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偶感一語 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
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 最近昆虫学の泰斗として名声のあった某理学博士が、突然逝去された報道は、自分に、暫くは呆然とする程の驚きと共に、深い深い二三の反省ともいうべきものを与えました。故博士に就て、自分は何も個人的に知ってはおりません。
 ただ、余程以前、何か講演会の席上で、つい目の前に、博士の精力的な、快活な丸い風貌に接した以外は、文学を通してだけの知己でありました。
 私の周囲にそのくらいの深度の記憶を持った人々は多くあると思います。その中から、幾人ずつか一年のうちに死去せられるのも事実です。けれども、それ等の場合、私の胸に湧いたものは、決して今度経験したようなものではありませんでした。
 或る時には、その方の病名年齢が一種の知識を与えます。ただ、寂寥々とした哀愁が、人生というもの、生涯というものを、未だ年に於て若く、仕事に於て未完成である自分の前途にぼんやりと照し出したのです。
 けれども、その某博士逝去されたという文字を見た瞬間、自分の胸を打ったものは、真個のショックでした。
 どうしようという感じが、言葉に纏まらない以前の動顛でした。
 私は、二度も三度も、新聞記事を繰返して読みながら、台所に立ったまま、全く感慨無量という状態に置かれたのです。
 食事を仕ながら、自分は、種々に自分の心持を考えて見ました。
 親類でもなく、師でも友でも無い、尊敬する一人学者としてのみ間接に、間接に知っている人の死に対して、それ程直接に、純粋に、驚愕と混迷とを感じたのは何故だろう。
 考えの中に浮び上ったのは、第一、その博士夫人に対する自分感情的立場です。
 文学趣味を豊かに蔵され、時折作品なども発表される夫人は、全然未知の方ながら、自分の心持に於て同じ方向を感じずにはおられません。
 お年も未だ若く御良人に対する深い敬慕や、生活に対しての意志が、とにかく、文字を透して知られているだけでも、或る親しみを感じるのは当然でありましょう。
 その方が良人を失われた――而も御良人の年といえば、僅かに壮年の一歩を踏出された程の少壮である。――ここで夫人受けられる悲歎、悲痛な恢復、新らしい生活への進展ということが、私にとって冷々淡々としておられる「ひとごと」ではなくなって来ます。
 逝去報知を手にした時、自分の心に衝上って来た、驚き竦え、考えに沈んだ心持は、恐らく、これ等の見えない原因を背後に持った私自身へのアラームであったのだと思われます。あれ程健康そうに見え、自分の良人に比して、大した年長でも在られない博士死去という事実によって、「どうする?」という直覚的な反問が避け難い力を以て私自身に投げ付けられたのです。
 私が、こうやってこれを書いている心持は、近頃の、何でも婦人雑誌の「問題」にしたがる、いやな流行的亢奮からは非常に遠いものです。
 自分の良人を深く深く愛し、謙遜に、恭々しく、出来るだけの努力でその愛を価値高い、純粋なものに浄化させて行き度いと希(こいねが)う自分は、最も計り難い、最も絶対な一大事として、愛する良人との死別ということをも考えずにはいられなく成ったのです。
 今、自分の心に鎮まり、次第に深大なものになりつつある愛は、それによってどんな影響受けるか。
 どんな径庭によって、どんな進展をするか? 勿論、考えようによっては、これ等のことは事実面接しなければ話にも成らないことかも知れません。或る人は、不吉な空想を逞しゅうするという不快さえ感じるかもしれません。然し、今、静かに、厳し内省自分自身に加える時、私はこれ等のことごとを畏怖なしに考えることは出来ません。
 厳粛な一つのこととして、真剣に成って省察せずにはいられない程、一面からいえば、愛に対する自信が薄弱なのです
 私の全心にとって、今、良人の死を予想することは、一つの恐ろしい空虚を想うことです。激しい困惑や擾乱を内的に予期せずにはいられません。
 私には、たとい良人の形体は地上から消滅しても、彼の全部は、皆、彼との結婚後更生した自己の裡に、確に、間違いなく生きているのだ、という全我的の信仰、安住も持ち得ないのです。
 現在、私の心を満し、霊魂を輝やかせ、生活意識をより強大にしている愛は、本質に於て不死普遍とを直覚させています。
 けれども、若し明日、彼を、冷たい、動かない死屍として見なければならなかったら、どうでしょう
 心が息を窒(つ)めてしまいます。
 私がそれを信じ、それに遵おうと思わずにはいられない愛の理想状態と、真実反省して見出した愛の現状との間には、いかに粗雑な眼も、見逃すことは出来ない径庭が在るのです。至純な愛が発露した時、若しあらゆる具体表現が、自分愛する者にとって、総てよい意味に必要である場合、勿論それは惜しみなく注がれるでしょう。然し、愛する者がそれを要としない場合、愛はその独自な本質から、自足して安らかな筈なのです
 これに、誰でも、真個に人間を、人類を貫いている普遍的な光明である愛の本流に、瞬間でも触れたことのある者は実感されることでしょう。
 率直な表現を許して下されば、今、私は、自分の「真個なもの」によって、結婚した両性の愛は、何も、ちょくちょく顔を見なければおられない筈のものでも無く、自分愛情表現に対して、必ず、同様な方法によって応答して貰わなければ寂寥に堪えないというようなものであるべきでないことは、熟知しているのです。これ等は明に第二次的のものであるのを、よくよく知っています。
 けれども、現在自分にとっては、その第二次的な具体的な表現が、愛の強い信任と同様の重量を持つ場合が多々あるのです。
 従って、自分死去した良人を追慕し、彼が自分の隣に坐っていた時と同様の愛に燃立った時、それに応えてくれる声、眼、彼の全部を持ち得ないのだと想うことは、どれ程の空虚を感じるかということは明かです。
 その空虚予感自分を苦しめます。考えさせずには置きません。
 自分は、単に哲学的思弁によって肯定し得るばかりで無く、全我、全人格を以て、「生くるとも死ぬるとも我等は一つなれば」という悟りの境涯に入り度いのです。
 少くとも、非常場合に、結婚と同様な、一種の人格飛躍で、その域に達し得るだけの叡智を持っていることだけは自信したいのです。
 持ちたい、見たい、語り度い、という執念からは解脱したく、またすべきであると思わずにはいられません。
 現在の、或る時には非常に原始的な愛の爆発を持つ心の状態のままで、不意に、思いもかけず、自分の手から愛する者を奪われたらどうなるでしょう。
 ここに或る一つの場合を考えて見ます。先ず、私が良人を失ったと仮定します。自分非常に、非常に彼を愛していました。死後も同様な、絶間ない愛を抱いているのです。


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