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半七捕物帳 33 旅絵師 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

  • 定本 半七捕物帳 全5巻 岡本綺堂 
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半七捕物帳絵師      一 「江戸時代隠密(おんみつ)というのはどういう役なんですね」と、ある時わたしは半七老人に訊(き)いた。 「芝居講釈でも御存知の通り、一種の国事探偵というようなものです」と、老人は答えた。「徳川幕府で諸大名の領分へ隠密を入れるというのは、むかしから誰も知っていることですが、その隠密は誰がうけたまわって、どういう役目を勤めるかということがよく判っていないようです。この隠密の役目を勤めるのは、江戸城内にある吹上(ふきあげ)の御庭番で、一代に一度このお役を勤めればいいことになっていました。
 なぜ御庭番がこのお役を勤めることになったかというと、それにはいろいろの説がありますが、三代将軍家光公がある時、吹上の御庭をあるいている時に、御庭番水野なにがしというのを呼んで、これからすぐに薩摩へ下(くだ)って、鹿児島の城中の模様隠密に見とどけてまいれと、将軍自身に仰せ付けられたので、水野はその隠密洩れるのを恐れて、自分屋敷へ帰らずにお城からまっすぐに九州へ下ったということです。水野が庭作りに化けて薩摩へ入り込んで、城内の蘇鉄(そてつ)の根方に手裏剣を刺し込んで来たというのは有名な話ですが、嘘だかほんとうだか判りません。とにかくそれが先例になって、隠密の役はいつも吹上御庭番が勤めることになったのだと、江戸時代ではもっぱら云い伝えていました。御庭番吹上奉行の組下で若年寄支配をうけていましたが、隠密の役に限ってかならず将軍自身から直接に云い付けられるのが例となっているので、御庭番はさして重い役ではありませんが、隠密の役は非常に重いことになっていました。
 それですから、御庭番の家に生まれた者はなんどき其の役目を云い付けられるか判らないので、その覚悟をしていなければなりません。勿論、侍の姿で入り込むわけには行きませんから、いざという時には何に化けるか、どの人もふだんから考えているんです。手さきの器用なものは何か職人になる。遊芸の出来る者は芸人になる。勝負事の好きなものは博奕打(ばくちうち)になる。おべんちゃらの巧い奴は旅商人(たびあきんど)になる。碁打ちになる、俳諧師になる。梅川の浄瑠璃(じょうるり)じゃあないが、あるいは順礼(じゅんれい)、古手買、節季候(せきぞろ)にまで身をやつす工夫(くふう)を子供の時から考えていた位です。そうして、かの水野が先例になったのでしょう。その役目を云い付かると同時に将軍から直々(じきじき)御手許金を下さる。それを路用にしてお城からまっすぐに出発するのが習いで、自分の家へ帰ることは許されないことになっていました。
 幕府が諸大名の領内へ隠密を出すのは、いろいろの場合があるので一概には云えませんが、大名の代換(だいがわ)りという時には必ず隠密を出しました。それは例のお家騒動注意するためです。前にもいう通り隠密は一代に一度のお役で、それを首尾よく勤めさえすれば、あとは殆ど遊んでいるようなもので、まことに気楽な身分にも見えますが、この隠密という役はまったく命懸けで、どこの藩でも隠密が入り込んだことに気がつくと、かならずそれを殺してしまいます。もともと秘密にやった使ですから、見す見す殺されたことを知っていても、幕府からは表向きの掛け合いは出来ません。所詮は泣き寝入りの殺され損になるに決まっていたものです。隠密期限一年で、それが三年をすぎても帰って来なければ、出先で殺されたものと認めて、その子か又は弟に家督相続を仰せ付けられることになっていました。しかしひと思いに殺されたのは運のいい方で、意地の悪い大名になるとそれを召し捕って、面当てらしく江戸へ送り還(かえ)してよこすのがあります。それですから、万一召し捕られた場合には、たといどんな厳し拷問をうけても、自分公儀隠密であるということを白状しないのが習いで、もし白状すれば当人は死罪、家は断絶です。そういう恐ろしいことになっていますから、隠密がもし召し捕られた場合には眼を瞑(つむ)って責め殺されるか、但しは自殺するか破牢するか、三つに一つを選むよりほかはないので、隠密はかならず着物の襟のなかにうす刃の切れ物を縫い込んでいました」
「なるほど、ずいぶん難儀な役ですね」
「それですから、隠密に出された人たちは、その出先で、いろいろのおそろしいこともあり、おかしいこともあり、悲劇喜劇さまざまだそうですが、なにしろ命懸けで入り込むんですから、当人たちに取っては一生懸命仕事です。いや、その隠密についてこんな話があります。これは今云った悲劇喜劇のなかでは余ほど毛色の変った方ですから、自分のことじゃありませんけれど、受け売りの昔話を一席弁じましょう。このお話は、その隠密の役目を間宮鉄次郎という人がうけたまわった時のことで、間宮さんはこの時二十五の厄年(やくどし)だったと云います。それから最初におことわり申しておくのは、このお話の舞台は主(おも)に奥州筋ですから、出る役者はみんな奥州弁でなければならないんですが、とんだ白石噺(しらいしばなし)の揚屋お茶番で、だだあやがあまを下手にやり損じると却(かえ)ってお笑いぐさですから、やっぱり江戸弁でまっすぐにお話し申します」

