人外魔境 10 地軸二万哩 - 小栗 虫太郎 ( おぐり むしたろう )
人外魔境
地軸二万哩
魔境からの使者
――折竹氏、中央亜細亜(トルキスタン)へゆく。世界の屋根、パミール高原中の大魔境「大地軸孔(カラ・ジルナガン)」をさぐるため、近日ロンドンを出発、英印連絡空路により、アフガニスタンのグワダールへ赴(おもむ)く予定。
とこんな記事が、ロンドン中の新聞を賑(にぎ)わしたのが、十日ほどまえのこと。英帝皇后ご同列の米大州ご訪問や、アラビアオーマン国の王子ご新婚などに併せ……ともあれ、スペースを食った大物記事の一つ。それが、十日ばかり後に大難関に逢着(ほうちゃく)し、あれよあれよという間に折竹参加という、大|報道価値(ニュースヴァリュ)がかき消えてしまうとは……
というのは、次のような声明書、「大地軸孔(カラ・ジルナガン)」行きを断念するという意外な折竹の発表が、朝刊締切後の深更の各社をおどろかした。
――ドイツルフト・ハンザ航空会社の主唱になる「大地軸孔」探検に小生は不参加の意を表明す。なお、同探検隊が小生の攻撃計画を採用するも、それにはなんの異議なきものなり。鍵十字旗(ハーケン・クロイツ)の、魔境に翻えるを祈りて。
これには、各社ともアッと目を剥(む)いたのである。なんてこった、じぶんが計画をたて隊長にまでなりながら、まさに出発という間際にスイと身を退くなんて……これまで度胸六分の戦車的突進を誇りとした彼を思えば、ますます分らなくなってくる。きっと、これには事情があるのだろう。ただ心境の変化、電撃的翻意くらいで、そう易々(やすやす)と片付けられるものではあるまい。と、事の真相を測りかねた各社の猛者(もさ)連が、翌朝折竹の宿へ目白押しに押しかけてきた。
彼が泊まっている「マルバーン・ハウス」というのは、ロンドンの西郊チェルシー区にある。この区はロンドンの芸術家街(クワルチェ・ラタン)といわれ、都心を遠くはなれた川沿散歩道(チェイン・ウォーク)のしずけさ。が、いま部屋のなかは喧囂(けんごう)たる有様だ。「タイムス」「デリー・テレグラフ」をはじめ各国の特派員。なかには、前作、「第五類人猿」のアマゾン奥地探検のとき関係のあった、「世界新報(エル・ウニヴェルサル)」というペルー新聞までがいる始末。
心境の御変化はどういう理由で……あなた個人の、身辺的事情?……それとも、土地柄政治的原因で……と包囲攻撃のなかで静かに莨煙(けむり)をたて、折竹は憮然とガウンの紐をいじっている。やがて、鎮まるのを待って、ニッと笑い、
「別に、どうこういうような派手派手しい理由はない。風……。僕の翻意の原因は、風にある」
「へえ。風がね」
とロイド眼鏡をひからせてまっ先に乗り出してきたのが、「スター紙」の山岳通マクブリッジ君。
「つまり、仰言(おっしゃ)る意味の風は、季節風(モンスーン)でしょうね。しかしそれはとうに計画(プラン)のなかへ織り込みずみじゃありませんか。季節風の影響のない五、六月中に、探検を完了するというのが既定の計画だとしたら風の影響などは何もないじゃないですか。むしろ、驚異の征服をなし遂げた、引き上げ時にですね、季節風(モンスーン)の猛雨くらいあるほうが、劇的でいいですよ。征服者折竹の風貌いよいよ颯爽(さっそう)となり……映画班も悦ぶし、われわれも助かる」
「ハッハッハッハ、人の苦しみを悦ぶのは、ジャーナリストくらいだろう。だが、季節風以外にも、風の問題はあるよ」
と、きっぱり言われてもパミールの辺りで、風の問題といえば季節風以外にはない。はてなと、誰にも見当がつかないところへ、
「なんだ、諸君は分らんのかね」
と、一わたり折竹がぐるぐるっと見廻して、
