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働く婦人の新しい年 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

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 来年という声は、今日日本のみんなに独特の感じを与えながら迫ってきた。きょうの生活の推しすすめとして今年の暮を考える心、さて来年は、と思う心、それは私たち日本の女にとって、これまでしばしば経験されて来たと同じ種類の年末、年頭の感想ではないように思われる。
 日本の歴史をこめて世界の歴史は本年の間に未曾有の展開を示した。きわめて複雑な利害と力のからみ合いのままでこの年は暮れるであろう。世界史の頁がめくられようとして、その頁が丁度本の綴めの真上のところに来ているような刹那が、今年の暮れの感じである。来年という新しい頁の上に、どんな生活がくりひろげられてゆくか、そのことはまだはっきりと見えていない。しかし、何かおぼろげにその図取りがあることはわかっている。そのことは、私たちのある心に期待や想像やを目ざまさせる。
 あらましにお互のその心持をいいあらわせば、私たちは、ともかく今年力いっぱいに生きて来たとおり、来年一生懸命生活してゆきましょう、そういう挨拶を交しあわすと思う。たとえば近頃往来に出ている立看板の「簡素の中の美しさ」という言葉を、本当に生活のなかから湧きいでた女性の健やかな美感への成長として実感してゆくのも来年の事だし、こんなに炭の不足している一冬を、互に協力して体も丈夫仕事も停滞させず過しぬいたという経験が、社会的な辛苦に対して女性をはっきり目ざませてゆくのも、いってみれば来年予想される収穫の一つであろう。
 私たちが来年に対しておのずからもつ心持は、こうしてみるとずいぶん引き緊ったものだと思われる。何かましなことがありはしまいかしら、と落付きなく目を外へ向けてきょろつくよりも、ひとりでに背中を真直にし、膝頭に力を入れて歩道をも踏みつつ、来年はどんなことになってもおどろかず、ちゃんと暮して行こうとさらに自分への心をかためる、そんな気分におかれていると思う。
 世界史が変ろうとしている。そのことを今日感じていないひとはないだろう。そのように変ろうとしている世界史のなかで、世界女性たちは、どんなに暮しているだろう。世界がただごちゃごちゃになったとばかり見てはいまい。さらによりよい人間生活可能発見しようとしてのもがきであり、試みであり、輾転反側であることは疑いないことを確信していると思う。しかし、よりよい可能発見のために試みられる努力にも、実に錯綜した条件が働きあっていて、多くの予想しない矛盾錯誤がおこって、すべてのことは一朝一夕には解決しない。そうかといって、希望がないのかといえば決して希望は失われていない。歴史の消長は強い底流れとなっている社会必然をはなれてあり得ないのだから、よりよい可能発見される前奏として、もっとも甚しい混乱や紛糾や欠乏が来ることも十分あり得る。そのような歴史の波に、人間が個々の生活者としてうちまかされるか、それともその歴史に働きかける力となってその混乱をより正常な方向にむけるために役立ち得るかということは、めいめいが社会歴史に対して抱いている遠い見とおしに立っての判断と確信の有無によるのだと思う。
 信念をもって生きよ、ということは、この頃私たちの日常にしきりにきこえている声である。いろんなところで、いろんなことについて、信念がいわれている。
 だが、信念とはどういうものなのだろう。信念というものは人間の心のどういうところをよりどころとしているのだろうか。信念ということはすぐ自信と同じものだといって、いいのだろうか、それともどこか異っているものなのか。
 手近い実際について考えてみたいと思う。これまでは、日本女子中等教育は、よい妻よい母をつくることを目的として行われて来た。明治三十二年に女学校令というものがきめられて以来、女学校中学校とは同い年で小学校を終った男の子女の子のための学校でありながら、五年を終業したときの程度は、ずっと女の子の方が万事について低いものとして肯定されて来ている。専門学校大学というものに到っては、女の子のために申しわけめいた設置しかなくてきている。日本の女の徳性は、家庭にあってよい娘、よい妻、よい母となるのが完成の目的であって、よい妻、よい母となることはあるいはたやすいことと思えでもしたのだろう。その大事業に対する女の責任を全うするためには男と同じような頭脳の鍛錬は必要なことと見られていたのであった。
 今日も大体そのような女学校教育がつづいている。ところが、歴史の強力な変化は、若い女のひとが学校卒業したらすぐ家庭でお嫁入りの仕度にとりかからせないで、社会的な勤務場面吸収しようとしている。この二三年来、日本の女の力はおびただしく生産場面に進み出しているのだが、とくに来年の春からは、全日本女学校専門学校卒業生に対して、職業紹介所を通じての勤労への動員が行われることになった。一昨年あたりから、小学校卒業した少年少女たちが、職業紹介所統制のもとに驚くべき数で産業に従って来ている。来年の春からは女学校を出る人々が労働のための新しい力の源泉として調査され、職場を与えられて行くことになったわけである。
 これまで、生活上の必要から就職した若い娘さんたちはどっさりあった。また、ただ家にのんべんだらりとしているのは苦痛で、少しでも自分社会生活が欲しくて、職業についた人というのも少くはなくなって来ていた。これらの場合はどちらにしろ、職業につく自分としての動機は明瞭に自覚されていたと思う。特に、経済上の必要は直接なくても、一人の若い女として社会における自分生活というものを経験したくて職業についた人たちは、その家庭物質上のゆとりがあるだけ、ある場合には昔のものの考えかたの伝統自分希望というものを対立させて、その主張を経て、職業をもって来ているようなこともあったにちがいない。
 来年の春から行われる勤労への招集は、経済上の必要に立つ人にとって不安なく就職口をもたらすばかりでなく、さらに、社会生活経験として職業につく決心をしている人たちにその実行をたやすくさせるのみならず、これまでなら、上の学校へゆくほどの好学心もなく、さりとて自発的に職業場面へ身をさらしてゆくほど積極な生活力ももたず、家にいて漫然と家事の手つだいをしているような娘さんをも、おそらくは大量に職業場面にまねきよせるだろうと考えられる。これらの人々は、もしかしたら大した深い考えや気持もないままに、いわば時代偶然として自分の前へひらかれた職業の門をくぐって行くのかもしれないと思える。あなた、どうするの? そう、じゃ私も母さんにいって勤めるようにしちゃうわ。そんな会話が、あるいは上級生の間にあるだろう。遠足何かにゆくように、ねえ母さん、誰さんも、誰さんも、ゆくのよ、いいでしょう? ねえ。そういわれた母親たちは、それじゃあまア、すこし勤めて見て工合がわるいようだったらすぐにやめればいいから、勤めて見るのもいいだろう、と許す。そんな気にもなるだろう。一般がそうなれば、むしろ女学校を出て、上の学校に入るのでもなく、勤めもせず、これまでのように家にいる、と申告することにかえって何かの決心を求められるような心理になって来ると思える。何のために家庭にのこるのか、その理由自分にはっきりわからなくては安心されない心になると思う。


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