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十日間 - 長塚 節 ( ながつか たかし )

  • 【創元】『八十日間世界一周』(ジュール・ヴェルヌ作)
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 三月二日、月曜、晴、暖、  起床平日よりはやし、冷水浴、  宵に春雨が降つたらしく屋根が濕つて居る、しかし雫する程ではない、書院の庭にしきつめてある松葉は松もんもが交つてるので目障りであるがけさは濡れて居るからいかにも心持がよい、庭下駄を穿いてぶら/\とあるく、平氏門に片寄つてさうして戸袋にくつゝいた老梅が一株は蕾がちで二株は十分に開いて居る、蕾には一つづゝ露が溜つてその露が折々松葉の上に落ちる、五片六ひら散つて松葉にひつゝいてるのが面白い、まだ散る頃ではないから大方春雨の板面であらう、空は西の方から拭つたやうに靄が禿げて日の光が竹林の上から斜にさしかゝると、溜つて居る露がかゞやいて落ちるたびにゆら/\と搖れる、子供のするやうに人指し指を曲げてその背へ蕾にかゞやいて居る露をとつて見た、こんな心持のよい朝はない、はやく起きたのが嬉しくつてたまらなかつた、即興の歌が八首、七首は立どころに成つて一首は少し苦んだ、  村の役場へ納めに行く、いま使をやつたのだが逢はなかつたといふのである、この使は納めの催促である、小使の婆さんが安火へ火を入れて呉れた、茶菓子を買ふ、ひつこき、ねぢり棒など、婆さんに少しばかり錢をやる、いらないといふとれといふ、何遍かお辭誼をした、  正午少し過ぎ歸る、  馬方二人筑波下から瓦をつけて來る、  隣村の役場へ納めに行く、赤十字社色々な雜誌が封じた儘箱の上にのつてある、見るものゝないのがわかる、農業雜誌を借りて歸る、菓物だの草花だのゝ廣告が面白いからである、  分家の鷄が門の畑の蕪菜を荒すので垣根をゆひ直すそれでも止まない、一つひどい目を遇はしてやらうと思つてぐる/\追ひまはした、分家の厩のうしろの麁朶の中へ一羽逃げ込んだのがある、拔足して行つて棒でしたゝか突いた、空腹を感ず、  けさの歌を麓へおくる、週報の課題が春雨で麓が選者がある、二三日前に七首おくつてあるからこれで十五首になつた、跡からまた五首作つて二十首にしやうと思ふ、  夜父と母と水海道よりかへる、妹の嫁入仕度に箪笥長持などを誂へに行つたのである、手箱、金盥、傘など買つて來た、妹仕立物に忙し、  鷄宵時をつくる、母心配す、  この日綿入一枚を脱く、  牛乳二合、  三月三日、火曜快晴、  起床冷水浴、風が吹くので冷たい、  食慾なし、腹こなしに村外れの畑の中を鬼怒川土手へ出で一まはりした、十五六町ばかりである、途中鍬を擔いで行くもの三四人に逢ふ、桐の木に止まつて居た鴉が麥の上を掠めるやうにして遙かにさきの木に移つた、そこにも鴉が一羽止まつて居た、低い木であつた、土手の篠笹の中に冬菜のやうな形をした赤い草が地にひつゝいて居た、  朝飯九時過ぎ、  午後、玉村へ行く、皆葉の渡し薄紅梅の開きかけたのを一輪つまみ取つて船へ乘つた、その蕾を鼻へあてて※をかいて居ると稍々傾いた日のさし方で自分の影が船底へ映る、花をつまんだ指と指とが丸い輪をなして映つて居る、そしてそれが舳先の向きやうで小べりへ移つたり水の上へ移つたりして居る、水へ移つた時はゆら/\と搖れる、  