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半七捕物帳 38 人形使い - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

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半七捕物帳 人形使い      一 「年代はたしかに覚えていませんが、あやつり芝居猿若町(さるわかまち)から神田筋違外(すじかいそと)の加賀ツ原へ引き移る少し前だと思っていますから、なんでも安政の末年でしたろう」と、半七老人は云った。「座元は結城(ゆうき)だか薩摩(さつま)だか忘れてしまいましたが、湯島天神境内(けいだい)で、あやつり人形芝居興行したことがありました。なに、その座元には別に関係のないことなんですが、その一座の人形使いのあいだに少し変なことが出来(しゅったい)したんです。今時(いまどき)こんなことをまじめで申し上げると、なんだか嘘らしいように思召(おぼしめ)すかも知れませんが、まったく実録なんですからその積りで聴いてください。その人形使いのうちに若竹紋作と吉田冠蔵というのがありました。紋作はその頃二十三、冠蔵は二十八で、どっちも同じ江戸者でした。ああいう稼業には上方(かみがた)者が多いなかで、どっちも生粋(きっすい)の江戸っ子でしたから、自然おたがいの気が合って、兄弟も同様に仲がよかったんですが、それが妙なことから仇同士のような不仲になってしまって、一つ楽屋にいても碌々に口も利かないほどになったんです」
 二人が不仲になった原因はこうであった。あやつり芝居夏休みのあいだに、二人が一座を組んで信州路へ旅興行に出て、中仙道諏訪から松本城下へまわって、その土地の或る芝居小屋初日をあけたのは、盂蘭盆(うらぼん)の二日前であった。狂言は二日(ふつか)がわりで、はじめの二日は盆前のために景気もあまり思わしくなかったが、二の替りからは盆やすみで木戸止めという大入りを占めた。その替りの外題(げだい)は「優曇華浮木亀山(うどんげうききのかめやま)」の通しで、切(きり)に「本朝廿四孝」の十種香から狐火(きつねび)をつけた。通し狂言の「浮木亀山」は、いうまでもなく石井兄弟仇討で、紋作は石井兵助をつかい、冠蔵はかたきの赤堀水右衛門を使っていた。
 その初日の夜である。芝居の閉(は)ねたのはもう九ツ(夜の十二時)をすぎた頃で、一座のものは楽屋に枕をならべて寝た。田舎小屋楽屋ではあるが、座頭(ざがしら)格の役者を入れる四畳半部屋があって、仲のいい紋作と冠蔵とはその部屋占領して一つ蚊帳(かや)のなかに眠った。疲れ切っている二人は木枕に頭を乗せるとすぐに高いびきで寝付いてしまったが、およそ一※(いっとき)も経つかと思うころに紋作はふと眼をさました。建て付けの悪い肱掛(ひじか)け窓の戸を洩れて、冷たい夜風が枕もとの破れた行燈(あんどう)の灯をちろちろと揺らめかせている。信州の秋は早いので、壁にはこおろぎの声が切れぎれにきこえる。紋作は云いしれない旅のあわれを誘い出されて、遠い江戸のことなどを懐かしく思い出した。自分たちを置き去りにして土地の廓(くるわ)へ浮かれ込んだ一座の或る者を羨ましくも思った。
 木枕に押しつけていた耳が痛むので、かれは頭をあげて匍匐(はらば)いながら、枕もとの煙草入れを引きよせて先ず一服すおうとするときに、部屋の外の廊下で微かにかちりかちりという音がきこえた。紋作は鼠であろうと思って、はじめはそのまま聞き流していたが、やがて俄かに気がついた。せまい廊下には衣裳|葛籠(つづら)や人形のたぐいが押し合うようにごたごたと積みならべてある。疲れている一座のものは禄々にそれを片付けないでほうり出しているに相違ない。その何かを鼠に咬(かじ)られでもしてはならないと思い付いて、かれは煙管(きせる)を手に持ったままで蚊帳の外へくぐって出ると、物の触れ合うような小さい響きはまだ歇(や)まなかった。
 そのひびきを耳に澄ましながら、紋作はそっと出入り口障子をあけると、かなり広い楽屋のうちにたった一つ微かにともっている掛け行燈のうす暗い光りで、あたりは陰(くも)ったようにぼんやりと見えた。そのうす暗いなかに更にうす暗い二つの影が、まぼろしのように浮き出しているのを見つけた時に、紋作は急に寝ぼけ眼(まなこ)をこすった。ふたつの影は石井兵助と赤堀水右衛門との人形で、それが小道具の刀を持って今や必死に斬り結んでいるのであった。その闘いは金谷宿(かなやじゅく)佗住居の段で、兵助が返り討ちに逢うところであるらしくみえた。非情人形にも仇同士の魂がおのずと籠(こも)ったのであろうか。余り不思議に気を奪われながらも、紋作は夢のように浄瑠璃を低く唄い出した。

※さしもに猛(たけ)き兵助が、切れども突けどもひるまぬ悪党前後左右に斬りむすぶ、数(す)カ所の疵にながるる血潮、やいばを杖によろぼいながら、ええ口惜しや――。

 兵助の人形は文句通りに斬り立てられて、勝ち誇った敵は嵩(かさ)にかかって斬り込んできた。舞台の上の約束はともかくも、ここでは自分人形返り討ちにさせたくないので、紋作はわれを忘れて廊下へ駈け出して、手に持っている煙管をふり上げて仇の人形を力まかせに打ち据えると、水右衛門は額(ひたい)の真向(まっこう)をゆがませてばったり倒れた。兵助の人形疲れたように同じく倒れてしまった。
 この物音に眼をさました冠蔵は、自分のとなりに紋作の寝ていないのを怪しんで、これも蚊帳をくぐって出てみると、紋作は煙管をにぎって果(はた)し眼(まなこ)で突っ立っていた。その足もとには水右衛門の人形がころげていた。
「おい、紋作。どうした」
 紋作は夢から醒めたように、自分の今みた人形不思議な話をしたが、冠蔵は信用しなかった。いくら仇同士であろうとも、操(あやつ)りの人形に魂がはいって、敵と味方とが夜なかに斬り結ぶなぞという、そんな不思議が世にあろう筈がない。大方お前の寝ぼけ眼でなにかを見ちがえたのであろうと、冠蔵も始めのうちは唯わらっていたが、水右衛門の人形の額にゆがんだ打ち疵のあとを見つけると、彼は顔の色を変えた。自分の使っている人形の顔へ、なんの遺恨でこんな大疵をつけたのかと彼は紋作にはげしく食ってかかった。自分人形が可愛さに、思わずその仇を手にかけたと紋作はしきりに云い訳をしたが、冠蔵はなかなか得心(とくしん)しなかった。
 人形同士が斬り合ったという。いや、そんな筈がないという。所詮(しょせん)は双方が水掛け論で、ほかに証人がない以上、とても決着が付きそうもなかった。この捫著(もんちゃく)におどろかされて、ほかの者もだんだんに起きてきたが、この奇怪な出来事について正当の判断をくだし得るものは一人もなかった。ある者はそんな不思議がないとも限らないと云った。ある者は頭から馬鹿にしてその不思議を絶対に否認した。しかも紋作が水右衛門を打ったのは事実で、人形の額にたしかな証拠が残っていた。
 冠蔵はそれを自分に対する紋作の嫉妬であると解釈した。


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