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五〇年代の文学とそこにある問題 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • ■ 『日本の文学 中野重治』 近代文学日本文学文学評論 ■
  • 清水義範★日本文学全集第1集/世界文学全集第Ⅰ・Ⅱ期/+おまけ
  • *柄谷行人 日本近代文学の起源 講談社文芸文庫版 文学史 即決
  • 貴重文献「九州文学」・第16・第17号・地方文学 レア・絶版
  • 昭和2年発行 日本文学29 佐藤春夫 里見 改造社 文学
  • q/脇田勇 ある英文学徒の遍歴 英文学者/大学教授の回想記 即決
  • 島尾敏雄 死の棘 日本文学大賞・読売文学賞
  • 片岡良一著作集 第八巻『大正文学研究・昭和文学序説』 中央公論
  • 日本児童文学別冊・過度期の児童文学・昭和55年7月10日発行
  • アメリカ文学思潮史―社会と文学 (増補版)
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          一  十二月号の雑誌新聞には、例年のしきたりで、いくたりかの作家評論家によって、それぞれの角度から一九四九年の文壇が語られた。その一年に注目すべき作品を生んだ作家たち、明日に属望される新人も、作品に即してあげられた。
 これらのしめくくりは、しかし、去年という三百六十五日の間にわたしたちが生活文学との肌身へじかにうけて生きて来た激しい暑さ、さむさ、ほこりっぽい複雑さのいろいろを、その深さ、その多面なひろがりそのものにおいて整理したものであると言えたであろうか。少くともわたしは、どこかくさびのぬけた概括が多かったと感じる。そこにあるはずの問題ちゃんとおもてにとり出して、うけるだけの扱いをうけていないように思える。去年の花床として、見わたしておもてに見える高低だけ言われている土のなかには、その花が咲いたら面白いだろうと思う球根が、いくつか放ったらかしになっている。そんな風にも感じる。そして、この感じは、まとめて表現しにくいままに、案外ひろく人々の心のどこかでは感じられている実感ではなかろうかと思う。
 一九四九年は、いい年でなかった。戦後四年めになって、日本社会文化とは、権力がのぞんでいる民主化抑圧の第四の時期を経験した。ワン・マン彼自身が国際茶坊主頭である。茶坊主政治は、護符をいただいては、それを一枚一枚とポツダム宣言の上に貼りつけ、憲法本質を封じ、人権憲章はただの文章ででもあるかのように、屈従の鳥居を次から次へ建てつらねた。
 おととしの十二月二十日すぎに、巣鴨から釈放されて、社会生活にまぎれこんで来た児玉誉士夫安倍源基らの人々の氏名経歴思い出して見れば、それにつづく一九四九年の権力が、そのかげにどんな要素をよりつよく含むようになったかということはおのずから明白でなければならない。過去三年間の経験では、まだ日本の人々の間に民主的な生活感情確立しかねていたうちに、既成の勢力は全力をつくして、一応はびこることに成功した。一九四九年が、国内的に誰にとってもいい年でなかったという現実は、日本民主主義運動のやりかたや、解放運動科学的な理論骨格そのものについて沈潜した再検討を必要とする人々の気持のモメントともなっている。
 この荒い波は、直接間接文学影響を与えずにいなかった。言論機関としてのジャーナリズムがつよい統制、整備のもとにおかれたのは一九四八年からだったが、その方法は、昔からみると比べものにならず技術的であった。ゴロツキ新聞排除用紙配給の是正、購読者の要求への即応という掘割をとおって、戦後小新聞は、民主的な性格のものをふくめて、大企業新聞吸収された。そして、一九四九年の秋の新聞週間には「新聞ゆくところ自由あり」と、記者たち自身にとってもけげんであろうような標語が示された。日配解体、再編成は、集中排除法という経済面から強行されて、三ヵ月以上にわたった出版界の経済封鎖過程では、大出版企業者をのぞく、すべての出版事業がいちじるしい危機にさらされた。こんにち揺がない大出版企業代表者たちが、文化上どのような性質をもつ存在であるかということは、渡米ラッシュの各界代表選出にさいして、出版界だけが人選にゆき悩んでいる実状に語られている。
