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分配 - 島崎 藤村 ( しまざき とうそん )

  • ◇ 東方の門・巡禮 島崎藤村著 新潮社刊 2刷
  • 新潮文庫 島崎藤村 「破戒」S60・95刷
  • 島崎藤村集(一)(二) 8,9 現代文学大系 筑摩書房
  • 岩波文庫 『千曲川のスケッチ』島崎藤村
  • ◇夜明け前 第二部 島崎藤村著 藤村長篇小説叢書6 初版本
  • ○古本!!島崎藤村『生い立ちの記』/岩波文庫/昭18年初版!!
  • 島崎藤村集 〔現代日本文学全集 第16編〕 古本 昭和 2年刊
  • 明治大正文学全集 第24巻 島崎藤村 春陽堂版■初版・非売品
  • ☆★岩波文庫  藤村詩抄 (島崎藤村自選)
  •  日本文学全集4 【島崎藤村】
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 四人もある私の子供の中で、亡(な)くなった母(かあ)さんを覚えているものは一人(ひとり)もない。ただいちばん上の子供だけが、わずかに母さんを覚えている。それもほんの子供心に。ようやくあの太郎が六歳ぐらいの時分の幼い記憶で。
 母さん記念するものも、だんだんすくなくなって、今は形見(かたみ)の着物一枚残っていない。古い鏡台古い箪笥(たんす)、そういう道具の類ばかりはそれでも長くあって、毎朝私の家の末子(すえこ)が髪をとかしに行くのもその鏡の前であるが、長い年月と共に、いろいろな思い出すらも薄らいで来た。
 あの母さん時代も、そんなに遠い過去になった。それもそのはずである。太郎次郎はもとより、三郎までもめきめきとおとなびて来て、縞(しま)の荒い飛白(かすり)の筒袖(つつそで)なぞは着せて置かれなくなったくらいであるから。
 目に見えて四人の子供には金もかかるようになった。
「お前たちはもらうことばかり知っていて、くれることを知ってるのかい。」
 私はよくこんな冗談を言って、子供らを困らせることがある。子供子供と私は言うが、太郎次郎はすでに郷里農村のほうで思い思いに働いているし、三郎はまた三郎で、新しい友だち仲間結びつきができて、思う道へと踏み出そうとしていた。それには友だち一人と十五円ずつも出し合い、三十円ばかりの家を郊外のほうに借りて、自炊生活を始めたいと言い出した。敷金(しききん)だけでも六十円はかかる。最初その相談が三郎からあった時に、私にはそれがお伽噺(とぎばなし)のようにしか思われなかった。
 私は言った。
「とうさんも若い時分に自炊をした経験がある。しまいには三度三度煮豆で飯を食うようになった。自炊もめんどうなものだぞ。お前たちにそれが続けられるかしら。」
 私としては、もっとこの子を自分の手もとに置いて、できるだけしたくを長くさせ、窮屈な思いを忍んでもらいたかったが、しかしこういう日のいつかやって来るだろうとは自分の予期していたことでもある。それがすこし早くやって来たというまでだ。それに気質の合わないことが次第によくわかって来た兄妹(きょうだい)をこんな狭い巣のようなところに無理に一緒に置くことの弊害をも考えた。何も試みだ、とそう考えた。私は三郎ぐらいの年ごろに小さな生活を始めようとした自分の若かった日のことを思い出して現に私から離れて行こうとしている三郎の心をいじらしくも思った。
 この三郎を郊外のほうへ送り出すために、私たちの家では半分引っ越しのような騒ぎをした。三郎の好みで、二枚の座ぶとんの更紗(さらさ)模様も明るい色のを造らせた。役に立つか立たないかしれないような古い椅子(いす)や古い時計の家にあったのも分けた。持たせてやるものも、ないよりはまだましだぐらいの道具ばかり、それでも集めて、荷物にして見れば、洗濯(せんたく)したふとんから何からでは、おりから白く町々を埋(うず)めた春先の雪の路(みち)を一台の自動車で運ぶほどであった。

 その時になって見ると、三人の兄弟(きょうだい)の子供は順に私から離れて行って、末子一人(ひとり)だけが私のそばに残った。三郎を送り出してからは、にわかに私たちの家もひっそりとして、食卓もさびしかった。私は娘と婆(ばあ)やを相手に日を暮らすようになったが、次第に私の生活は変わって行くように見えた。巣から分かれる蜂(はち)のように、いずれ末子も兄たちのあとを追って、私から離れて行く日が来る。これはもはや、時の問題であるように見えた。私は年老い孤独自分の姿を想像で胸に浮かべるようになった。
 しかし、これはむしろ私の望むところであった。私か、私は三十年一日のような著作生活を送って来たものに過ぎない。世には七十いくつの晩年になって、まだ生活を単純にすることを考え、家からも妻子からもいっさいの財産からものがれ、全くの一人となろうとした人もあったと聞くが、早く妻を先立(さきだ)てた私はそれと反対に、自分は家にとどまりながら成長する子供を順に送り出して、だんだん一人になるような道を歩いて来た。
 私の周囲へはすでに幾度か死が訪れて来た。最近にもまた本郷(ほんごう)の若い甥(おい)の一人がにわかに腎臓炎で亡(な)くなったという通知を受けた。ちょうど、私の家では次郎徴兵適齢に当たって、本籍地東京検査受けるために郷里のほうから出て来ていた時であった。次郎も兄の農家を助けながら描(か)いたという幾枚かの習作の油絵を提(さ)げて出て来たが、元気も相変わらずだ。亡くなった本郷の甥とは同(おな)い年齢(どし)にも当たるし、それに幼い時分の遊び友だちでもあったので、その告別式には次郎が出かけて行くことになった。
「若くて死ぬのはいちばんかわいそうだね。」
 と、私は言って、新しい仏への菓子折りなぞを取り寄せた。私はまた、次郎末子の見ているところでこころざしばかりの金を包み、黒い水引きを掛けながら、
「いくら不景気の世の中でも、二円の香奠(こうでん)は包めなくなった。お前たちのかあさんが達者(たっしゃ)でいた時分には、二円も包めばそれでよかったものだよ。」
 と言ってみせた。
 次郎はもはや父の代理もできるという改まった顔つきで出かけて行った。


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