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初冬の日記から - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

  • 岩波文庫【檸檬・冬の日 他九篇】梶井基次郎(プチソフト2)
  • 〔岩波文庫〕梶井基次郎「檸檬・冬の日」
  • ◆#53◆【冬の日の約束】 キャスリン・ベルモント
  • ●250円 岩波文庫【檸檬・冬の日】梶井基次郎 (プチソフト1)
  • 檸檬・冬の日―他九篇(岩波文庫)梶井 基次郎1954年初版85年22刷
  • 冬の日の約束/キャスリン・ベルモント/N-53
  • 【シングル】【送料無料】アグネス・チャン 冬の日の帰り道
  • アグネス・チャン/冬の日の帰り道 4曲入EP(17cm)激レア
  • 檸檬・冬の日 他九篇 梶井基次郎作 岩波文庫 帯付
  • 268幸田露伴学人『冬の日抄』大正13初版
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 一年に二度ずつ自分関係している某研究所研究成績発表講演会といったようなものが開かれる。これが近年の自分単調生活の途上に横たわるちょっとした小山の峠のようなものになっている。学生時代には学期試験とか学年試験とかいうものがやはりそうした峠になっていたが、学校を出ればもうそうしたものはないかと思うと、それどころか、もっともっとけわしい山坂が不規則に意想外に行手に現われて来た。これは誰でも同じく経験することであろう。しかしずっと年を取った後に、再びこうした規則正しく繰返される「試験」の峠を越そうとは予期しなかったが、そのおかげで若い日の学生時代の幻影のようなものを呼び返し、そうしてもう一度若返ったような錯覚を起こさせる機縁に際会するのである。
 それはとにかく、学生時代試験が無事にすんだあとの数日間はいつでも特別に空の色が青く日光が澄み切って輝き草木の色彩飽和して見えた、それと同じように、研究所講演会のすんだあとの数日は東京市の地と空とが妙にいつもより美しく見えるようである。ことに今年は実際に小春の好晴がつづき、その上にこの界隈の銀杏(いちょう)の黄葉が丁度その最大限度の輝きをもって輝く時期に際会したために、その銀杏黄金色に対比された青空の色が一層美しく見えたのかもしれない。
 そういうある日の快晴無風の午後青空影響受けたものか、近頃かつて経験したことのないほど自由解放された心持になって、あてもなく日本橋の附近をぶらぶら歩いているうちに、ふと昨日人から聞いた明治座喜劇の話を想い出してちょっと行って覗(のぞ)いてみる気になった。まだ少し時間は早かったが日本橋通りをぶらぶらするのも劇場の中をぶらぶらするのも大した相違はないと思って浜町(はまちょう)行のバスを待受けた。何台目かに来た浜町行に乗込んだら幸いに車内は三、四人くらいしか乗客はなくてこの頃のこの辺のバスには珍しくのんびりしていた。腰をかけて向い側を見ると二十歳くらいの娘がいる。どこかで見たような顔である。
 KFという女優らしい。それはこれから見に行こうとしている明治座喜劇に出演する筈(はず)のその当人であるらしい。舞台顔は数回、但(ただ)しいつもだいぶ遠方の二等席からではあるが、見たことがあり、演芸雑誌などでしばしば写真を見たことがある。しかし、それにしても乗っているのが青バスであるのに、服装がどうも自分想像している名代(なだい)女優というものの服装とはぴったり符合しない。多分|銘仙(めいせん)というのであろう。とにかくそこいらを歩いている普通十人並の娘達と同じような着物に、やはりありふれたようなショールを肩へかけて、髪は断髪を後ろへ引きつかねている。しかし白粉気(おしろいけ)のない顔の表情はどこかそこらの高等女学校生徒などと比べては年の割にふけて見えるのである。ほぼ同年頃の吾等(われら)の子供等と比べると眉宇(びう)の間にどことなしに浮世の波の反映らしいものがある。膝の上にはどうも西洋菓子の折らしい大きな紙包みを載せている。
