仇討姉妹笠 - 国枝 史郎 ( くにえだ しろう )
袖の中には?
舞台には季節にふさわしい、夜桜の景がかざられてあった。
奥に深々と見えているのは、祗園辺りの社殿(やしろ)であろう、朱の鳥居や春日燈籠などが、書割の花の間に見え隠れしていた。
上から下げられてある桜の釣花の、紙細工の花弁が枝からもげて、時々舞台へ散ってくるのも、なかなか風情のある眺望(ながめ)であった。
濃化粧の顔、高島田、金糸銀糸で刺繍(ぬいとり)をした肩衣(かたぎぬ)、そうして熨斗目(のしめ)の紫の振袖――そういう姿の女太夫の、曲独楽使いの浪速(なにわ)あやめが、いまその舞台に佇みながら、口上を述べているのであった。
「独楽のはじまりは唐の海螺弄(はいまわし)、すなわち海の螺貝(らがい)を採り、廻しましたのがそのはじまり、本朝に渡来いたしまして、大宮人のお気に召し、木作りとなって喜遊道具、十八種の中に数えられましたが、民間にはいってはいよいよますます、製法使法発達いたし、浪速の建部四国(たてべしこく)太夫が、わけても製法使法の達人、無双の名人にござりました。これより妾(わたし)の使いまする独楽は、その四国太夫の製法にかかわる、直径(さしわたし)一尺の孕(はらみ)独楽、用うる紐は一丈と八尺、麻に絹に女の髪を、綯(な)い交ぜにしたものにござります。……サッと投げてスッと引く、紐さばきを先ずご覧(ろう)じませ。……紐を放れた孕独楽が、さながら生ける魂あって、自在に動く神妙の働き、お眼とめてご覧じ下さりませ! ……東西々々」
こういう声に連れて、楽屋の方からも東西々々という声が、さも景気よく聞こえてきた。
すると、あやめは赤毛氈を掛けた、傍(かたえ)の台から大独楽を取上げ、それへ克明に紐を捲いたが、がぜん左肩を上へ上げ、独楽を持った右手を頭上にかざすと、独楽を宙へ投げ上げた。
次の瞬間に見えたものは、翩翻と返って来た長紐と、鳥居の一所に静止して、キリキリ廻っている独楽とであった。
そうしてその次に起こったことは、土間に桟敷に充ち充ちていた、老若男女の見物が、拍手喝采したことであった。
しかし壮観(みもの)はそればかりではなく、すぐに続いて見事な業が、見物の眼を眩惑(くら)ました。
あやめが黒地に金泥をもって、日輪を描き出した扇を開き、それをもって大独楽を受けたとたんに、その大独楽が左右に割れ、その中から幾個(いくつ)かの小独楽を産み出し、産み出された小独楽が石燈籠や鳥居や、社殿の家根(やね)などへ飛んで行き、そこで廻り出したことであった。
また見物たちは喝采した。
と、この時舞台に近い桟敷で、人々に交って見物していた二十五六歳の武士があったが、
「縹緻(きりょう)も佳(よ)いが芸(げい)も旨(うま)いわい」と口の中で呟いた。
田安中納言家(たやすちゅうなごんけ)の近習役の、山岸主税(やまぎしちから)という武士であった。
色白の細面、秀でた眉、高い鼻、いつも微笑しているような口、細味ではあるが睫毛が濃く、光こそ鋭く強かったが、でも涼しい朗かな眼――主税は稀に見る美青年であった。
その主税の秀麗な姿が、曲独楽定席のこの小屋を出たのは、それから間もなくのことであり、小屋の前に延びている盛場の、西両国の広小路を、両国橋の方へ歩いて行くのが、群集の間に雑って見えた。
もう夕暮ではあったけれど、ここは何という雑踏なのであろう。
武士、町人、鳶ノ者、折助(おりすけ)、婢女(げじょ)、田舎者(おのぼりさん)、職人から医者、野幇間(のだいこ)、芸者(はおり)、茶屋女、女房子供――あらゆる社会(うきよ)の人々が、忙しそうに又|長閑(のどか)そうに、往くさ来るさしているではないか。
無理もない! 歓楽境なのだから。
だから往来の片側には、屋台店が並んでおり、見世物小屋が立っており、幟(のぼり)や旗がはためいており、また反対の片側には、隅田川に添って土地名物の「梅本」だの「うれし野」だのというような、水茶屋が軒を並べていた。
主税は橋の方へ足を進めた。
橋の上まで来た時である、
「おや」と彼は呟いて、左の袖へ手を入れた。
「あ」と思わず声をあげた。
袖の中には小独楽が入っていたからである。
(一体これはどうしたというのだ)
独楽を掌(てのひら)の上へ載せ、体を欄干へもたせかけ、主税はぼんやり考え込んだ。
が、ふと彼に考えられたことは、あやめが舞台から彼の袖の中へ、この独楽を投げ込んだということであった。
(あれほどの芸の持主なのだから、それくらいのことは出来るだろうが、それにしても何故に特に自分へこのようなことをしたのだろう?)
