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初島紀行 - 与謝野 晶子 ( よさの あきこ )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・山椒大夫  他四篇」(旺文社文庫)◇◆
  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・うたかたの記  他三篇」(岩波文庫)◇◆
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 8』森鴎外 正岡子規 夏目漱石1円
  • 森鴎外 高瀬舟・高瀬舟縁起・寒山捨得・寒山捨得縁起 CD 未開封
  • 森鴎外 舞姫 雁 井上靖 訳編 明治の古典8 初版
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與謝野晶子  正月日朝早く千人風呂に入(はひ)つて、その硝子窓から伊豆の沖の美くしい日の出を見ました。今日快晴は疑ふべくも無い。海は襦子の感觸を以て銀の色を擴げ、中にところどころ天鵞絨の柔かみを以て紺青の圓い大きな斑(まだら)を見せて居ました。何と云ふ好い凪(なぎ)でせう。
 湯から上がると六時でした。宿の若い衆が、昨夜から頼んで置いた熱海の船が出來たと云ふ電話取次いで來ました。それを更に他の三方部屋へ知らせました。正月の初めに偶然この伊豆温泉相模屋へ泊り合せた五人――臺灣總督府石井光次郎さん、日本評論社の茅原茂さん、野口次郎の令兄である高木太郎さん、それに私達夫婦が――昨夜からの突然な思ひ立出で、三里先きの海上にある初島を觀に行かうと決めたのです。忙しい中から僅かの暇を無理やりに作つて東京を離れたのさへ氣紛れであるのに、行く人の稀な島へ特に船を雇つて出掛けると云ふのは、我れながら醉興なことだと思ひました。私達の境遇では到底人並に呑氣な生活は出來ないのですから、ときどき突發的にかう云ふ醉興をして百忙の中の一間を偸(ぬす)み、呑氣らしさを摸(ま)ねることに由つて、纔に境遇の壓迫からほんの束の間だけ生命解放を計るのです。
 午前八時五十分の電車熱海へ向ひました。初島へ行くには土産を持つて行く慣例であると宿の番頭から聞いて居たので、熱海の鹽瀬の店で、五人が出し合つて、十圓の駄菓子を大きな五つの袋に詰めて貰ひました。
 十時に船が出ました。船宿から座蒲團を持つて來なかつたので、帆を二つに折つて敷いた上へ坐りました。船頭は若い逞しい人達ばかりが六人選ばれて居ます。四梃櫓を掛けて、二人が疲れた者と交代するのです。海の上はそよとの風も無く、日光を船一杯に受けて温かでした。「えい、おい、えい、おい」と云ふ勇ましい船頭達の掛聲、「ぐい、ぐい」と云ふ櫓の音。船は半跳るやうに、半滑るやうにして快く進みました。海は一面に深い紺碧を湛へて靜まり、私達の船の航跡だけが長く二條の錫(すず)を流して居ました。熱海の街が少しく煙り、網代の街の屋根瓦が光らなくなつた頃、船は航程の半分を越えたのだと船頭が云ひました。其頃から舳先(へさき)に當る初島藍鼠色より萌葱(もえぎ)色に近くなりました。私達の心は廣重の圖中にある旅客の氣分と、お伽噺や探險談の中にある傳説的な氣分とが絡(から)んで浮世ばなれのした一種の快感を覺えるのでした。
 船は二時間足らずで初島の北岸に著きました。沙濱で無くて灰褐色の大きな石がごろごろしてゐるのを見ると、蓬髮敗衣の俊寛が串插(くしざし)の小魚を片手に提げて現れ相でした。少しばかりの傾斜地に網が干されてゐる。其上の崖に三四人の島の少女が立つて私達を見下ろして居ました。六年前に此處へ來たと云ふ相模屋の番頭の話では、船が著くと島の子供が爭つて土産物を貰ひに來たと云ふ事でしたが、そんな氣振の見えなかつたのは、六年の間に島の風俗も變つたのでせう。
 島の住家は飮料水の關係から、比較的氣候の寒い此の北岸の窪地にあるのです。私達は船頭の案内で「大屋」と云ふ通稱を持つた新藤氏の家へ行きました。昔の名主の家です。大黒柱の彼方にある圍爐裏を繞つて坐り、煤びた自在に吊した鑵子の湯で主婦から澁茶を注いで貰つた時、私達は旅人と云ふよりも家族的と云ふべき親しさを此家に感じるのでした。爐の榾火(ほだび)の周圍には蠑螺が幾つも灰の中に立てられて、蓋(ふた)を取つた所へ味噌を載せたままぐつ、ぐつと煮えてゐる香りが、妙に一行の男達の食欲をそそりました。
 區長さんと云つて敬稱されてゐる田中氏が逢ひに來られたので、土産物の分配をその田中氏に頼みました。それから長さん案内初島神社に參り、神社から一段上の地にある小學校を觀ました。小學の一方の崖下に山の井があつて清水が湧いて居ました。この水を汲みに來ることが島の女達の朝晩の一つの爲事です。井(ゐど)の上には椿の木立が一杯に花を著けて居て、水に浮いてゐる落椿もありました。この光景を見て、詩的な、いろいろの想像が私達の心に上りました。
 その井の背後の路を登つて山上の平野に出ました。麥生と野菜畑と、さうして其れを圍む畔(あぜ)の木立は大抵椿です。椿の下には島の名物である背の高い水仙の花が叢を成して咲いて居ます。北岸と違つて山上は日當りが好いので、どの椿も眞盛りです。美くしく落椿が路を埋めてゐるのを見ると、それを踏むに忍びない氣がします。漸く南岸へ出ると、其處は危い斷崖になつて緑玉色の水が底まで透いて見えます。少し離れて帆前船が一艘帆を張つたまま風を待つて居ました。
 氣侯はさながら東京四月です。まだ舊臘から一度も霜が降らないと云ふ事です。霜は一月の末から二月へかけて五六度降るだけだと云ひます。
 東岸へ廻つて、それから再び北岸の村へ降り、一軒しかないと云ふ禪宗のお寺覗き、また一番古い建物だと云ふ或家の手斧普請を觀せて貰つて大屋へ歸りました。


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