北の方には烟がむら/\と立ち登つてるのが見える、藁を燒く節でもないのにと思つてると船頭が火事はどこでしやうといつた、さうして下栗あたりでもあるかなどゝ獨言をした、もうさつきから燃えて居るのだといふことだ、  玉村の材木屋へ行つたら店先に時事新報があつた、  二號活字で横濱市の投票結果が出て居る、島田三郎一一〇六票で當選、加藤高明一八票で落選、それで奥田と加藤との得點を合せても島田には及ばない、なんだか非常に嬉しかつた、  火事下妻の中學校であると、かみさんがどつからか聞いて來た、秋山が損をするだらう氣の毒だなどゝ話をする、  歸つて來たのはまだ日の高いうちだが風呂が沸いて居た、風呂の中から窓を明けて見ると木小屋の前がよく片付いて心持がよい母が手づから片付けたのださうだ、百舌が一羽下り枇杷の枝へ飛んだ、枇杷の花はまださいてゐる、  井戸流しで頭を洗ふ、乾いた手水盥の底に鷄の足跡が二つ、  夕方新聞來る、昨日の分と今日の分と一所である、暫くは目うつりがするやうに落付かない、  この日名古屋の欣人から鵜川とゞく、瀟洒なる雜誌である、左千夫からの話に根岸趣味の歌の雜誌だと聞いたやうであつたが、俳七、歌三といふ割合のやうだ、  この日父水戸へ行く、  路上に捨てたるもの猫柳の枝、  垣の内の蕪菜薹立つこと二尺、花かすかに見ゆ、  朝飯、汁と鮒の甘露煮、  晝飯、卵のふわ/\、  夜、むし比良目の味噌漬と鮒の甘露煮、汁、  牛乳二合、  日記かき終る時九時、  妹は針仕事茶の間では笑ひ話し、  納屋では箱篩の音とん/\、  四日、水曜春雨がちら/\と降つては止み、さら/\と降つてはやむ、寒し、  下男が雨戸をあけるので目が醒めた、いつもよりはずつとはやい、夜着の中へ頭を引込んだり出したり暫くもぢ/\する、はたきの音が茶の間に聞える、七時を打つ、三十分は進んで居ると思つた、  九時過ぎ郵便が來た、蕨から先生の遺稿三號自分へ、笠間叔父から封書一通、門井に居る叔父から封書一通、共に父へあて、妹の婚姻に就て心付けであるさうだ、  先生の遺稿を披いて見る、自分は四人目である、 月照らす梅の木の間に佇めば我が衣手の上に影あり 初春朧月夜をなつかしみ折らむとしたる道の邊の梅 鳥玉の闇に梅が香聞え來て躬恒が歌に似たる春の夜 砥部燒の乳の色なす花瓶に梅と椿と共に活けたり  などいふ歌を一人もとつてない、不平、  今週の婦女新聞を見る、「こども」欄はいつでも面白い長野 雪景色の形容              さだ子 此間朝日山雪景色を眺めまして私が白粉を塗つたやうであると申しましたら不二男(五歳)は『お米を撒いたやうだ』と申しました、 といふのがある、理屈もなければ罪もない、  正午少し過ぎ新聞來る、茨城縣の投票結果、縣參事員をして居て月三囘も旅費を詐取して居た大久保不二が最高點で當選、正廉の士であるので父が肩を入れて運動してやつた初見八郎が落選、意外も意外だが忌々しいもいま/\しい、  帶戸一枚隔てた表の座敷では妹が針仕事に忙しい、分家のおきよさんが手傳ひをして居る、村の内からお針子が二人、おせいとおふく、話が賑かなのでなんのことかと聞いて見たら、去年の春この二人がお針をして居るうちに近村の祭へ行きたくなつて、お白粉をべた/\となすつておふくが妹の羽織を借りて行つた所が途中で土掘りをして居た若い衆が借着をして來たといつては笑つて踊つたり跳ねたりしたことがあつたといふのをおせいが考へ出しては堪らなくなつて笑ふのである、おふくがひとりで默つてゐる、  