 文政四年五月十日の朝、五ツ(午前八時)を少し過ぎた頃に、奥州街道栗橋関所を無事に通り過ぎた七、八人の旅人がぞろぞろ繋(つな)がって、房川(ぼうかわ)の渡(わたし)(利根川)にさしかかった。そのなかには一人の若い旅絵師がまじっていた。渡し船は幾|艘(そう)もあるので、このひと群れは皆おなじ船に乗り込んで、河原と水とをあわせて三百間という大河のまん中まで漕ぎ出したときに、向うから渡ってくる船とすれ違った。広い河ではあるが、船の行き馴れている路はいつも決まっているので、両方の船は小舷(こべり)が摺れ合うほどに近寄って通る。船頭は馴れているので平気で棹(さお)を突っ張ると、今日はふだんより流れのぐあいが悪かったとみえて、急に傾いてゆれた船はたがいにすれ違う調子をはずして、向うから来た船の舳先(へさき)がこっちの船の横舷(よこべり)へどんと突きあたった。
 つき当てられた船はひどく揺れて傾いたので、乗っていた二、三人はあわてて起(た)ちかかった。船頭があぶないと注意する間(ひま)もなしに、一人の若い娘はからだの中心を失って、河のなかへうしろ向きに転げ落ちてしまった。どの人も顔色を変えてあっと叫ぶ間に、船頭は棹をすてて飛び込んだ。かの旅絵師もつづいて飛び込んだ。見る見る川しもへ押し流されて行った娘は、七、八間のところで旅絵師の手に掴(つか)まえられると、水練の巧みらしい彼は、娘を殆ど水のなかから差し上げるようにして、もとの船へ無事に泳いで帰ったので、大勢はおもわず喜びの声をあげた。取り分けその娘の親らしい老人と供の男とは手を合わせて彼を拝んだ。船頭は乗合一同にひどくあやまって、ともかく向う岸まで船を送り着けた。
 娘はさのみに弱ってもいなかった。そのころは五月であるから凍(こご)えることもなかった。渡し小屋で濡れた単衣(ひとえ)を着かえて、彼女は父と供の男とに介抱されながらしばらく休んでいるうちに、旅絵師は娘の無事を見とどけて、自分着物を着かえて、そのまま行こうとすると、大切な娘の命を助けられたそのお礼がまだ十分に云い足りないというので、老人はしきりに彼を抑留(ひきと)めた。娘だけを駕籠に乗せて、自分たちは近い宿(しゅく)まで一緒にあるいて行って、老人はある立場(たてば)茶屋奥座敷へ無理にかの旅絵師誘い込んで、ここであらためて礼を云った上で酒や肴(さかな)を彼にすすめた。
 老人奥州の或る城下の町に穀屋(こくや)の店を持っている千倉屋伝兵衛という者であった。年来の宿願(しゅくがん)であった金毘羅(こんぴら)まいりを思い立って、娘のおげんと下男の儀平をつれて、奥州から四国琴平(ことひら)まで遠い旅を続けて、その帰りには江戸見物もして、今や帰国の途中であると話した。この時代に足弱(あしよわ)と供の者とを連れて奥州から四国路までも旅行をするというのは、よっぽど裕福の身分でなければならないことは判り切っていた。


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