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二人いるとき - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
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 習慣になっているというだけの丁寧なものごしで、取次いだ若い女は、 「おそれいりますが少々おまち下さいませ」と引下って行った。  土庇が出ている茶がかった客間なので、庭の梧桐(あおぎり)の太い根元にその根をからめて咲き出ている山茶花(さざんか)の花や葉のあたりを暖かく照らしている陽は、座敷の奥まで入って来ない。多喜子は、座布団の上で洋装の膝をやや崩して坐りながら、細い結婚指輪だけはまっている手をもう一方の手でこすった。床柱も、そこの一輪差しに活けられている黄菊花弁の冷たささえも頬に感じられて来るような室の底冷える空気である。
 暫くぽつんとしていると、廊下のあっちの方で、
お客様にお火をさしあげて?」
と云っている尚子のきき馴れた高い声がした。
「あら。どうして? すぐ持って来て下さいよ、お茶もね」
 区切りのドアが開くと一緒に尚子の言葉がすぐそこに響いた。
「失礼いたしました」
 そこへ出ていた坐布団の上へ両膝をいちどきにおとすように尚子は女学生っぽい挨拶のしようをした。
「御免なさいね、お火もないところでお待たせして」
 多喜子は、大きめの手提鞄をあけて仮縫いにかかっている服をとり出した。
「すぐなさいます?」
「もう少しあったまってからにしようじゃないの。――でも、……おいそぎになるの?」
「いいえ、そうでもないんですけれど……」
「じゃあ、ゆっくりなさいよ。きょうはうちでも珍しくすこし風邪気味でお休みだし――……」
 一二度麻雀に誘われて遊んだりしたことのある良人の幸治のことを云い、尚子は、
「でも、私、ほんとにあなたはお偉いと思うわ」
 丸い柔かいウエーヴのよく似合う顔立ちにいつわりのない色を浮かべて云った。
「よくお仕事お仕事と、いつもきっちり事務的にやっていらっしゃると思うわ。私たちなんかお友達がよったらもうおしまいよ、つい喋っちまって」
「あら。私たちだって、随分だらしないときもありますわ」
「そうかしら。拝見したことないわ」
 困ったような、はにかんだような笑いかたをして多喜子はちょっと居住まいをなおした。関係から云っても、同級であった桃子兄嫁のところへ、ただ洋裁仕事先として多喜子は来ているのであった。
 仮縫いの方を着て尚子が立っている背中の皺にピンをしているところへ、襖の外から、
「いい?」
 声をかけて、桃子が入って来た。
「ちは」
 学生時代のまんまの符牒のような挨拶を、ピンを唇で押えているので口の利けない多喜子に向ってかけ、桃子はすこしはなれたところからぐるりと尚子の立ち姿を見まわした。
「いいじゃないの、なかなか」
「よかったわね、やっぱりこのカラーの型にして」
「そりゃそうさ、お嫂(ねえ)さんたらVにするなんて。そんなのないわ」
 裾の長さまできめてから、多喜子は自分も立ち上って、出来栄えを眺めた。
「思ったよりよかったこと――お袖のところいいかしら? つれません?」
「――いいようよ」
 桃子が、
「原さん、すっかり板についちゃったなあ」
 感歎するように云った。
「本ものになっちゃった。これでお顧客(とくい)さえふえりゃ堂々たるもんだわ」
「ベビー服で降参するだろうって云った人だあれ。せいぜい紹介してよ」
 ピンを肌に刺さないように、そしてまた折角さしたピンを落してしまわないようにと、むき出しの両腕を揃えて頭の上へ高くあげ、それなり半身を前へかがめている尚子の頭の方から、仮縫いの服を脱がしかけていると、廊下を、ゆっくりした足どりのスリッパの音が近づいて来た。尚子が耳敏く、
「お兄様じゃない?」
 桃子に、
ちょっとまって頂いてよ」そう云っているうちに、
「いいですか?」
 すこし改ったような咳払いをして幸治が外から声をかけた。
「だめよ、今入っちゃ。まだ猫に紙袋よ」
 笑いながら桃子が大きい声を出した。
「ほう」
 また咳払いをする声がする。
「はい、どうぞ」
「やがて尚子が自分から幸治のために襖をあけてやった。
