながら問うた。
「ええ、お出迎えにこれまでまいりましたのは、丹那(たんな)、田代(たしろ)、軽井沢(かるいざわ)、畑(はた)、神益(かみます)、浮橋(うきばし)、長崎(ながさき)、七ヶ村の者十一名にござりまする」と丹那の庄屋が一同を代表して答えた。
「おう、左様か。拙者(せっしゃ)箱根下山の際に、ちょっと数えて見たら、十二名のように見受けたが、それでは他の旅人まで数え込んだのであろう」と純之進は格別問題にしなかった。
「さて明日からは、草深い田舎を御巡検で、宿らしい宿は今宵が当分の御泊(おとまり)納(おさ)め。どうか御ゆるりと」
 庄屋達が既に主人役に廻り、吟味の酒肴(しゅこう)を美しい飯盛女に運ばせて、歓待至らざる無しであった。
「や、拙者は酒は好まぬ。食事を取急ぐように」
 純之進は江戸を立つ時に、先輩から注意されて来ているので。うッかり甘い顔を見せると、御馳走政略に載せられて、忽ち田畑凶作を云い立て、年貢御猶予の願いと出て来る。その他いろいろ虫の好い願いを持出すから、決して油断出来ぬという。それを胸に貯えているので、警戒を一層引締て掛ったのだ。
 今度の巡検使は、厳しいか、緩やかなのか、領内の者が脈を引いて見るのは、最初の宿の三島という事に代々極っているのだが、純之進の態度が若きに似ず意外に厳格なので、これは一筋縄では行かぬと覚ったらしかった。
 明くる日は駕(かご)かきの人足まで皆村方から出て来て、その外お供が非常に多かった。三島明神(みょうじん)の一の鳥居前から、右に入って、市ヶ谷(いちがや)、中原(なかはら)、中島(なかしま)、大場(だいば)と過ぎ、平井(ひらい)の里で昼食(ちゅうじき)。それから二里の峠を越して、丹那の窪地に入った時には、お供が又殖えていた。役人はこわい者、機嫌を取っておかぬと後の祟(たた)りが恐ろしいという、そうしたその時代百姓心理を、ゆくりなく初日から示したのであった。
 丹那という土地四方を高い山々で取囲まれていて、窪地の中央(まんなか)に水田があって、その周囲に農家がチラホラとあるに過ぎなかった。
 けれどもここの旧家山田(やまだ)氏というのは、堂々たる邸宅を構え、白壁長屋門、黒塗りの土蔵、遠くから望むと、さながら城廓(じょうかく)の如くに見えるのであった。
 ここにも村々から大勢出迎えていた。山田家の歓迎も一通りでなく、主人は紋服|袴穿(はかまば)きで大玄関に出迎え、直ちに書院案内して、先ず三宝熨斗(のし)を載せて出して、着到を祝し、それから庄屋格だけを次の間に並列さして、改めてお目通りという様な形式に囚(とら)われた挨拶(あいさつ)の後、膳部なども山中とは思われぬ珍味ぞろい。この家ではどうしても杯を手に持たせずには置かなかった。
「さぞ道中御つかれの事と存じまするで、今宵はどうかお早くお寝みを願いまする」
 主人の挨拶を幸いに純之進は漸(ようや)く奥まりたる一間に入るを得、ただ一人打くつろぐ事が出来た。

       二

 これで漸く楽になったと、純之進絹布の夜具の中に入ろうとすると、何者やらソロソロと襖(ふすま)を開いて入来(いりきた)った。見ると地方には稀(まれ)な美しい娘であった。
 これが恐ろしく小笠原流(おがさわらりゅう)で――それで何をするのかと思うと、枕頭(まくらもと)に蒔絵(まきえ)の煙草盆(たばこぼん)を置きに来たに過ぎなかった。
 純之進は無言(だま)ったまま、娘に構わずに寝て終(しま)った。娘はまめまめしく布団の裾(すそ)を叩(たた)きなどしたが、純之進から言葉が無いので、手持なく去った。間もなく又一人、前よりも美しい娘が入来って枕頭に水入の銀瓶と湯呑(ゆのみ)とを置いて行くのであった。これも勿論(もちろん)小笠原流であった。
 又次ぎから、又次ぎから、何か彼(か)か用事を設けては、入替わり立替わり、美しい娘が入り来(きた)った。どれも皆小笠原流。しかし急仕込には相違なかった。余りにドレも型に嵌(はま)り過ぎているのであった。
「ハハァ、これだな」
 純之進は苦笑せずにはいられなかった。先輩から、くれぐれも注意されたのであった。村中での美しい娘を選んで、それを夜の伽(とぎ)に侍(じ)せしめようとするが、決してこれと親しく語り合うてはならぬ。そうすると必らず軟化させられて、知らず知らず領内の者に買収されて、豊作でも凶作のように、虚偽の報告を持ちかえらねばならなくなって、おまけに橋梁の架替えとか、神社仏閣の修繕とかに、主君(おかみ)から補助金を下げられるように、取り成しをしなければならなくなる。老年の者でも、ついこれには引掛かるのだから、若い者はよくよくそこを考えて、謹慎しなければならないというのであった。それで純之進は布団の襟に顔を隠して、後には寝た振をしていたのであった。
 とても成功しないと諦らめたのか。もう女軍襲来は絶えて了ったけれども、純之進は興奮結果、なかなかに眠られなかった。眠られぬまま、昨日からの事をいろいろと考え出している中に、どうも合点の行かぬ事が一ツあるのであった。
 昨日箱根山中で、誤って出迎えの人数の中に数え若者が、今日もまた矢張見えたのであった。
 大場から平井、丹那の山に入ってからは、幾度となく駕(かご)の側まで来て、何か訴えたいような表情をしては、切出しかねて、又見えなくなった。しかもその顔色が土気色をしていて、月代(さかやき)が延びて、髪の結びもみだれて、陰気この上もない挙動なのであった。何か村方の秘事について密告私訴するつもりではなかろうか。そういう風にも取れたのであった。
 スーッと微かに襖を開く音がしたので、純之進びっくりして、今までの追想を打切りにした。


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