「風にもよりけりで、いろんな風があるが……、なかでも一番下らんやつに、臆病風というのがある。そいつが、『大地軸孔』だけはぜひお止めなさい。暗剣殺(あんけんさつ)と三りんぼうをゴッタにしたような、あすこへ行けばかならず命はない――と、僕に切実にいうもんだからね。こっちも、考えてみると成程そのとおり。よく、こんな計画でゆく気になったもんだと、再吟味の結果、慄(ぞ)っとなったほどだよ」
最初はくだけた口調で冗談まじりだったのが、しだいに引き緊ってき、悲痛の色さえ帯びてくる。また聴くほうは聴くほうでガンと殴られたように、暫くのあいだなんの声もなかったのだ。
あの、折竹がどうしたというのだろう。猪突(ちょとつ)六分、計画四分という、彼の信条はどこへ行ってしまったのか。と、過去の彼にくらべればあまりな変り方に、まったく、真実「大地軸孔」というところは、彼がいうように征服不可能なのかと、誰しもそう信じてしまったのである。
しかし、ソ連、インドにはさまれた「大地軸孔」の位置。新疆(しんきょう)、パミールからかけて南下しようとするソ連勢力と、必死にインドをまもろうとするイギリスの防衛策。ちょうどその間へ自然の障壁のように「大地軸孔」をふくむアフガニスタン領が伸びている。してみると、いま独逸航空会社(ルフト・ハンザ)が純学術的探検の名目で、この秘境を暴露しようというのが、黙過されるだろうか。ソ連には、ここが明かになれば対印新攻撃路。おそらく天与の好機と、期待しているにちがいない。がそれに反してイギリス側には、この秘境暴露がひじょうな痛手になるのだ。
インドへの道――その間に横たわる大秘密境「大地軸孔(カラ・ジルナガン)」。そうだ、きっと英官辺からの圧迫があったのだろう――と、折竹翻意の理由をこう睨みたい気持が、誰の胸にも疼(うず)いていたのであるが……。国際紛争裡におどる快男子折竹の姿は、まだ彼も言わず、作者も秘、秘である。ではこの、大地軸孔とはいかなる魔所であろうか。
北にパミール高原、西南にはヒンズークシ、南東にはカラコルム。
とこんな記事が、ロンドン中の新聞を賑(にぎ)わしたのが、十日ほどまえのこと。英帝皇后ご同列の米大州ご訪問や、アラビアオーマン国の王子ご新婚などに併せ……ともあれ、スペースを食った大物記事の一つ。それが、十日ばかり後に大難関に逢着(ほうちゃく)し、あれよあれよという間に折竹参加という、大|報道価値(ニュースヴァリュ)がかき消えてしまうとは……
というのは、次のような声明書、「大地軸孔(カラ・ジルナガン)」行きを断念するという意外な折竹の発表が、朝刊締切後の深更の各社をおどろかした。
――ドイツルフト・ハンザ航空会社の主唱になる「大地軸孔」探検に小生は不参加の意を表明す。なお、同探検隊が小生の攻撃計画を採用するも、それにはなんの異議なきものなり。鍵十字旗(ハーケン・クロイツ)の、魔境に翻えるを祈りて。
これには、各社ともアッと目を剥(む)いたのである。なんてこった、じぶんが計画をたて隊長にまでなりながら、まさに出発という間際にスイと身を退くなんて……これまで度胸六分の戦車的突進を誇りとした彼を思えば、ますます分らなくなってくる。きっと、これには事情があるのだろう。ただ心境の変化、電撃的翻意くらいで、そう易々(やすやす)と片付けられるものではあるまい。と、事の真相を測りかねた各社の猛者(もさ)連が、翌朝折竹の宿へ目白押しに押しかけてきた。
彼が泊まっている「マルバーン・ハウス」というのは、ロンドンの西郊チェルシー区にある。この区はロンドンの芸術家街(クワルチェ・ラタン)といわれ、都心を遠くはなれた川沿散歩道(チェイン・ウォーク)のしずけさ。が、いま部屋のなかは喧囂(けんごう)たる有様だ。「タイムス」「デリー・テレグラフ」をはじめ各国の特派員。なかには、前作、「第五類人猿」のアマゾン奥地探検のとき関係のあった、「世界新報(エル・ウニヴェルサル)」というペルー新聞までがいる始末。
