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半七捕物帳 10 広重と河獺 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

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  • ★小女郎狐 半七捕物帳 岡本綺堂 春陽堂文庫 昭和17年 初版 1942
  • 半七捕物帳 旺文社文庫 全6巻
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  • 半七捕物帳(全7巻)岡本綺堂著・春陽文庫
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  • 春陽堂版『半七捕物帳』岡本綺堂 帯 昭和30年
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半七捕物帳 広重と河獺      一  むかしの正本(しょうほん)風に書くと、本舞台一面の平ぶたい、正面に朱塗りの仁王門、門のなかに観音境内の遠見(とおみ)、よきところに銀杏立木、すべて浅草公園仲見世の体(てい)よろしく、六区観世物の鳴物にて幕あく。――と、上手(かみて)より一人老人惣菜(そうざい)の岡田からでも出て来たらしい様子、下手(しもて)よりも一人青年出で来たり、門のまえにて双方生き逢い、たがいに挨拶すること宜しくある。
「やあ、これは……。お花見ですかい」
「別になんということもないので……、天気がいいから唯ぶらぶら出て来たんです」
「そうですか。わたくしは橋場(はしば)までお寺まいりに……。毎月一遍ずつは顔を見せに行ってやらないと、土の下で婆さんが寂しがります。これでも生きているうちは随分仲がよかったんですからね。はははははは。ところで、あんたはお午飯(ひる)は」
「もう済みました」
「それじゃあどうです。別に御用がなければ、これから向島方角へぶらぶら出かけちゃあ……。わたくしは腹こなしにちっと歩こうかと思っているところなんですが……」
「結構です。お供しましょう」
 ずるそうな青年は、ああ手帳を持って来ればよかったという思(おもい)入れ、すぐに老人のあとに付いてゆく。同じ鳴物にて道具まわる。――と、向島土手の場。正面は隅田川を隔てて向う河岸をみたる遠見、岸には葉桜立木。かすめて浪の音、はやり唄にて道具止まる。――と、下手より以前の老人青年出で来たり、いつの間にか花が散ってしまったのに少しく驚くことよろしく、その代りに混雑しないで好いなどの台詞(せりふ)あり、二人はぶらぶらと上手へゆきかかる――。
 ここまで本読みをすれば、誰でも登場人物想像するであろう。老人は例の半七老人で、青年はわたしである。老人はわたしの問うにしたがって浅草あたりの昔話を聞かせてくれた。聖天(しょうでん)様や袖摺(そですり)稲荷の話も出た。それからだんだんに花が咲いて、老人はとうとう私に釣り出された。
「いや、まったく昔はいろいろ不思議なことがありましたよ。その袖摺いなりで思い出しましたが……。まあ、あるきながら話しましょう」

 これは安政五年の正月十七日の出来事である。浅草田町(たまち)の袖摺稲荷のそばにある黒沼孫八という旗本屋敷大屋根のうえに、当年三、四歳ぐらいの女の子死骸がうつ伏せに横たわっていたが、屋根のうえであるから屋敷の者もすぐには発見しなかった。かえって隣り屋敷の者に早く見つけられて、黒沼家でも初めてそれを知って騒ぎ出したのは朝の五ツ(午前八時)を過ぎた頃であった。足軽中間(ちゅうげん)が長梯子をかけて、朝霜のまだ薄白く消え残っている大屋根にのぼって見ると、それはたしかに幼い女の児で、服装(みなり)も見苦しくない。容貌(きりょう)も醜(みにく)くない。ともかく担ぎおろして身のまわりをあらためたが、彼女腰巾着を着けていなかった。迷子札(まいごふだ)も下げていなかった。したがって、何処の何者だかを探り出す手がかりも無いので、皆もしばらく顔を身合わせていた。
 彼女の身許がわからないということよりも、まず第一に諸人の頭を悩ましたのは、この幼い娘がどうして此の屋敷大屋根の上に、小さい亡骸(なきがら)を横たえていたかという疑問であった。黒沼家は千二百石の大身(たいしん)で、屋敷のうちには用人給人、中小姓足軽中間のほかに、乳母、腰元、台所働きの女中などをあわせて、上下二十幾人の男女が住んでいるが、一人もこの娘の顔を見識っている者はなかった。屋敷へふだん出入りする者の眷族(けんぞく)にも、こういう顔容(かおだち)の娘は見あたらなかった。身許不明の此の娘がどうして此の屋根のうえに登ったのか、その判断がなかなかむずかしかった。平屋(ひらや)作りではあるが、武家屋敷大屋根普通の町家よりも余っぽど高いのであるから、たとい長梯子を架けたとしても、三つや四つの幼い者が容易に這い上がれようとは思われない。そんなら天から降ったのか。あるいは天狗にさらわれて、宙から投げ落されたのではあるまいか。去年の夏から秋にかけて、江戸の空にはときどき大きい光り物が飛んだ。ある物は大きい牛のような異形(いぎょう)の光り物が宙を走るのを見たとさえ伝えられている。所詮はそういう怪しい物に引っ掴まれて、娘の死骸は宙から投げ落されたのではあるまいかと、賢(さか)しら立って説明する者もあったが、主人の黒沼孫八はその説明に満足しなかった。彼はふだんから天狗などというものの存在を一切否認しようとしている剛気の武士であった。
「これには何か仔細がある」
 いずれにしても其のままには捨て置かれないので、彼はその次第を一応は町奉行所にも届けろと云った。武家屋敷内の出来事であるから、表向きにしないでも何とか済むのであるが、彼はその疑問を解決するために町方(まちかた)の手を借りようと思い立って、わざと公(おおやけ)にそれを発表しようとしたのであった。
「かような幼い者に親兄弟のない筈はない。娘を失い、妹をうしなって、さだめし嘆き悲しんでいる者もあろう。その身許をよくよく詮議して、せめて亡骸(なきがら)なりとも送りとどけ遣わしたい。屋敷の外聞など厭うているべき場合でない。出入りの者どもにも娘の人相|服装(みなり)などをくわしく申し聞かせて、心あたりを詮索(せんさく)させろ」
 主人がこういう意見である以上、だれも強(し)いて反対するわけにも行かなかった。


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