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二合五勺に関する愛国的考察 - 坂口 安吾 ( さかぐち あんご )

  • 即決★『愛国者のゲーム』上・下★トム・クランシー 文春文庫
  • ◆N-05718 テレカ 鉄道 愛国から幸福へ 1枚
  • さつき園職人直売233 愛国(新木)極太
  • ■戦前絵葉書・愛国第百十二(不動貯金)号の雄姿1枚袋付
  • ☆当時物 三狂連 スペクター ステッカー CRS 暴走族 愛国 旧車會
  • 昭和18年陸軍献納飛行機(愛国機)に関する写真・印刷物
  • ヴィンテージ デカンター 愛国者 ポール・リビア McCORMICK
  • 【廣樹園】千円スタート 皐月☆愛国P12(樹高:58cm)
  • ☆☆初版【愛国者】深草淑子☆☆切手
  • ★【古写真 昭和戦前】愛国第600戦闘機 陸軍省 2枚組
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 元和寛永のころというと、今から三百三十年前のことだが、切支丹(キリシタン)が迫害されておびたゞしい殉教者があったものだ。幕府の方針は切支丹を根絶しようというのだが、みんな殺そうというのではないので、転向すれば即座にかんべんしてくれるのだから、ひところの共産党弾圧よりもらくだ。転向してもまだ何年か牢屋に入れておくということはやらぬ。そのかわり転向しないと必ず殺す懲役二十年、十五年などとこまかく区別はつけず、例外なしに殺すのだから、全部か皆無か、さっぱりしていて、われわれの常識では、もっとも大いにあっさりと転向したろうとおもうと、そうではない。何万かの人間がもっとも大いによろこんで殺されたというから、勝手がちがうのである。
 この殺しかたにもいろいろとあって、はじめは斬首であったが嬉々として首をさしのべ、ハリツケにかければゼススさまとおなじ死にかただと勇みたつ始末だから、火あぶりにした。苦しめて殺してやれというので、すぐ火に焼けて死なゝいように一間ぐらいはなして薪をつんで火をつけ、着物に火がつくと消してやって長く苦しめるというやりかただが、苦しむのが一時間から数時間、死にいたるまで朗々と祈祷をとなえるもの、観衆に説教するもの、子をだく母は子供だけは苦しめまいとかばいながら、我慢をおし、今にゼススさま、マリヤさまのみもとへゆけるのだからとわが児に叫ぶ。その荘厳には、観衆にまぎれて見物の信徒はますます信教の心をかため、縁のない観衆も死刑執行役人どもまで、感動してかえって信仰にはいるものが絶えないという始末であった。
 温泉岳熱湯ぜめといって、噴火口の熱湯へ縄にくゝってバチャンと落してひきあげ、また、落し、また、ひきあげる。背中をさいて熱湯をそゝぐというのもある。熱湯のかわりに煮えた鉛をそゝぐのもある。鋸で、手と足を一本ずつひき落して、最後に首をひくというのもある。手の指を一本ずつ斬り、つぎに耳を、つぎには鼻をそぐという芸のこまかいのもある。蓑踊りと称するのは、人間を俵につめ、首だけださせて、俵に火をつける。俵のなかのからだが蓑虫のようにビクビクもがくところから蓑踊りと称したという。
 最後に穴つるしというのを発明した。手足を特別な方法で後方に縛して穴の中へ吊りさげるもののようだが、具体的な方式は各人各説、ハッキリしていないようだ。これをやると三四日から一週間ぐらい生きている。そして、へんなふうにもがきつゞけている。妙チキリンなもがきかたで、見ていると、おかしくなり、ばかばかしくなるばかりで、第一、例の祈祷を唱え、説教するための荘厳なるこえがでない。異様に間抜けた呻きごえがもれるばかり、およそ死の荘厳というものがみじんもないから、見物の信徒うんざりしてしまう。そのために、この穴吊しの発明以来、信徒がめっきりと減り、たちまちにして切支丹は亡びてしまったという。もっとも転向のふりをして踏絵をふみ、家にかえってマリヤ観音にお詫びをするという潜伏信徒は、明治にいたるまでつゞいていたのである。
 つまり穴つるしという発明によって刑死荘厳を封じたのが、信教絶滅の有力な原因だったといっぱんに解釈せられているのである。時間問題もあったであろう。時間に勝ちうる人の心はありえないから。しかし、穴つるしがその時間を早めたことも事実ではあった。

          ★

 こういう異常殉教事実をふりかえると、まるでわれわれは別人種の壮烈な信仰と魂を見るような、手のとゞかない感じがする。
 ところが幕末になって、欧米との交渉が再開し、日本在住の外人のために天主堂建設が許されて、第一横浜に、つぎに長崎の大浦に天主堂ができた。横浜のはなくなったが、大浦のは現存し(もっとも戦争でどうなったかは私は知らない)、日本最古の教会、また、洋風の美建築として国宝指定せられている。
 この教会日本在住の外人のためにのみ建てられたもので、日本人信仰は、依然許されていなかった。もっとも見物は許されて、もの好きな日本人のことだから連日見物人のあとを絶つことがなかったが、それらの日本人にむかって神父説教は厳禁せられていた。
 ある日、十何人かの老幼男女の一団がやってきた。あちこち堂内を見物していたが、ほかに見物人のいないのを見ると、突然プチジャン神父のもとへ歩み寄って、マリヤさまはどこ? ときく。マリヤの像の前へ案内すると、あゝ、ほんとにマリヤさま、ゼススさまをだいていらっしゃると、なつかしげに叫んだが、やがてみなみな跪(ひざまず)いて祈りはじめてしまった。
 彼らがプチジャン神父の問いに答えて告げたことは、彼らは浦上のものであり、浦上の村民のほゞ全数は元和寛永のむかしから表むき踏絵をふみ、仏徒のふりをしながら、ひそかにマリヤ観音を拝み、二百余年の潜伏信仰をつたえている、ということだった。話の途中、見物人のくる気配につとはなれて、なにくわぬふうをして、かえっていったという。これが日本における切支丹復活の日だ。
 この日から、神父浦上部落とに熱烈な関係ができたのはいうまでもない。そのうちに明治となり、この事実が発覚した。明治政府はまだ信仰の自由を許しておらぬ。例の王政復古というやつで、宗教神道ひとつ、仏教もつぶしてしまえという反動時代だったから、切支丹復活を許すだんではなかった。何千という浦上部落信徒が老幼男女一網打尽となり、多すぎて牢舎の始末もつかぬから、いくつかの藩に分割して牢にこめられ、とり調べをうけ、棄教をせまられる。
 寒ざらし、裸にして雪の庭へ坐らせるなどとそうとうの拷問もあったようだ。ところが拷問によっては、いっかな棄教せぬ。例の祈祷を唱え、痛苦に堪え、痛苦の光栄に陶酔するものゝごとくますます信仰をかためるというぐあいである。こゝまでは、元和寛永のむかしとかわらぬ。
 ところが、こゝに、意外なことが起った。肉体に加えられる残虐痛苦に対してますます信念をかためるごとき彼らが、たわいもなく何百人、一時に棄教を申しでるというおもわぬことが起って、役人をまごつかせたのである。


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