心境の御変化はどういう理由で……あなた個人の、身辺的事情?……それとも、土地柄政治的原因で……と包囲攻撃のなかで静かに莨煙(けむり)をたて、折竹は憮然とガウンの紐をいじっている。やがて、鎮まるのを待って、ニッと笑い、
「別に、どうこういうような派手派手しい理由はない。風……。僕の翻意の原因は、風にある」
「へえ。風がね」
とロイド眼鏡をひからせてまっ先に乗り出してきたのが、「スター紙」の山岳通マクブリッジ君。
「つまり、仰言(おっしゃ)る意味の風は、季節風(モンスーン)でしょうね。しかしそれはとうに計画(プラン)のなかへ織り込みずみじゃありませんか。季節風の影響のない五、六月中に、探検を完了するというのが既定の計画だとしたら風の影響などは何もないじゃないですか。むしろ、驚異の征服をなし遂げた、引き上げ時にですね、季節風(モンスーン)の猛雨くらいあるほうが、劇的でいいですよ。征服者折竹の風貌いよいよ颯爽(さっそう)となり……映画班も悦ぶし、われわれも助かる」
「ハッハッハッハ、人の苦しみを悦ぶのは、ジャーナリストくらいだろう。だが、季節風以外にも、風の問題はあるよ」
と、きっぱり言われてもパミールの辺りで、風の問題といえば季節風以外にはない。はてなと、誰にも見当がつかないところへ、
「なんだ、諸君は分らんのかね」
と、一わたり折竹がぐるぐるっと見廻して、
「風にもよりけりで、いろんな風があるが……、なかでも一番下らんやつに、臆病風というのがある。そいつが、『大地軸孔』だけはぜひお止めなさい。暗剣殺(あんけんさつ)と三りんぼうをゴッタにしたような、あすこへ行けばかならず命はない――と、僕に切実にいうもんだからね。こっちも、考えてみると成程そのとおり。よく、こんな計画でゆく気になったもんだと、再吟味の結果、慄(ぞ)っとなったほどだよ」
最初はくだけた口調で冗談まじりだったのが、しだいに引き緊ってき、悲痛の色さえ帯びてくる。また聴くほうは聴くほうでガンと殴られたように、暫くのあいだなんの声もなかったのだ。
あの、折竹がどうしたというのだろう。猪突(ちょとつ)六分、計画四分という、彼の信条はどこへ行ってしまったのか。と、過去の彼にくらべればあまりな変り方に、まったく、真実「大地軸孔」というところは、彼がいうように征服不可能なのかと、誰しもそう信じてしまったのである。
しかし、ソ連、インドにはさまれた「大地軸孔」の位置。新疆(しんきょう)、パミールからかけて南下しようとするソ連勢力と、必死にインドをまもろうとするイギリスの防衛策。ちょうどその間へ自然の障壁のように「大地軸孔」をふくむアフガニスタン領が伸びている。してみると、いま独逸航空会社(ルフト・ハンザ)が純学術的探検の名目で、この秘境を暴露しようというのが、黙過されるだろうか。ソ連には、ここが明かになれば対印新攻撃路。おそらく天与の好機と、期待しているにちがいない。がそれに反してイギリス側には、この秘境暴露がひじょうな痛手になるのだ。
インドへの道――その間に横たわる大秘密境「大地軸孔(カラ・ジルナガン)」。そうだ、きっと英官辺からの圧迫があったのだろう――と、折竹翻意の理由をこう睨みたい気持が、誰の胸にも疼(うず)いていたのであるが……。国際紛争裡におどる快男子折竹の姿は、まだ彼も言わず、作者も秘、秘である。ではこの、大地軸孔とはいかなる魔所であろうか。
北にパミール高原、西南にはヒンズークシ、南東にはカラコルム。
