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俳諧の本質的概論 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

  • 木綿以前の事 柳田国男 岩波文庫★俳諧七部集 芭蕉 民俗学
  • m和本 新柳樽 川柳俳句俳諧 古書古文書
  • 0e0827078◆24冊/正風/芭蕉道統/俳誌俳諧誌/平成8、9年/俳句文学
  • 0e0827082◆18冊/正風/芭蕉道統/俳誌俳諧誌/1985-86年/俳句文学
  • 0e0827076◆24冊/正風/芭蕉道統/俳誌俳諧誌/平成5、6年/俳句文学
  • m和本 傀儡発句集前集 俳句俳諧古書古文書
  • 『図説芭蕉』角川豪華本、函、月報付、岡田利兵衛、俳諧俳句初版
  • 江戸時代語辞典★頴原退蔵&尾形仂★近世上方黄表紙俳諧歌舞伎
  • s和本 芭蕉翁略伝 俳諧人名録2冊揃 惟草庵古書古文書
  • m和本 写本 柏秘伝集 和歌俳句俳諧古書古文書
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 古い昔から日本民族に固有な、五と七との音数律による詩形の一系統がある。これが記紀時代に現われて以来今日に至るまで短歌俳句はもちろん各種の歌謡民謡にまでも瀰漫(びまん)している。この大きな体系の中に古今を通じて画然と一つの大きな線を引いているものが三十一字の短歌である。その線の途中から枝分かれをして連歌が生じ、それからまた枝が出て俳諧(はいかい)連句(れんく)が生じた。発句すなわち今の俳句はやはり連歌時代からこれらの枝の節々を飾る花実のごときものであった。後に俳諧から分岐した雑俳の枝頭には川柳が芽を吹いた。
 連歌から俳諧への流路には幾多の複雑な曲折があったようである。優雅と滑稽(こっけい)、貴族的なものと平民的なものとの不規則に週期的な消長角逐があった。それが貞門(ていもん)談林(だんりん)を経て芭蕉(ばしょう)という一つの大きな淵(ふち)に合流融合した観がある。この合流点を通った後に俳諧は再び四方分散していくつもの別々の細流に分かれたようにも思われる。
 一方において記紀万葉以来の詩に現われた民族国民的に固有な人世観世界観の変遷を追跡して行くと、無垢(むく)な原始的な祖先日本人思想外来宗教哲学影響受けて漸々に変わって行く様子がうかがわれるのであるが、この方面から見ても蕉門俳諧の完成期における作品の中には神儒仏はもちろん、老荘に至るまでのあらゆる思想がことごとく融合して一団となっているように見える。そうして、儒家は儒になずみ仏徒は仏にこだわっている間に、門外の俳人たちはこれらのどれにもすがりつかないでしかもあらゆるものを取り込み消化してそのエッセンスを固有日本人財産にしてしまったように見える。すなわち芭蕉は純日本人であったのである。
 こういう意味において、俳諧本質を説くことは、日本の詩全体の本質を説くことであり、やがてはまた日本人宗教哲学をも説くことになるであろう。しかしそれは容易のわざではない。ここではただそういう意識を心頭に置き、そうしてその上に立って蕉門俳諧そのものの本質に関する若干の管見を述べるよりほかに現在自分の取るべき道はないのである。