これが不思議でならなかった。
怪しの浪人
ふと心棒を指で摘み、何気なく一捻り捻ってみた。
「あ」と又も彼は言った。
独楽は掌の上で廻っている。
その独楽の心棒を中心にして、独楽の面に幾個(いくつ)かの文字が白く朦朧と現われたからである。
「淀」という字がハッキリと見えた。
と、独楽は廻り切って倒れた。
同時に文字も消えてしまった。
「変だ」と主税(ちから)は呟きながら、改めて独楽を取り上げて、眼に近付けて子細に見た。
何の木で作られてある独楽なのか、作られてから幾年を経ているものか、それが上作なのか凡作なのか、何型に属する独楽なのか、そういう方面に関しては、彼は全く無知であった。が、そういう無知の彼にも、何となくこの独楽が凡作でなく、そうして制作されて以来、かなりの年月を経ていることが感じられてならなかった。
この独楽は直径二寸ほどのもので、全身黒く塗られていて、面に無数の筋が入っていた。
しかし、文字などは一字も書いてなかった。
「変だ」と同じことを呟きながら、なおも主税は独楽を見詰めていたが、また心棒を指で摘み、力を罩(こ)めて強く捻った。
独楽は烈しく廻り出し、その面へ又文字を現わした。しかし不思議にも今度の文字は、さっきの文字とは違うようであった。
「淀」という文字などは見えなかった。
その代わりかなりハッキリと「荏原(えばら)屋敷」という文字が現われて見えた。
「面の筋に細工があって、廻り方の強さ弱さによって、いろいろの文字を現わすらしい」
(そうするとこの独楽には秘密があるぞ)
主税はにわかに興味を感じて来た。
すると、その時背後から、
「お武家、珍しいものをお持ちだの」と錆のある声で言うものがあった。
驚いて主税は振り返って見た。
三十五六の浪人らしい武士が、微笑を含んで立っていた。
上から下げられてある桜の釣花の、紙細工の花弁が枝からもげて、時々舞台へ散ってくるのも、なかなか風情のある眺望(ながめ)であった。
濃化粧の顔、高島田、金糸銀糸で刺繍(ぬいとり)をした肩衣(かたぎぬ)、そうして熨斗目(のしめ)の紫の振袖――そういう姿の女太夫の、曲独楽使いの浪速(なにわ)あやめが、いまその舞台に佇みながら、口上を述べているのであった。
「独楽のはじまりは唐の海螺弄(はいまわし)、すなわち海の螺貝(らがい)を採り、廻しましたのがそのはじまり、本朝に渡来いたしまして、大宮人のお気に召し、木作りとなって喜遊道具、十八種の中に数えられましたが、民間にはいってはいよいよますます、製法使法発達いたし、浪速の建部四国(たてべしこく)太夫が、わけても製法使法の達人、無双の名人にござりました。これより妾(わたし)の使いまする独楽は、その四国太夫の製法にかかわる、直径(さしわたし)一尺の孕(はらみ)独楽、用うる紐は一丈と八尺、麻に絹に女の髪を、綯(な)い交ぜにしたものにござります。……サッと投げてスッと引く、紐さばきを先ずご覧(ろう)じませ。……紐を放れた孕独楽が、さながら生ける魂あって、自在に動く神妙の働き、お眼とめてご覧じ下さりませ! ……東西々々」
こういう声に連れて、楽屋の方からも東西々々という声が、さも景気よく聞こえてきた。
すると、あやめは赤毛氈を掛けた、傍(かたえ)の台から大独楽を取上げ、それへ克明に紐を捲いたが、がぜん左肩を上へ上げ、独楽を持った右手を頭上にかざすと、独楽を宙へ投げ上げた。
次の瞬間に見えたものは、翩翻と返って来た長紐と、鳥居の一所に静止して、キリキリ廻っている独楽とであった。
そうしてその次に起こったことは、土間に桟敷に充ち充ちていた、老若男女の見物が、拍手喝采したことであった。
しかし壮観(みもの)はそればかりではなく、すぐに続いて見事な業が、見物の眼を眩惑(くら)ました。
あやめが黒地に金泥をもって、日輪を描き出した扇を開き、それをもって大独楽を受けたとたんに、その大独楽が左右に割れ、その中から幾個(いくつ)かの小独楽を産み出し、産み出された小独楽が石燈籠や鳥居や、社殿の家根(やね)などへ飛んで行き、そこで廻り出したことであった。