 一九四九年度文学現象の特質は、このつくられた恐慌の裏づけぬきに観察されない。「所謂戦後派と言われたヨーロッパ小説方法の実践者の運動が、出版景気の減退に伴って不利になって来た」(日本文芸家協会編『創作代表作選集』第四の序文――伊藤整)不利は、物的事情にとどまらず、業者とその気分に雷同する一部作家間に、もうアプレ・ゲールでもないだろう、と咲きのこりの昼顔でも見るような態度をひきおこした。皮肉なことは、戦後派とよばれた近代文学同人たちの大部分が、前年の下半期から一九四九年をとおして、インテリゲンチャとしてそれぞれに着目すべき社会文学前進を行っていたことである。個人主義の開花時代近代ヨーロッパ文学精神を、日本窒息させられていた「自我」「主体」の確立の主張の上に絵どる段階から成長して来て、日本社会現実のうちで自我存在させ発展させるそのことのためにも、日本ではすべての市民に共通な基本的な人権の擁護が必要であることが把握されはじめた。世界ファシズム戦争挑発に対する抵抗組織することが、世界人民歴史の課題であり、世界文学につながる日本文学の新しい世紀精神であることが実感されて来て、そのための実践も着手されていたのである。
 したがって、出版恐慌理由として、これらの戦後派の先輩たちがジャーナリズムの上にうけた不利――すなわち、社会文学的発言の範囲の縮小の本質は、とりもなおさず、理性に立つ現実探求の精神の主張、国の内外のファシズム戦争挑発に対する抗議抵抗の削減であった。
 この方法成功したことは、一部作家にとって、寒心すべきことでもなかったし、未来のために警戒するべきことともうけとられていない。むしろ、既成勢力の安定感として感じとられている。『群像十二月号の創作月評座談会で、林房雄が、深刻ぶり、ということについて語っている気分、ポーズに、はっきりあらわれている。自己陶酔と独善にうるさい覚醒をもとめてやまない近代精神理性へのよび声そのものが、この種類の作家たちには気にそまない軽蔑すべきことであるのだろう。
 過去三年の間、戦争に協力したという事情から消極な生活にあった作家群が、一九四九年に入ってからは、顔をそろえてぞっくりと登場した。むかし『新潮』などの慣例であった月評座談会の形式が『文学界その他に新しい文学行政的顔ぶれで復活した。その席では、二十世紀のこの時期に動いている世界社会の苦悩、相剋、発展へのつよい意欲とその実験にかかわる文学の、原理的な諸問題について究明される態度は全く消された。印象批評と放談のうちに、ジャーナリズム読者とに対するある種のデモンストレーションが行われ、批評は個々人の印象批評にとどまった。よかれ、あしかれ、日本民主主義文学運動にふれたり、それをまともに論議したりすることは、語り手自身のファッション・ショウめいているそのような場面ではもう|流行はずれ(アウト・オブ・ファッション)の気風がつくられた。民主評論家沈黙し、ジャーナリズム釣り出した新人でない若い作家のための場面のゆとりは奪われた。次の戦争利用することのできる八千五百万の人口計算されているその日本人民の数のうちに在りながら、野暮な詮議はどこかのひと隅へおしこんで、望月のかけるところない群々の饗宴がつづいた姿だった。(民主主義文学運動が一九四九年に入ってのびのびと展開しなかった理由には、このような外部からの事情にからんできわめて複雑で、興味の深い研究課題が内在している。それは、こんにちの政治文学政治の優位性と云われるもの、性格に関する問題であって、その点は別項でふれて見たい。)

          二

 前年までの肉体文学は、よりひろい風俗文学中間小説とよばれる読(よみ)もの小説の氾濫に合流した。これらの文学は、戦争中、こぞってそのほとんどが戦争肯定をしていたように、きょうはきょうなりのなまぐさい風のまにまに、こまかく深く考えること無用。自分から頭と心を働かして現実を眺めること無用。ラジオの娯楽版、大人子供世界をひたす漫画とともに、愚民教育掘割の幅をひろげた。一九四九年に、この近代擬装エナメルの色どりはげしいギラギラした流れの勢が、どのように猛烈であったかについて『人間十二月号の丸山真男高見順対談の中で、高見順が次のように云っている。
芸術家の方も自重しませんと……。終戦後のわれわれの恥を云えば、作家態度が、一種のセンセーショナリスムをねらうみたいになってしまってね。人の魂に小さな声で囁きかけてゆくのでは駄目で、往来の真ン中で、わあッと大声をあげる式でないと、声が聴えないのです。そのかわり大きな声をたくさん出せればいいわけです。明治以来こんなことは、はじめてでしょう。


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