表では垣根を結ふのでがら/\音がする、そこへ立ち淀んで話をして居るものがあるので出て行つて見ると、卵屋が荷を卸して居るので、一寸天秤を擔いて見た、荷がふら/\するので腰を屈めなくては歩行かれない、針仕事の一座が可笑しいと言つて大笑をした、  おせいが話のうちに私は坐つて居ると膝かぶらが痛くなるのが好きでといふたとかで大笑ひをした、  夜、茶の間で婦女新聞の小供の話をすると、おきよさんが、縁者の家の小供が同じ縁者の家へ行つて六十以上のお婆アさんにお婆アさんは男か女かと聞いたので男だよといつたら、男なら眼鏡を見せろといつたと話をする、  近所の清兵衛老爺、また落ちて來ましたといつて來た、毎晩來る老爺である、  欣人へ手紙したたむ、麓へ春雨五首をおくる、  墨を磨らうとしたらば、墨がぽつりと中から折れて指の尖が少しよごれた、  門の茶の木の下に韮二寸ばかり延び出す、  枯芝に青味を帶ぶ、  燒卵、生卵、菜汁、海苔牛乳、  五日、木曜、晴、はなはだ暖し、  朝の内に椚眞木の受取渡しをして來いと母から命ぜられたが用があるからと云つて行かぬ、  正午に近く高野叔父來る、茨城縣では比肩すべきものゝ蠶業家である、奥州四國九州から傳習生が毎年來るといふことである、雜談、  共進會や博覽會などは農業に左程利益のあるものではない、  繭などの出品であつても一ケ所で精養したものを讓り受けて出品するものがいくらもある、  その方法は飼手が出品するだけを選擇して、その跡を更に選擇したものが一升いくら、その次がいくら、その次がいくらといふ賣買で成立つて居る、信州あたりではこれが非常におほい、  米や大豆であつても陰干にしたものを一粒つゝ指で剥いて決してすり臼にかけるやうなことはしない、  しかし近來出品の量を増されためその弊が少なくなつた、  八王子の共進會で自分審査した時もひどいのがあつた、それは蠶種であるが、一旦卵を洗ひ落して更にアラビヤゴムかなにかですつかりくつけたのである、しかしありうべからざるものであるといふことにして審査しなかつた、なんでも二十八蛾の框製で三十人手間もかゝるといふことである、  茨城縣のものはそんなところは正直のやうだ、隨て褒賞などは貰はれない、褒賞が貰はれないので出品するものが非常に少ないといふやうなわけだ、  こんなに暖くては晩霜の恐はあるまいかといふやうな話がいろ/\あつた、  午後三時叔父歸る、  皆葉の金兵衛の家の老婆妹に遇ひに來る、嘗て妹が里子に行つて居た家の老婆である、死ぬまでもう遇はれないだらうなとゞ繰り返していふのである、八十になるけれど耳はたしかだといふことだ、仕度物を引き出して見せたらなんでも驚いて居た、夕方かへる、飯はくはない/\といつて食つて行つた、  隣村では豆人形の寄せ太皷が鳴る、  聞けば分家の鷄けふ賣つてしまつたといふことである、  夜はやく眠くなつた、次で頭が痛くなつた、一日机によりかゝつた精である、  日記をかいて居ると茶の間では無駄話し、  神戸へ行つた時、チャン/\の小供が芋を噛ぢつて居たから手を出したらアカンべーをしたつけなどゝ清兵衛がいつて居る、  鷄また宵時をつくる、牛乳二合、  六日、金曜、曇、陰鬱なる空から折々日光を見る、風吹いて寒し、  小便酒臭し、これは寢しなに睡眠剤として少しやつたからである、下戸といふものは恐ろしいものである、冷水浴いつもの如し、  