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半七捕物帳 26 女行者 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

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  • ★小女郎狐 半七捕物帳 岡本綺堂 春陽堂文庫 昭和17年 初版 1942
  • 半七捕物帳 旺文社文庫 全6巻
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  • 半七捕物帳(全7巻)岡本綺堂著・春陽文庫
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  • 春陽堂版『半七捕物帳』岡本綺堂 帯 昭和30年
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  • 半七捕物帳 全6冊◆岡本綺堂 旺文社文庫 絶版
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半七捕物帳行者      一  明治三十二年の秋とおぼえている。わたしが久松町明治座を見物にゆくと、廊下で半七老人に出逢った。
「やあ、あなたも御見物ですか」
 わたしの方から声をかけると、老人も笑って会釈(えしゃく)した。そこはほんの立ち話で別れたが、それから二、三日過ぎてわたしは赤坂の家をたずねた。半七老人の劇評を聞こうと思ったからである。そのときの狂言は「天一坊(てんいちぼう)」の通しで、初代左団次大岡越前守、権十郎山内伊賀之助、小団次の天一坊という役割であった。
 わたしの予想通り老人はなかなかの見巧者(みこうしゃ)であった。かれはこの狂言書きおろしを知っていた。それは明治八年の春、はじめて守田座で上演されたもので、彦三郎の越前守、左団次伊賀之助、菊五郎天一坊、いずれも役者ぞろいの大出来であったなどと話した。
「御承知の通り江戸時代には天一坊をそのままに仕組むことが出来ないので、大日坊とか何とかいって、まあいい加減に誤魔化していたんですが、明治になったのでもう遠慮はいらないということになって、講釈師の伯円が先ず第一に高座(こうざ)で読みはじめる。それが大当りに当ったので、それを種にして芝居の方でも河竹が仕組んだのですが、それが又大当りで、今日までたびたび舞台に乗っているわけですが、やっぱり書きおろしが一番よかったようですな。いや、こんなことを云うから年寄りはいつでも憎まれる。はははははは」
 芝居の話がだんだん進んで、天一坊実録話に移って来た。
天一坊のことはどなたも御承知ですが、江戸時代には女天一坊というのも随分あったもんですよ」と、老人は云った。「尤(もっと)もそこは女だけに、将軍家御落胤(ごらくいん)というほどの大きな触れ込みをしないで、男の天一坊ほどの評判にはなりませんでしたが、小さい女天一坊は幾らもありましたよ。そのなかで、まず有名なのは日野家お姫様一件でしょう。あれはたしか文化四年四月の申渡(もうしわた)しとおぼえていますが、町奉行所の申渡書では品川|宿(じゅく)旅籠屋(はたごや)安右衛門|抱(かかえ)とありますから、品川の貸座敷娼妓ですね。その娼妓のお琴(こと)という女が京都日野中納言家(ひのちゅうなごんけ)の息女だと云って、世間の評判になったことがあります。その頃、公家(くげ)のお姫様女郎(じょろう)になったというのですから、みんな不思議がったに相違ありません。お琴は奉公中に主人の店をぬけだして、浅草源空寺門前の善兵衛というものを家来に仕立て、例の日野家息女をふりまわして、正二位|内侍局(ないじのつぼね)とかいう肩書(かたがき)で方々を押し廻してあるいていることが奉行所の耳へきこえたので、お琴も善兵衛も吟味をうけることになりました。しかし奉行所の方でも大事を取って、一応念のために京都へ問いあわせたのですが、日野家では一切知らぬという返事であったので、結局お琴は重追放、善兵衛手錠を申し渡されて、この一件は落着(らくぢゃく)しました。なぜそんな偽りを云い触らしたのか判りませんが、おそらく品川借金をふみ倒した上で、なにか山仕事を目論(もくろ)もうとして失敗したもので、つまりこんにちの偽(にせ)華族というたぐいでしたろう。それが江戸じゅうの噂になったので、狂言作者名人南北がそれを清玄(せいげん)桜姫のことに仕組んで、吉田家の息女桜姫が千住(せんじゅ)の女郎になるという筋で大変当てたそうです。その劇場は木挽町(こびきちょう)の河原崎座で『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』というのでした。いや、余計な前置きが長くなりましたが、これからお話し申そうとするのは、その日野家息女一件から五十幾年の後のことで、文久元年九月とおぼえています」

 八丁堀同心岡崎長四郎からの迎えをうけて、半七はすぐにその屋敷へ出かけて行った。それは秋らしい雨のそぼ降る朝であった。
「悪いお天気で困ります」
「よく降るな。秋はいつもこれだ、仕方がねえ」と、岡崎は雨に濡れている庭先をながめながら欝陶(うっとう)しそうに云った。
「いや、この降るのに気の毒だが、ちっと調べて貰いたい御用がある。この頃、茅場町(かやばちょう)に変な奴があるのを知っているか」
「へえ」と、半七は首をかしげた。
「尤(もっと)も、この頃は変な奴がざらに転(ころ)がっているから、唯そればかりじゃあ判断がつくめえ」
 岡崎ちょっと笑い顔をみせたが、又すぐにまじめになった。
「変な奴の正体は女の行者(ぎょうじゃ)だ。案外に年を食っているかも知れねえが、見たところは十七か十八ぐらいの美しい女で、何かいろいろの祈祷(きとう)のようなことをするのだそうだ。まあ、それだけなら見逃がしても置くが、そいつがどうも怪(け)しからねえ。女がいい上に、祈祷上手だというので、この頃ではなかなか信者がある。この信者のなかで工面(くめん)のよさそうな奴を奥座敷へ引き摺り込んで、どう誤魔化すのか知らねえが、多分の金を寄進させるという噂だ。男だけならば色仕掛けという狂言かとも思うが、そのなかには女もいる。いい年をした爺さん婆さんもある。それがどうも腑(ふ)に落ちねえ。いや、まだ怪しからねえのは、そいつが京都公家(くげ)の娘だと云っているそうだ。冷泉為清(れいぜいためきよ)卿の息女で、左衛門局(さえもんのつぼね)だとか名乗って、白の小袖に緋(ひ)の袴(はかま)をはいて、下げ髪にむらさき縮緬(ちりめん)の鉢巻のようなものをして、ひどく物々しく構えているが、前にもいう通り容貌(きりょう)は好し、人品はいいので、なかなか神々(こうごう)しくみえるということだ。どうだ、ほんものだろうか」
「そうですねえ」と、半七は再び首をかしげた。「京都へお聞きあわせになりましたか」
「勿論、念のために聞き合わせにやってある。その返事はまだ判らねえが、冷泉為清という公家はいねえという話だ。といったら、考えるまでもなく、それは偽者だというだろうが、なにぶんにも今の時節だ。ひょっとすると、ほんとうの公卿の娘が何かの都合でいい加減の名をいっているのかも知れねえからな。そこが詮議ものだ」
「ごもっともでございます」
 半七もうなずいた。今の時節――勤王討幕の議論が沸騰している今の時節では、仮りにも京都公家にゆかりがあるという者、それは厳重に詮議しなければならない。殊に祈祷にことよせて、多分の金銀をあつめるなどとは聞き捨てにならない。討幕派の軍用調達というほどの大仕掛けではなくとも、江戸をあばれ廻る浪士どもの運動調達ぐらいのことは無いともいわれない。


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