また見物たちは喝采した。
と、この時舞台に近い桟敷で、人々に交って見物していた二十五六歳の武士があったが、
「縹緻(きりょう)も佳(よ)いが芸(げい)も旨(うま)いわい」と口の中で呟いた。
田安中納言家(たやすちゅうなごんけ)の近習役の、山岸主税(やまぎしちから)という武士であった。
色白の細面、秀でた眉、高い鼻、いつも微笑しているような口、細味ではあるが睫毛が濃く、光こそ鋭く強かったが、でも涼しい朗かな眼――主税は稀に見る美青年であった。
その主税の秀麗な姿が、曲独楽定席のこの小屋を出たのは、それから間もなくのことであり、小屋の前に延びている盛場の、西両国の広小路を、両国橋の方へ歩いて行くのが、群集の間に雑って見えた。
もう夕暮ではあったけれど、ここは何という雑踏なのであろう。
武士、町人、鳶ノ者、折助(おりすけ)、婢女(げじょ)、田舎者(おのぼりさん)、職人から医者、野幇間(のだいこ)、芸者(はおり)、茶屋女、女房子供――あらゆる社会(うきよ)の人々が、忙しそうに又|長閑(のどか)そうに、往くさ来るさしているではないか。
無理もない! 歓楽境なのだから。
だから往来の片側には、屋台店が並んでおり、見世物小屋が立っており、幟(のぼり)や旗がはためいており、また反対の片側には、隅田川に添って土地名物の「梅本」だの「うれし野」だのというような、水茶屋が軒を並べていた。
主税は橋の方へ足を進めた。
橋の上まで来た時である、
「おや」と彼は呟いて、左の袖へ手を入れた。
「あ」と思わず声をあげた。
袖の中には小独楽が入っていたからである。
(一体これはどうしたというのだ)
独楽を掌(てのひら)の上へ載せ、体を欄干へもたせかけ、主税はぼんやり考え込んだ。
が、ふと彼に考えられたことは、あやめが舞台から彼の袖の中へ、この独楽を投げ込んだということであった。
(あれほどの芸の持主なのだから、それくらいのことは出来るだろうが、それにしても何故に特に自分へこのようなことをしたのだろう?)
これが不思議でならなかった。
怪しの浪人
ふと心棒を指で摘み、何気なく一捻り捻ってみた。
「あ」と又も彼は言った。
独楽は掌の上で廻っている。
その独楽の心棒を中心にして、独楽の面に幾個(いくつ)かの文字が白く朦朧と現われたからである。
「淀」という字がハッキリと見えた。
と、独楽は廻り切って倒れた。
同時に文字も消えてしまった。
「変だ」と主税(ちから)は呟きながら、改めて独楽を取り上げて、眼に近付けて子細に見た。
何の木で作られてある独楽なのか、作られてから幾年を経ているものか、それが上作なのか凡作なのか、何型に属する独楽なのか、そういう方面に関しては、彼は全く無知であった。が、そういう無知の彼にも、何となくこの独楽が凡作でなく、そうして制作されて以来、かなりの年月を経ていることが感じられてならなかった。
この独楽は直径二寸ほどのもので、全身黒く塗られていて、面に無数の筋が入っていた。
しかし、文字などは一字も書いてなかった。
「変だ」と同じことを呟きながら、なおも主税は独楽を見詰めていたが、また心棒を指で摘み、力を罩(こ)めて強く捻った。
独楽は烈しく廻り出し、その面へ又文字を現わした。しかし不思議にも今度の文字は、さっきの文字とは違うようであった。
「淀」という文字などは見えなかった。
その代わりかなりハッキリと「荏原(えばら)屋敷」という文字が現われて見えた。
「面の筋に細工があって、廻り方の強さ弱さによって、いろいろの文字を現わすらしい」
(そうするとこの独楽には秘密があるぞ)
主税はにわかに興味を感じて来た。
すると、その時背後から、
「お武家、珍しいものをお持ちだの」と錆のある声で言うものがあった。
驚いて主税は振り返って見た。
三十五六の浪人らしい武士が、微笑を含んで立っていた。
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