 俳諧わが国文化の諸相を貫ぬく風雅の精神発現の一相である。風雅という文字の文献的起原は何であろうとも、日本古来のいわゆる風雅の精神根本的要素は、心の拘束されない自由状態であると思われる。思無邪(おもいよこしまなし)であり、浩然(こうぜん)の気であり、涅槃(ねはん)であり天国である。忙中に閑ある余裕の態度であり、死生の境に立って認識をあやまらない心持ちである。「風雅の誠をせめよ」というは、私(わたくし)を去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹に聞いて、いわゆる格物致知認識大道から自然に誠意正心の門に入ることをすすめたものとも見られるのである。この点で風雅の精神は一面においてはまた自然科学精神にも通うところがあると言わなければならない。かくのごとく格を定め理を知る境界からさらに進んで格を忘れ理を忘るる域に達するを風雅の極致としたものである。この理想はまた一方においてわが国古来のあらゆる芸道はもちろん、ひいてはいろいろの武術の極意とも連関していると見なければならない。また一方においては西欧ユーモアと称するものにまでも一脈の相通ずるものをもっているのである。「絞首台上のユーモア」にはどこかに俳諧のにおいがないと言われない。
 風雅の精神の萌芽(ほうが)のようなものは記紀の歌にも本文の中にも至るところに発露しているように思われる。ただその時代にはそれがまだ寂滅の思想にしみない積極的な姿で現われている。しかるに万葉から古今(こきん)を経るに従って、この精神には外来宗教哲学の消極的保守的色彩がだんだん濃厚に浸潤して来た。すなわち普通意味での寂(さ)びを帯びて来たのである。この寂滅あるいは虚無的な色彩中古のあらゆる文化滲透(しんとう)しているのは人の知るところである。
 しかし本来の風雅の道は決して人を退嬰的(たいえいてき)にするためのものではなかったと思う。上は摂政関白武将より下は士農工商あらゆる階級の間に行なわれ、これらの人々の社会人としての活動生活の侶伴(りょはん)となってそれを助け導いて来たと思われる。風雅の心のない武将は人を御することも下手(へた)であり、風雅の道を解しない商人はおそらく金もうけも充分でなかったであろうし、朝顔の一|鉢(はち)を備えない裏長屋には夫婦げんかの回数が多かったであろうと思われる。これが日本人である。風雅の道はいかなる積極的活動的なる日本にも存在すべきものなのである。
 風雅は自我を去ることによって得らるる心の自由であり、万象の正しい認識であるということから、和歌理想とした典雅幽玄、俳諧の魂とされたさびしおりというものがおのずから生まれて来るのである。幽玄でなく、さびしおりのないということは、露骨であり我慢であり、認識不足であり、従って浅薄であり粗雑であるということである。芭蕉のいわゆる寂(さ)びとは寂(さ)びしいことでなく仏教の寂滅でもない。しおりとは悲しいことや弱々しいことでは決してない。物の哀れというのも安直な感傷や宋襄(そうじょう)の仁(じん)を意味するものでは決してない。これらはそういう自我主観的な感情動きをさすのではなくて、事物の表面の外殻(がいかく)を破ったその奥底に存在する真の本体を正しく認める時に当然認めらるべき物の本情の相貌(そうぼう)をさしていうのである。これを認めるにはとらわれぬ心が必要である。たとえば仏教思想表面的な姿にのみとらわれた凡庸の歌人は、花の散るのを見ては常套的(じょうとうてき)の無常を感じて平凡なる歌を詠(よ)んだに過ぎないであろうが、それは決してさびしおりではない。芭蕉のさびしおりは、もっと深いところに進入しているのである。たとえば、黙々相対して花を守る老翁の「心の色」にさびを感じ、秋風にからびた十団子(とおだんご)の「心の姿」にしおりを感じたのは畢竟(ひっきょう)曇らぬ自分自身の目で凡人以上の深さに観照を進めた結果おのずから感得したものである。このほかには言い現わす方法のない、ただ発句によってのみ現わしうるものをそのままに発句にしたのである。
 寂びしおりを理想とするということは、おそらく芭蕉以前かなり遠い過去にさかのぼることができるであろうということは、連歌に関する心敬(しんぎょう)の言葉からも判読される。「余情」や「面影」を尊び「いわぬところに心をかけ」、「ひえさびたる趣」を愛したのであるが、それらの古人の理想を十二分に実現した最初の人が芭蕉であったのである。
 さび、しおり、おもかげ、余情等種々な符号で現わされたものはすべて対象の表層における識閾(しきいき)よりも以下潜在する真実の相貌(そうぼう)であって、しかも、それは散文的な言葉では言い現わすことができなくてほんとうの純粋意味での詩によってのみ現わされうるものである。


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