小栗 虫太郎 (おぐり むしたろう) 以外のオススメ作品
人外魔境 10 地軸二万哩 のリンク元
「人外魔境 10 地軸二万哩-小栗 虫太郎」の関連ページ
-
サンタ絵合作2009 - 新都社 祭り絵&レビュー保管庫 - 新都社 祭り絵&レビュー保管庫
サンタ絵合作2009 2009年12月10日~25日 サンタさん集まれ~!20091 真純 先生 えりえる 先生七靴 先生 狂町虫太郎 先生2 SisoG.74ers 先生 アン -
鳩山ですが他人の褌で相撲とってません 10/25 - 帝國SS @ ウィキ - 帝國SS @ ウィキ
公陣営は何の代償も払わずに、勝利の果実だけゲットってことになっちゃわない?399 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/10/26(月) 002811 ID???390 シル子うわあ、人外魔境 -
単行本:お行-14 - 古書 吉祥寺書店 - 古書 吉祥寺書店
1刷5,000 装丁:内田巌 Ao1871太田 経子 渇き講談社 1957.11.201刷900函付 Ao1881小栗 虫太郎 絶景万国博覧会桃源社 1970.09.25初2,500函付 -
【ドラゴンクエスト ダイの大冒険】 - DQ大辞典を作ろうぜ!! 第二版 - DQ大辞典を作ろうぜ!! 第二版
王からは逃げられない」などニヤリとする台詞回しなどに定評があった。 後半あたりから作品独自のストーリー展開やキャラクター毎の設定を深める方向にシフトし、勧善懲悪ではない本筋や 掲載誌の空気もあってかかなり人外魔境な戦闘(オリ -
張遼 - ニコニコMUGENwiki - ニコニコMUGENwiki
将に命じている。…ここまで正史『三国志』張遼伝・呉主権伝・淩統伝に記載された。人外魔境っぷりでは本多忠勝といい勝負である。この時のトラウマから、呉では「遼来、遼来(張遼が来るぞ)!」と言うと泣く子も黙った、という。『演義 -
トライアルデッキF(ファイト!) - Project Revolution wiki - Project Revolution wiki
ート水着の静紅七瀬成恵沙原くぐる土宮神楽(TDF-14)ストラテジーカード目からビームパン食い競争石鹸の記憶ケロボールトラップカード人外魔境裏地の無い水着収録作品 エンターブレインらぶドルDuel Dolls吉永 -
狼男と暴走絵師 ソードワールド112th - ソスレ糞鬱シナリオ保管庫 - ソスレ糞鬱シナリオ保管庫
組織が追ってくる。やがてその襲撃で船が壊れ、PC達は漂着する。そこから人外魔境を延々と旅をし、なんとか生息地の傍まで辿りつく。しかし、そこには密売組織の拠点があったのだ。そこで捕まり、怪物をけしかけられるPC達。間一 -
小栗旬 監督に - izu6105 @ ウィキ - izu6105 @ ウィキ
初めて、映画監督にチャレンジした小栗旬さん。小栗旬さんの映画、注目ですね。 ヤフーニュース小栗旬 関連商品はこちら小栗旬 -
小栗判官まつり - 歴史まつり@ウィキ - 歴史まつり@ウィキ
まつりページのテンプレートです概略説明茨城県筑西市で開催される歴史まつり第20回 小栗判官まつり日時 2009年12月6日(日) 900~1600 (雨天決行) 会場:メイン会場 筑西 -
【さ】 - SRCシナリオレビューwiki - SRCシナリオレビューwiki
意志 DL 人外魔境伝 DL 神将戦記 スペクトラルストーンズ DL 真説・異能戦役 DL 新世紀エヴァンゲリオン アナザー DL 新世紀ジャイアント錬金術師 DL 新・スー
