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半七捕物帳 13 弁天娘 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

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  • ★小女郎狐 半七捕物帳 岡本綺堂 春陽堂文庫 昭和17年 初版 1942
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半七捕物帳 弁天娘      一  安政年号あらたまった年の三月十八日であった。半七はこれから午飯(ひるめし)を食って、浅草の三社(さんじゃ)祭りを見物に出かけようかと思っているところへ、三十五六の男がたずねて来た。かれは神田明神下の山城屋という質屋番頭で、利兵衛という白鼠(しろねずみ)であることを半七はかねて知っていた。
「なんだかお天気がはっきりしないので困ります。折角の三社様もきのうの宵宮(よみや)はとうとう降られてしまいました。きょうもどうでございましょうか」と、利兵衛は云った。
「全くいけませんでしたね。降っても構わずにやるというから、わたしもこれからちょいと行って見ようかと思っているんですがね。少し雲切れがしているから、午過(ひるす)ぎからは明るくなるかと思いますが、なにしろ花時ですから不安心ですよ」
 半分あけてある窓の間から、半七はうす明るくなった空をながめると、利兵衛は少しもじもじしていた。
「では、これから浅草へお出かけになるのでございますか」
お祭りがことしはなかなか賑やかに出来たそうですからね。それに一軒呼ばれている家(うち)がありますから、まあちょいと顔出しをしなくっても悪かろうと思って……」と、半七は笑っていた。
「はあ、左様でございますか」
 利兵衛はやはりもじもじしながら煙草をのんでいた。それがなにやら仔細ありそうにも見えたので、半七の方から切り出した。
番頭さん。なにか御用ですかえ」
「はい」と、利兵衛はやはり躊躇していた。「実は少々おねがい申したいことがあって出ましたのでございますが、お出さきのお邪魔をいたしては悪うございますから、夜分か明朝(みょうあさ)また出直して伺うことに致しましょうかと存じます」
「なに、構いませんよ。もともとお祭り見物で、一刻(いっとき)半刻をあらそう用じゃあないんですから、なんだか知らないが伺おうじゃありませんか。おまえさんも忙がしいからだで幾たびも出て来るのは迷惑でしょうから、遠慮なく話してください」
「お差し支えございますまいか」
「ちっとも構いません。いったいどんな御用です。なにか御商売上のことですか」と、半七は催促するように訊(き)いた。
 いつの時代でも、質物(しちもつ)渡世(とせい)は種々の犯罪事件とのがれぬ関係をもっているので、半七は今この番頭の仔細ありげな顔色を見て、それが何か事件に絡(から)んでいるのではないかと直覚した。しかし利兵衛はまだ躊躇しているようで、すぐには口を切らなかった。
番頭さん。ひどくむずかしいお話らしゅうござんすね」と、半七は冗談らしく笑った。「おまえさん、なにか粋事(いきごと)ですかえ。それだと少し辻番違うが、まあお話しなさい。なんでも聴きますから」
「どういたしまして、御冗談を……」と、利兵衛は頭をおさえながら苦(にが)笑いをした。「そういう派手なお話だと宜しいのでございますが、御承知のとおり野暮人間でございまして……。いえ、実は親分さん。ほかのことではございませんが、少々お知恵を拝借したいと存じまして……。お忙がしいところを甚だ御迷惑とも存じますので、手前もいろいろ考えたのでございますが……」
 前置きばかりがとかく長いので、半七もすこし焦(じ)れて来た。かれは再び窓の方を見かえって、わざとらしく吸いさしの煙管(きせる)をぽんぽんと強く叩くと、その音におびやかされたように、利兵衛は容(かたち)をあらためた。
親分さん。手前はとかく口下手(くちべた)で困りますので……。まあ、お聴きください。手前自身のことではございませんので、実は主人の店に少々面倒なことが起りまして……」
「ふむ。お店でどうしました」
「御存じかどうか知りませんが、主人の店に徳次郎という小僧がございます。ことし十六で、近いうちに前髪を取ることになって居ります。それが何だか判らないような病気で、きのう亡くなりましたのでございます」
「やれ、やれ、可哀そうに……。どんな小僧さんだかよく覚えていないが、なにしろ十五や十六で死んじゃ気の毒だ。ところで、それがどうかしたんですかえ」
「徳次郎半月ほど前から、急に口中が腫れふさがりまして口を利(き)くことが出来なくなりました。出入りの医者手当をして貰いましたが、だんだん悪くなりますばかりで、よんどころなく駕籠に乗せまして、ひとまず宿(やど)へ下げましたのでございます。宿は本所相生町(あいおいちょう)の徳蔵という魚屋(さかなや)で、ふだんから至極|実体(じってい)な人間でございます。ところが、宿へ帰りましてから徳次郎模様がいよいよ悪くなりまして、とうとうきのうの八ツ頃(午後二時)に息を引き取ったそうで、まことに可哀そうなことを致しました。それもまあ寿命(じゅみょう)なら致し方ないのでございますが、当人がいよいよ息を引き取ります時、廻らない舌で何か申しましたそうで……」云いかけて、利兵衛はまた躊躇した。
「どんなことを云ったんです」と、半七は追いかけて訊(き)いた。
「それがお前さん。徳次郎が死にぎわに、わたしは店のお此(この)さんに殺されたのだと申したそうで……」と、利兵衛は小声で答えた。
 お此というのは、山城屋のひとり娘で、町内でも評判の容貌(きりょう)好しであるが、どういうわけか縁遠くて、二十六七になるまで白歯(しらは)の生娘(きむすめ)であった。それがために兎角よくない噂が生み出されて、お此は弁天娘というあだ名で呼ばれていた。


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