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俳諧瑣談 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

  • 木綿以前の事 柳田国男 岩波文庫★俳諧七部集 芭蕉 民俗学
  • m和本 新柳樽 川柳俳句俳諧 古書古文書
  • 0e0827078◆24冊/正風/芭蕉道統/俳誌俳諧誌/平成8、9年/俳句文学
  • 0e0827082◆18冊/正風/芭蕉道統/俳誌俳諧誌/1985-86年/俳句文学
  • 0e0827076◆24冊/正風/芭蕉道統/俳誌俳諧誌/平成5、6年/俳句文学
  • m和本 傀儡発句集前集 俳句俳諧古書古文書
  • 『図説芭蕉』角川豪華本、函、月報付、岡田利兵衛、俳諧俳句初版
  • 江戸時代語辞典★頴原退蔵&尾形仂★近世上方黄表紙俳諧歌舞伎
  • s和本 芭蕉翁略伝 俳諧人名録2冊揃 惟草庵古書古文書
  • m和本 写本 柏秘伝集 和歌俳句俳諧古書古文書
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     一  ドイツの若い物理学者のLというのがせんだって日本遊びに来ていた。数年前にも一度来たことがあるのでだいぶ日本通になっている。浮世絵などもぽつぽつ買い込んで行ったようである。このドイツ人がある日俳句を作ったと言って友だち日本人に自慢をした。それは

鎌倉に鶴がたくさんおりました

というのである。なるほどちゃんと五、七、五の音数律には適合している。いわれを聞いてみると、「昔頼朝時代などには鎌倉へんに鶴がたくさんにいて、それに関連した史実などもあったが今日ではもう鶴などは一羽も見られなくなって、世の中が変わってしまった」という感慨を十七字にしたのだそうである。それを私に伝えた日本理学者は世にも滑稽なる一笑話として、それを伝えたのである。
 なるほどおかしいことはおかしいが、しかし、この話は「俳句とは何か」という根本的な問題を考える場合に一つの参考資料として役立つものであろうと思われる。すなわち、これが俳句になっていないとすれば、何ゆえにそれが俳句になっていないかという質問に対するわれわれの説明が要求されるのである。この説明はそうそう簡単にはできないであろう。
 以上の笑話はまた一方で大多数の外国人がわが俳句というものをどういうふうに、どの程度に理解しているかということを研究する場合に一つの資料となるものであろうと思われる。

     二

 近刊雑誌「東炎」に志田素楓(しだそふう)氏が、芭蕉の古池の句の外国語訳を多数に収集紹介している。これははなはだ興味の深いコレクションである。そのうちで日本人訳者五名の名前を見るといずれも英語にはすこぶる熟達した人らしく思われるが、しかし自身で俳諧の道に深い体験をもっているのかどうか不明な人たちばかりのようである。残りの十人の外国人ももちろん自身に俳句らしい俳句を作ったことのない人たちばかりであるに相違ない。
 俳句を充分に理解しうるためには、その人は立派俳句作り得られる人でなければならないと思われる。はたしてそうだとすれば、これらの十五種の「古池や」の翻訳のうちで、もし傑作があったら、それは単なる偶然に過ぎないであろう。
 一流の俳人で同時に一流の外国語学者でない限り、俳句翻訳には手を下さないほうが安全であろう。
昭和八年十一月渋柿

     三

 故坂本四方太(よもた)氏とは夏目先生千駄木町(せんだぎちょう)の家で時々同席したことがあり、また当時の「文章会」でも始終顔を合わせてはいたが、一度もその寓居をたずねたことはなかった。それにもかかわらず自分は同氏の住み家やその居室を少なくとも一度は見たことがあるような錯覚を年来もちつづけて来た。そうしてそれがだんだんに固定現実化してしまって今ではもう一つの体験の記憶とほとんど同格になってしまっている。どうしてそんなことになったかと考えてみるが、どうもよくはわからない。
 夏目先生何かの話のおりに四方太氏のことについて次のようなことを言ったという記憶がある。「四方太という人は実にきちんとした人である。子供もなく夫婦二人きり全くの水入らずでほんとうに小ぢんまりとした、そうして几帳面生活をしている」といったような意味のことであったと思う。同じようなことを一度ならず何度も聞かされたように思う。
 この、きちんとして、小ぢんまりしているという言葉自分の頭にある四方太氏の風貌ときわめて自然結びついて、それが自分想像スケッチブックのあるページへ「坂本四方太寓居の図」をまざまざと描き上げさせる原動力になったものらしい。その想像画面に現われた四方太の住み家の玄関の前には一面に白い霜柱が立っている。きれいに片付いた六畳ぐらいの居間の小さな火鉢の前に寒そうな顔色をして端然と正座しているのである。
 文章会で四方太氏が自分文章読み上げる少しさびのある音声にも、関西なまりのある口調にも忘れ難い特色があったが、その読み方も実にきちんとした歯切れのいい読み方であった。「ホッ、ホッ、ホッ」と押し出すような特徴ある笑声を思い出すのである。
 ある冬の日本郷通りで会った四方太氏は例によってきちんとした背広外套姿であったが、首には玉子色をしたビロードらしい襟巻をしていた。その襟巻を行儀よく二つ折りにした折り目に他方の端をさし込んだその端がしわ一つなくきちんとそろって結び文の端のように、おたいこ結びの帯の端のように斜めに胸の上に現われていた。こういういで立ちをした白皙無髯(はくせきむぜん)、象牙で刻したような風貌が今でも実にはっきりと思い出されるのである。
 この街頭における四方太氏のいで立ちを夏目先生に報告したら、どういうわけか先生がひどくおもしろがって腹が痛くなるほど笑われたことも思い出すのである。このおかしかったわけは今でもわからない。
 そのころであったと思う。自分白いネルをちょん切っただけのものを襟巻にしていた。それが知らぬ間にひどくよごれてねずみ色になっているのを先生が気にしていた。いつか行ったとき無断で没収され、そうして強制的にせんたくを執行された上で返してくれたことがあった。そのネルの襟巻と四方太氏の玉子色の上等の襟巻との対照もおかしいものの一つではあったかもしれない。
 夏目先生四方太氏のきちんとした日常をうらやましく思うおりもあったかもしれないと思う。先生はきちんとした事が好きであったにかかわらずきちんとしうるためにはあまりに暖かい心臓の持ち主であったかもしれないと思うからである。自分四方太氏にもやさしい親しみを感ずることはできたが、しかしあまりにきちんとして近より難いような気もしたのであった。今日になって漱石四方太二人の俳句文章を並べてみても、この対照が実にはっきり見えるような気がするのはあながち自分ばかりではないかもしれない。

     四

 去年の夏であったか、ある朝玄関へだれか来たようだと思っていると、女中が出ての取り次ぎによると「俳句をおやりになるAさんというかたがお見えになりました」というのである。聞いたことのない名前である。出て見るとまだ若い学生のような人であるが、無帽の着流しで、どこかの書生さんといった風体である。玄関で立ったまま来意を聞くとさげていた小さなふろしき包みを解いて中からだいぶよごれた帳面を出した。


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