僕は 関連リンク

芥川 竜之介 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

僕は - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

  • 朗読CD 朗読街道30「魔術・妙な話・春の夜」芥川龍之介
  • 「芥川龍之介」 関口安義   岩波新書
  • ◆◇ 芥川龍之介 著「羅生門・鼻」(新潮文庫) ◇◆
  • 朗読CD 朗読街道28「トロッコ・蜜柑・片恋・他」芥川龍之介
  • 【netJIKOH】★文藝臨時増刊 芥川龍之介読本 昭和29年★
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 6』芥川龍之介★1円
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 1』芥川龍之介★1円
  • 芥川龍之介◆侏儒の言葉・西方の人◆続西方の人収録
  • 別冊毎日グラフ 芥川龍之介 生誕百年、そして今
  • 絶版■芥川龍之介【邪宗門・杜子春】新潮文庫帯/昭和42年/葱.秋
芥川龍之介 誰でもわたしのやうだらうか?――ジュウル・ルナアル  屈辱を受けた時、なぜか急には不快にはならぬ。が、彼是(かれこれ)一時間ほどすると、だんだん不快になるのを常としてゐる。
     ×
 僕はロダンのウゴリノ伯を見た時、――或はウゴリノ伯の写真を見た時、忽ち男色(だんしよく)を思ひ出した。
     ×
 僕は樹木(じゆもく)を眺める時、何か我々人間のやうに前後(まへうし)ろのあるやうに思はれてならぬ。
     ×
 僕は時々暴君になつて大勢(おほぜい)の男女(なんによ)を獅子(しし)や虎に食はせて見たいと思ふことがある。が、膿盆(のうぼん)の中に落ちた血だらけのガアゼを見ただけでも、肉体的に忽ち不快になつてしまふ。
     ×
 僕は度たび他人のことを死ねば善(よ)いと思つたことがある。その又死ねば善いと思つた中には僕の肉親さへゐないことはない。
     ×
 僕はどう云ふ良心も、――芸術的良心さへ持つてゐない。が、神経は持ち合せてゐる。
     ×
 僕は滅多(めつた)に憎んだことはない。その代りには時々軽蔑してゐる。
     ×
 僕自身の経験によれば、最も甚しい自己|嫌悪(けんを)の特色はあらゆるものに※(うそ)を見つけることである。しかもその又発見に少しも満足を感じないことである。
     ×
 僕はいろいろの人の言葉にいつか耳を傾けてゐる。たとへば肴屋(さかなや)の小僧などの「こんちはア」と云ふ言葉に。あの言葉母音(ぼいん)に終つてゐない、ちよつと羅馬字(ロオマじ)に書いて見れば、Konchiwaas と云ふのである。なぜ又あの言葉は必要もないSを最後に伴(ともな)ふのかしら。
     ×
 僕はいつも僕一人ではない。息子(むすこ)、亭主、牡(をす)、人生観上の現実主義者、気質上のロマン主義者、哲学上の懐疑主義者|等(とう)、等、等、――それは格別|差支(さしつか)へない。しかしその何人かの僕自身がいつも喧嘩するのに苦しんでゐる。
     ×
 僕は未知(みち)の女から手紙何か貰つた時、まづ考へずにゐられぬことはその女の美人かどうかである。
     ×
 あらゆる言葉は銭のやうに必ず両面を具へてゐる。僕は彼を「見えばう」と呼んだ。しかし彼はこの点では僕と大差のある訣(わけ)ではない。が、僕自身に従へば、僕は唯「自尊心の強い」だけである。
     ×
 僕は医者に容態を聞かれた時、まだ一度も正確に僕自身の容態を話せたことはない。従つて※(うそ)をついたやうな気ばかりしてゐる。
     ×
 僕は僕の住居(すまひ)を離れるのに従ひ、何か僕の人格曖昧(あいまい)になるのを感じてゐる。この現象が現れるのは僕の住居を離れること、三十|哩(マイル)前後に始まるらしい。
     ×
 僕の精神生活は滅多(めつた)にちやんと歩いたことはない。いつも蚤のやうに跳ねるだけである。
     ×
 僕は見知越しの人に会ふと、必ずこちらからお時宜(じぎ)をしてしまふ。従つて向うの気づかずにゐる時には「損をした」と思ふこともないではない。(大正一五・一二・四)



底本:「芥川龍之介作品集第四巻」昭和出版社
   1965(昭和40)年12月20日発
※底本の「羅馬字(ロオてじ)」は、「羅馬字(ロオマじ)」にあらためました。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月27日公開
2003年10月20日修正
青空文庫作成ファイル
このファイルは、インターネット図書館青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力校正制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


芥川 竜之介 (あくたがわ りゅうのすけ) 以外のオススメ作品

僕は (ぼくは) のリンク元

「僕は-芥川 竜之介」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN