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半七捕物帳 17 三河万歳 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

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  • ★小女郎狐 半七捕物帳 岡本綺堂 春陽堂文庫 昭和17年 初版 1942
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半七捕物帳 三河万歳      一  ある年の正月門松(かどまつ)のまだ取れないうちに赤坂の家(うち)をたずねると、半七老人格子の前に突っ立って、初春の巷(ちまた)のゆきかいを眺めているらしかった。 「やあ、いらっしゃい。まずおめでとうございます」
 いつもの座敷へ通されて、年頭の挨拶が式(かた)のごとくに済むと、おなじみの老婢(ばあや)が屠蘇の膳を運び出して来た。わたしがここの家で屠蘇を祝うのは、このときが二度目であったように記憶している。今とちがって、その頃は年礼を葉書一枚で済ませる人がまだ少なかったので、表には日の暮れるまで人通りが絶えなかった。獅子囃子(はやし)や万歳の鼓(つづみ)の音も春めいてきこえた。
麹町辺よりこちらの方が賑やかですね」と、わたしは云った。
「そうでしょうね」と、老人はうなずいた。「以前は赤坂よりも麹町の方が繁昌だったんですが、今ではあべこべになったようです。麹町赤坂も、昔は山の手あつかいにされていた土地で、下町(したまち)にくらべるとお正月気分はずっと薄かったものです。川柳にも『下戸(げこ)の礼、赤坂四谷麹町』などとある。つまり上戸下町酔いつぶれてしまうが、下戸は酔わないから正直四谷赤坂麹町まで回礼をしてあるくわけで、春早々から麹町赤坂などの年始廻りをしているのは野暮(やぼ)な奴だというようなことになっていたんです。しかし万歳だけは山の手の方にいいのが来ました。武家屋敷が多いので、いわゆる屋敷万歳たくさん来ましたからね。明治以後には出入り屋敷というものが無くなってしまいましたから、万歳一年ごとに減って行くばかりで、やがては絵で見るだけのことになるかも知れません」
「どこの屋敷にも出入り万歳というものがあったのですか」と、わたしは訊(き)いた。
「そうです。屋敷万歳はめいめいの出入り屋敷がきまっていて、ほかの屋敷や町家へは決して立ち入らないことになっていました。幾日か江戸に逗留して、自分の出入り屋敷だけをひと廻りして、そのままずっと帰ってしまうのです。町家を軒別(けんべつ)にまわる町万歳は、乞食万歳などと悪口を云ったものでした。そういう訳ですから、万歳だけは山の手の方が上等でした。いや、その万歳について、こんな話を思い出しましたよ」
「どんなお話ですか」
「いや、坐り直してお聴きなさるほどの大事件でもないので……。あれは何年でしたか、文久三年か元治元年、なんでも十二月二十七日の寒い朝神田橋の御門外、今の鎌倉河岸(がし)のところに一人の男が倒れていました。男は二十五六の田舎者らしい風俗で、ふところに女の赤ん坊を抱いていた。それが、このお話の発端(ほったん)です」

 男は息が絶えていた。師走(しわす)の風の寒い一夜を死人のふところに抱かれていた赤児は、もう泣き嗄(か)れて声も出なかったが、これはまだ幸いに生きていた。つい眼と鼻のあいだの出来事であるから、検視のまだ下(お)りないうちに半七はすぐに其の場へ駈け付けてみると、死んだ男のからだには何も怪しい疵(きず)のあとは無かった。抱いている赤児にも別条はなかった。しかし半七をおどろかしたのは、その赤児が二本の鋭い牙(きば)をもっていることであった。赤児は生まれてからまだ二タ月か三月しか経つまいと思われるぐらいの嬰児(みずこ)であったが、その上顎の左右には一本ずつの牙が生えていた。俗にいう鬼っ児である。この鬼っ児をかかえて往来に倒れていた男――それには何かの仔細があるらしく思われた。近所の人にだんだん問い合わせると、前の晩の夜ふけに彼によく似た男が通りがかりの夜鷹蕎麦(よたかそば)を呼び止めて、燗酒(かんざけ)を飲んでいるのを見た者があるとのことであった。それらの話から考えると、かれは寒さ凌(しの)ぎに燗酒をしたたかに飲んでの前後不覚酔い倒れて、とうとう凍(こご)え死んでしまったのではあるまいかと半七は判断した。かれは木綿財布小銭(こぜに)を少しばかり入れているだけで、ほかにはなんにも手掛りになりそうなものを持っていなかったが、半七はその右の手のひらの鼓胝(つづみだこ)をあらためて、彼はおそらく才蔵であろうとすぐ鑑定した。たとえ万歳であろうが、才蔵であろうが、勝手にくらい酔って凍え死んだというだけのことであれば、別にむずかしい詮議はいらない。そのまま町(ちょう)役人に引き渡してしまえばいいのであるが、彼のふところに抱えていた赤児の来歴がどうも判らなかった。他国者の才蔵が赤児をかかえて、寒い夜なかに江戸の町なかをさまよい歩いていたという、その理窟が呑み込めなかった。殊に赤児が二本の怪しい牙をもっているだけに其の疑いはいよいよ深くなった。
 やがて町奉行所から当番の役人出張して、医師も立ち会いで検視をすませたが、死人のからだには仔細なく、やはり大酔のために路傍(みちばた)に倒れて、前後不覚のうちに凍死を遂げたものと決められてしまった。しかしかれの抱えている鬼っ児の正体は係り役人にも判らなかった。半七は八丁堀同心菅谷兵衛屋敷へ呼ばれた。
「どうだ、半七。けさの行き倒れは、何者だと思う。あんな因果者を抱えているのをみると、香具師(やし)の仲間かな」と、弥兵衛は云った。
「さあ、手のひらの硬い工合(ぐあい)がどうも才蔵じゃねえかと思いますが……」
「むう。おれもそう思わねえでもなかったが、香具師ならば理窟が付く。やあぽんぽんの才蔵じゃあ、どうも平仄(ひょうそく)が合わねえじゃあねえか」
「ごもっともです」と、半七も考えていた。「しかし旦那の前ですが、その平仄の合わねえところに何か旨味(うまみ)があるんじゃありますまいか。ともかくもちっと洗いあげてみましょう」
「節季(せっき)師走(しわす)に気の毒だな。あんまりいい御歳暮でも無さそうだが、鮭(しゃけ)の頭でも拾う気でやってくれ」
「かしこまりました」
 半七は受け合って八丁堀を出たが、どこから手をつけていいかちょっと見当が決まらなかった。


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