けふ舊※の二月八日、屋根へ目籠を立てる、一つの目の鬼が夜になると家内を覗ひに來るのであるが、目籠さへ立てゝ置けばその目の夥しいので怖れて逃げてしまふので人間が無事で濟むのだといふ言ひ傳になつて居る、それでその鬼が何のために來るのかどうかちつとも解らない、かういふこともいふ、この日福の神樣が世間へ稼ぎに出て十二月の八日に歸つて來るのである、これも何のことかちつとも解らない、  左千夫よりはがき、自分がいつてやつた調子論大體同感、機關雜誌に就ての意見尤もの點が多いとある、  庭の松葉を取拂ふ、男一人、女二人、松葉の土に付いた所は腐りかゝつて居る、  椚眞木の調べに北原へ行く、『モト山』が居なかつた、『モト山』といふのは伐木を業とするものゝ稱である、北原は『キタツパラ』といふのである、  不動堂の損木が拂下げになつて枝だけは念佛講の爺さん婆さんで貰つたといふことである、歸りがけに見ると念佛衆の中の『モト山』が二人ではたらいて居た、一人は隣の瘤爺で焚火の側で鋸の目を立てゝ居る、一人はカシラといふ小男でねじ折れた木に乘つて枝を伐つて居る、カシラがいふのに、二十一の時に鴉の巣を捕りにこの木のテツペンまで登つたつけ、と念佛衆といふは難有いもので貰ひたいといはなくつてもみんなが呉れるつていふんだからたいしたもんだ、これだけの枝ぢやしばらくあたれらあ、明日初午だから仕事は休まなくちやならねえ、去年の初午にや鋸をはねらかしつちやつて馬鹿な目に遇つちやつた、などゝ獨言をカシラがいつて居る、  正午過ぎ、無闇に雜誌を披く、  酒糟を賣りに來る、妹買ふ、  頭の具合惡し、暫らく横になる、松葉を掻く熊手の音がガサ/\と聞こえる、  平方祖父來り『モト山』來る、 『モト山』と共に眞木調べに行く、刺の生えた木をなんだと聞けば、『ウコギバラ』といふのだといはれた、  夕方表へ笹を三本立てゝ上の所を一つに結ぶ、これはけふの祭りの例である、うちの福の神樣がけふ表から出て行くのださうである、十二月になると裏から歸るので笹も裏へ立てる、この笹を立てるので笹神祭と呼んで居る、麥飯を焚いてこの笹の上へ供へまつるのである、  夜母下妻より歸る、妹の婚姻に就いて用意のためけさ行つたのである、 『ウコギバラ』と五加木と同じものかどうかと思つてランプの下で歳事記を披いて見る、五加木といふものは自分は見たことがないからである、 春、うの部 〔二月〕 五加木 〔蘇頌圖經〕五加木、春苗を生じ、莖葉共に青し、叢をなす、  とある、別物であらう、  朝、茶の子餅、餡鹽の如し、  晝、卵子燒、  夜、麥飯冷汁をかけて喰ふ、里芋、  牛乳二合、  足長蜂の巣のやうな三椏の蕾ひらく、  庭とこの芽外皮を破り相對して延ぶること五分、中に花を抱く、  麥ます/\青し、  七日、土曜快晴西風吹く、  珍らしく霜柱立つ、梅花二三片散りたるおもしろし、  松葉を拂ひたるため庭あらたなる心地す、  朝飯九時過ぎ、鮒の甘露煮豆腐汁、麥飯  先生の遺稿閲覽期日今日にて盡く、更に見返して送る、  火鉢の側にてホトトギス六七册披き見る、九月十四日の朝の記くり返し/\見る、  母、妹、下女スミツカリを拵へる、これは大根下しと熬り豆と、酒糟と、酢醤油とで煮たものである、初午にはこれと赤飯とがつき物である、  藁苞十ばかりを作つてスミツカリを入れてうらの稻荷や氏神へ供へる、表の廂へも二つ投げ上げる、  晝飯、小豆飯、スミツカリ、卵のふわ/\、  土間では餅つき明日のお天念佛に念佛衆へやるのださうだ、  おせいとおふくが妹へ白足袋二足つゝ持つてきた、  久々で友人を訪ねた、  