「や、しばらくでしたね」
 袷の対を着て、きっちり髪をわけている幸治は、武骨っぽいずんぐりした体つきに似合わない軟かい笑いをたたえて、テーブルのところへゆっくりした動作で坐った。
「随分しばらくお目にかかりませんでしたね」
「ついかけちがって……」
 多喜子はほかに云いようもないのであった。
「おかぜなんですって?」
 すると桃子が、
「やー、お兄様」
とはやし立てた。睨むような眼差しをするうちにも尚子は笑いを抑えられない風である。飲みすぎか、怠けぐらいのところらしい幸治がにやにやしながら、
貧乏ひまなしでやっていますとたまには、病気もなかなかいいところがあるですよ」
 エアシップの灰をおとしながらしかつめらしく云った。
「妙なもので公然と欠勤した日の味はまたちがいましてね、勤人根性ですね」
 増田父親経営している会社子会社へ、若専務として幸治はオースティンで通っているのであった。
 苦労のない三人がストウブのまわりで顔をつき合わせて何や彼やと、やや倦(う)んじたところへ多喜子が来たのも、小さい新しい一つの刺戟であるというらしい暢(の)びやかな、とらえどころのない雰囲気である。
 多喜子が帰るしおを計っていると、幸治が案外の敏感さで、
「まあよろしいでしょう」
ととめた。そして、冗談と十分対手に分らせた物々しさで、
「どうだい、ひとつ多喜子さんに僕たちが何に見えるか鑑定していただこうじゃないか」
と云い出した。
「何に見えるって――何なの?」
 桃子の顔を見ると、桃子火鉢のふちへもたれかかって妙に口元を曲げたなり火箸で灰をいじっていて聞えないようにしている。
「実はきのうは、僕たちの記念日でしてね、ひとつ趣向をかえて御飯でもたべようということにしたんです、或る家でね。細君なのか、細君でないのか、という微妙なところをやって見せようというのに、役者下手駄目なんです。僕がわざと女中の来たときに、あっちのお帰りの時間はいいんですかとか何とか盛んにやるのに、この奴ったら、……」
 尚子は、ふふふふと笑って、
「だって――」
と云ったが、いかにも屈托ない様子で、
「あの女中さん、一向けろりとしていたわね」
 それが寧ろ不思議らしい調子である。
 さっきから黙っていた桃子が頬っぺたに散りかかる髪を払いのけるように火鉢から頭をあげて、
「とにかくお兄様は心臓がつよいわよ」
 何処か突かかるような云いかたをした。
「ところで、多喜子さんにはどう見えますか、夫婦にしか見えませんか」
「だって――ほかにどう見えたらいいんでしょう」
「第三の人物仮定して見ても駄目ですか?」

 ほかならない結婚記念する晩に、わざわざ自分の妻に不貞な妻としての役割をさせ、自分をも不貞な良人と仮定した位置において食事を一緒にする好みとは、何ということなのであろう。女中がけろりとしていたとか何とか、罪のない眼附を良人の顔の上へ注ぎながら云っていた尚子の丸い顔を思い出すと、多喜子はそこにああいう日暮しの人々の結婚生活というもののかげに潜んでいる非常に恐ろしい、唾棄するようなものが、尚子にも気附かれずのぞき出しているのを感じた。帰りかける多喜子を送って玄関へ出て来た幸治夫婦が、計らずものの拍子でくっつき合った互の肩をそのまま並べ、上機嫌で、
「さようなら」
「じゃまた、御ゆっくりね」
と晴々した声を揃え、多喜子に向って手をふって別れを告げた彼等のもつれあった姿を目に泛べて、一方に何か全く普通娯楽ででもあるかのように話されたそのことを考え合わせると、多喜子にはそういう人々の生きている感情の奇怪さが迫った。この頃はいつ召集があるかもしれないような事情のなかで、自分たちが本気でそれを守り高めようとして暮している夫婦生活平凡真面目さが、何かに嘲弄されているような嫌な気もするのであった。
 北向きの三畳が多喜子の家では仕事部屋になっていて、東の高窓際にミシンがおかれ、仕事テーブルアイロン台と、順に低い一間の明り窓に沿って並んでいる。赤い三徳火鉢炭団(たどん)を埋めたのを足煖炉代りにして、多喜子はもって帰った尚子の仮縫いの服の仕事をしていたのであったが、暫くするとそれをやめてテーブルへ置いた。


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