 聞くところによると、そのKという女優は、富豪の娘に生れ、当代の名優と云われるTKの弟子になってその芸名のイニシアルを貰い、花やかに売出したのであったが、財界の嵐で父なる富豪が没落の悲運に襲われたために、その令嬢なるKは今では自分の腕一つで働いて生活しているという話をファンの一人であるところのSから時々聞かされていたので、その話をこの青バスの中の目前の少女結びつけて考えてみると、それですべてが無理なく説明されるような気がした。
 二、三年前Sと大久保余丁町(おおくぼよちょうまち)の友人Mを尋ねての帰りに電車通りへ出ると、そこの路地の入口に一台の立派自動車が止まっていた。そこへ折から乗込む女を見るとそれが紛れもない有名人気女優のMYであった。劇場から差しむけの迎えの自動車であろうか、それとも自用車であろうか、とつまらぬ議論をしたことであった。
 そんなことを考えているうちに人形町(にんぎょうちょう)辺の停留場へ来るとストップの自働信号でバスはしばらく停車した。安全地帯に立っていた中年下町女が何気なしにバスの間を覗いていたがふと自分の前の少女見付けてびっくりしたような顔をして穴の明くほど見詰めていたようである。
 浜町近くなる頃には他の乗客はもうみんな下りてしまって、その少女自分と二人きりになってしまった。「失礼ですがあなたはKさんですか」ちょっとそう云って聞いてみたいような気がした、と同時に、それが自然に何のこだわりもなく云えるまでに到達していない自分認識することが出来たのであった。
 明治座前で停ると少女は果して降りて行く、そのあとから自分も降りながら背後から見ると、束ねた断髪の先端が不揃いに鼠でも齧(かじ)ったような形になっているのが妙に眼について印象に残った。少女は脇目もふらずにゆっくり楽屋口の方へ歩いて行く。やはりそれに相違なかったのである。
 開場前四十分ほどだのにもうかなり入場者があった。二階の休憩室には色々な飾り物が所狭く陳列してあって、それに「花○喜○|丈(じょう)」と一々札がつけてある。一座の立役者Hの子供初舞台の披露があるためらしい。ある一つの大きな台に積上げた品物何かとよく見るとそれがことごとく石鹸の箱入りであった。
 売店煙草を買っていると、隣の喫茶室で電話をかけている女の声が聞こえる。「猫のオルガン六つですか」と何遍も駄目をおしている。「猫のオルガン」が何のことだか分からないが多分おもちゃのことらしい。何となしこの小春日にふさわしい長閑(のどか)なものの名である。
 幕があくと舞台銀座街頭の場面だそうで、とあるバーの前に似顔絵かきと靴磨き二人と夕刊売りの少女が居る。その少女が先刻のバスの少女であるが、ここでは年齢が急に五つか六つ若くなっている。その靴磨きのルンペン一人がすなわち休憩室の飾り物を貰った子供の御父さんである。バーは紙の建築で人の出入りはないが表を色々の人通りがある。
 役者でも舞台の一方から一方へただ黙って通りぬけるだけの役があるらしい。そんな役であってもやはり舞台へ出る前には何遍も鏡を見て緊張し、すうと十秒くらいの間に舞台通り抜けてしまうとはじめてほっとして「試験」のすんだのどかさを味わうであろう。自分などの専門の○界における役割もざっとこれに似たもののような気がしてそれらの「通行人、大ぜい」諸君の心持を人事(ひとごと)ならず色々想像してみるのであった。
 そこへコケットのダンサー一人登場して若い方の靴磨きにいきなり甲高(かんだか)なコケトリーを浴びせかける。本当の銀座の鋪道であんな大声であんな媚態を演じるものがあったら狂女としか思われないであろうが、ここは舞台である。こうしないと芝居にならないものらしい。


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