椚林のなかを過ぎて隣村の隣村である、在宅、鉢植の梅が疊の上に散らばつて青い枝が下を向いて居る、この友人といふのは理科大學の生徒であつたが助膜炎を患へてから退いて静養しつゝあるのである、  近ごろ獲たのだといつて鷄の膓から出た絛蟲と、絛蟲の棲息して居た膓の内壁と、ホウボウの頤に居た寄生蟲との三つを罎に漬けたのを見せられた、いづれも自分には珍らしいがホウボウ寄生蟲の大なること一寸許なるに至つては驚かさるを得ない、どこに居ても研究材料はあるのだがなか/\思ふやうに研究ができないと言はれた、  草餅を馳走珍らし、  夕方になつて歸る、  夜麥蕎、  うら庭の木瓜蕾ふくらみて赤く、桔梗は紫に、わすれ草は青く萠ゆ、霜掩の下に牡丹の芽のぶること一寸五分、  八日、日曜、曇、折々日光を見る、寒し、  昨夜よく眠らず明方うと/\として醒む、朝のうちに皆葉へ用足しに行く、不在、  郵便秀眞より封書、狂体十首を評したのである、夜一時十五分擱筆とある、徹夜することがたび/\であるさうだ、蕨より一つは先生の遺稿二號、一つは嚴君床上げの祝をしたといふはがき、  午後勝手元賑か、お天念佛の衆へ五目めしをおくるためである、  うしろの坪に念佛の大鼓が聞える、この日爺婆若返つて騷ぐためしである、  日のあるうち風呂に入る、きのふ初午にて風呂を立てないのが例なのでけふは早くたてたのだ、  足の甲を爪でゴリ/\掻く、牛の舌のやうにサヽクレ立つ、  夜月明かにしてまた雲掩ふ、皆葉へ行く用足る、  明日他出の用意、脚絆足袋、  朝牛乳、晝小豆飯とヤマべ一串、夕五目めし、  この日はじめて鶯を聞く下手なり、  九日月曜、陰鬱、寒さ冬の如し、  水戸まで行くのではやく出なければ遲くなるだらうと母に起されて起きる、  飯をくつて居るとお天念佛の鐘鳴る、『粟餅もつてこ、粟餅もつてこ』といつて叩くのだと母がいつた、きのふは米の餅、けふは粟の菱餅を供へるのである、  燒卵、牛乳、餅二つ、  草鞋脚絆にて出立つ、途中から人力車に乘る、鼻の反つた片目の相の惡い車夫であつたが下館の入口で默つて下してしまつた、  午後○時二十下館發車、  岩瀬驛にて下車、野村大島の二氏と婚姻の打合せをなす、二人とも媒酌人である、二時間ばかり話して三時半水戸へ、  汽車で見たもの二つ三つ、  洋服出立の男燧石にて卷煙草に火を付ける珍、窓から煎餅を買ふ爺ゆる/\と財布の紐を解く、人のことでももどかし、向き合ひに腰かけたる夫人樒柑の皮へ吸殼を吹く妙、  水戸に入る、梅いまさかり、  弘文社にて父に遇ふ、家を出た儘もう十日ばかりになるからけさは是非共歸らうと思つたのだが待つ人があつて果さなかつたのだといはれた、婚姻も十四日と極つて居るのだから、内も忙しいなどゝいふことを話す、弘文社に泊る、  夕飯、麥飯豚汁酸味つかり、  夜、橦木町に從兄を訪ふ、不在、公園に行く、春雨ちら/\としてやみまたちら/\としてやむ、梅はうすらにぼんやりと白く見えた、自分の外に人はなかつた。  十日、火曜快晴、寒からず、  四時に目醒む、雨ざあ/\と降る、蛙鳴く、  六時起床、けさだけ冷水浴やすみ、  火鉢を擁して雜談、蛙のいま鳴くのは土中に在りて鳴くのだといふこと、鋸で鯰を捕るといふこと等、  八時二十分發車、  仙波兵庫といふ男が同室に乘込んで居た、父舊知だ相だ、代議士になつたのでみんなが不思議にして居たのである、尤も二十三年このかた選擧のたび毎に候補に立たないことがなかつたさうだ、つまり根氣で成功したのだ、しかし人物が屑なので困る、  雨がやんだ、空がはれかゝつた、笠間驛へつく、  父はこゝに下車、叔父の家へ行くのである、自分は乘りつゞける、  岩瀬で仙波は下りた、紫の褪めきつた風呂敷包と、破れた鞄とを持つて居た、  夕方にやうやく家へついた、表の廣間に妹の仕立物がならべてある、かね/″\見たいと村の者がいつて居たので女房達を呼んで見せたのだ相だ、もう大勢かへつた趾で三四人しか居なかつた、茶の間には茶碗や盃が狼藉として居る、一升も熬つた豆が忽ちに平げられたといふ話である、  子供達が學校から歸つて見に來た、彦といふ七八つの兒が感に堪へたさまで二拾錢銀貨二つかけた位は出たらうといつたので大笑ひをした、  庭の梅散りしきて白し、  十一日、曇、泣き出しさうなり、 郵便左千夫より、日本週報課題春雨の歌に就いて詳細の論である、 ……今出たのを見ると君のは意外に少ない……君のは四首や五首ではあるまい、外の歌はどんな歌か見せ給へ、例令人々考が異りたりとて半數以上を削る削る方が無理か詠者が無理かお互に少し注意せねばならぬと思ふ、實際歌がよくないとすれば半數も削られるやうな歌を送るは選者を困らせること少なからず、同人間ではこの邊少し考へねばならぬ……  これがその冒頭だが、自分の作つたのは二十首で入選の歌は四首、半數どころか五分の一のみ、これは作者の惡いのであつた、返事を書かとしたが筆が澁つたのでよす、かういふことはたび/\である、頭のわるいこと醉へるが如くである、  午後、至急の郵便を出すため宗道へ行く、斬髮、夜に入りてかへる、  甘酒作るために焚いた飯へ餡をのせてくふ、卵のふわ/\、葱と鰌の汁、  樒柑の霜よけ、牡丹の霜よけ取拂ふ、  梅やゝだらける、  自分座敷箪笥や長持を運び込まれたので急に狹くなつた、  十二日、木曜、朝雨、忽ちにして霽、  午後、妹の鏡臺に手入れする所があつたので杉山建具屋へ行く、貧乏な淋しい店先で自分はかゞんだまゝ見て居ると建具屋が突然立つて勝手の戸をあけるや否やひどい叫び聲をした、火が一面に燃え揚つて居た。女房が釜くどの前へ籠をころがしたまゝで水汲みに行つたうちに火が燃えしやつて、籠の松葉へついたのだ相だ忽ちのうちに消しとめた、建具屋は頻りに怒鳴つて怒つてゐる、女房は困つた顏でぼんやり立つて居る、隣のものもかけてきて立つて居る、火事騷ぎとしては尤も小さな騷ぎだが騷ぎは騷ぎであつた、半燒の物件は左の如くである、

一、竹籠、一、松葉一籠、一、古手拭一本

 夕方左千夫へ返事の稿をつぐ澁る、やめ、
 この日の來客中岫のねえさん、儀理を述べかた/″\妹の附添を連れて來た、羽生叔母女の子を連れてきた、下妻に居る祖母も來た、仕立物を出して見せる、をととひ來た連中がうがひ茶碗を丼と見、黄八丈の夜具を黄縞の木綿と見て行つたものがあつたなどといふ話をして笑ふ、妹はみんなに仕立物を引つ張りまはされるので汚されては大變だと思つて手を握つたといつて居る、
 隣村から女房ども二人で來た、見て居たら書院へ行つて床の間へ腰を掛けた、
 朝、蕎麥、晝、鮒の洗ひ、夕、鯉こく、(明治三十六年)



底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発
入力:林 幸雄
校正伊藤時也
2004年1月27日作成
青空文庫作成ファイル
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