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半七捕物帳 51 大森の鶏 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

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半七捕物帳 大森の鶏      一  ある年の正月下旬である。寒い風のふく宵に半七老人訪問すると、老人は近所の銭湯(せんとう)から帰って来たところであった。その頃はまだ朝湯(あさゆ)の流行っている時代で、半七老人は毎朝六時を合図に手拭をさげて出ると聞いていたのに、日が暮れてから湯に行ったのは珍らしいと思った。それについて、老人の方から先に云い出した。
「今夜は久しぶりで夜の湯へ行きました。日が暮れてから帰って来たもんですから……」
「どこへお出かけになりました」
川崎へ……。きょうは初大師の御縁日で」
正月二十一日……。成程きょうは初大師でしたね」
「わたくしのような昔者(むかしもの)は少ないかと思ったら、いや、どう致しまして……。昔よりも何層倍という人出で、その賑やかいには驚きました。尤も江戸時代と違って、今日(こんにち)では汽車の便利がありますからね。昔は江戸から川崎大師河原まで五里半とかいうので、日帰りにすれば十里以上、女は勿論、足の弱い人たちは途中を幾らか駕籠に助(す)けて貰わなければなりません。足の達者な人間でも随分くたびれましたよ」
「それでも相当に繁昌したんでしょうね」
「今程じゃありませんが、御縁日にはなかなか繁昌しました」と、老人はうなずいた。「なんでも文化の初め頃に、十一代将軍の川崎参詣があったそうで……。御承知の通り川崎は厄除(やくよけ)大師と云われるのですから、将軍四十二の厄年参詣になったのだと云うことでした。それが世間に知れ渡ると、公方(くぼう)様でさえも御参詣なさるのだからと云うので、また俄かに信心者が増して来て、わたくし共の若いときにも随分参詣人がありました。明治今日(こんにち)はそんなことも無いでしょうが、昔はわたくし共のような稼業の者には信心者が多うござんして、罪ほろぼしの積りか、災難よけの積りか、忙がしい暇をぬすんで神社仏閣に足を運ぶ者がたくさんありました。わたくし共も川崎大師へは大抵一年に二、三度は参詣していましたが、どうも人間現金なもので、明治になって稼業をやめると、とかく御無沙汰勝ちになりまして……。それでも正月の初大師だけは、まあ欠かさず御参詣をして、大師さまに平生(へいぜい)の御無沙汰のお詫びをしているんですよ。くどくも云う通りこんにちは便利でありがたい。きょうも午頃から出て行って、ゆっくり御参詣をして、あかりの付く頃には帰って来られるんですからね。むかしは薄っ暗い時分から家を出て、高輪(たかなわ)の海辺の茶店でひと休み、その頃にちょうど夜が明けるという始末だから大変です。それだから正月の初大師などと来たら、寒いこと、寒いこと……。それもまあ、信心の力で我慢したんですが、大勢のなかには横着な奴があって、草鞋(わらじ)をはいて江戸を出ながら、品川で昼遊びをしている。昔はそういう連中のために、大師河原お札(ふだ)が品川にあったり、堀ノ内のお洗米(せんまい)が新宿に取り寄せてあったりして、それをいただいて済ました顔で帰る……。はははは、いや、わたくしなぞはそんな悪いことをしないから、大師さまの罰(ばち)もあたらないで、まあこうして無事に生きているんですよ。その大師詣りに就いてこんな話があります。又いつもの手柄話をするようですが、まあ、お聴き下さい」

 嘉永四年は春寒く、正月十四日から十七日まで四日つづきの大雪が降ったので、江戸じゅうは雪どけ泥濘(ぬかるみ)になってしまった。こんにちと違って、これほどの雪が降れば、その後の半月ぐらいは往来に悩むものと覚悟しなければならない。半七は足ごしらえをして、子分の庄太と一緒に、二十一日の初大師参詣した。
 明け六ツ頃に神田の家(うち)を出て、品川から先は殊にひどい雪どけ道をたどって行って、大師堂の参拝を型のごとくに済ませたのは、その日も午を過ぎた頃であった。
「さあ、午飯(ひるめし)だ。どこにしよう」
 繁昌と云っても今日(こんにち)のようではないので、門前休み茶屋の数(かず)も知れている。毎月の縁日とは違って、きょうは初大師というので、どこの店もいっぱいの客である。いっそ川崎の宿(しゅく)まで引っ返して、万年屋で飯を食おうと云って、二人は空腹(すきばら)をかかえて、寒い風に吹きさらされながら戻って来ると、ここらもやはり混雑していて、万年屋も新田屋も客留めの姿である。二人は隅のほうに小さくなって、怱々(そうそう)に飯をくってしまった。
「まあ、仕方がねえ。江戸へ帰るまで我慢するのだ」
 ここで草鞋を穿(は)きかえて、六郷川端まで来かかると、十人ほどが渡しを待っていた。いずれも旅の人江戸へ帰る人たちで、土地の者は少ない。そのなかで半七の眼についたのは三十二三の中年増(ちゅうどしま)で、藍鼠(あいねずみ)の頭巾(ずきん)に顔をつつんでいるが、浅黒い顔に薄化粧をして、ひと口にいえば婀娜(あだ)っぽい女であった。女は沙原(すなはら)にしゃがんで、細いきせるで煙草を吸っていた。庄太はその傍へ寄って煙草の火を借りた。
天気はいいが、お寒うござんすね」と、庄太は云った。
「雪のあとのせいか、風がなかなか冷えます」と、女は云った。
 そのうちに船が出たので、人々は思い思いに乗り込んだ。女は船のまん中に乗った。半七と庄太は舳先(へさき)に乗った。やがて向うの堤(どて)に着いて、江戸方角へむかって歩きながら、半七は小声で云った。
「おい、庄太。あの女はなんだか見たような顔だな」
「わっしもそう思っているのだが、どうも思い出せねえ。堅気(かたぎ)じゃありませんね」
「今はどうだか知れねえが、前から堅気で通して来た女じゃあねえらしい」
「小股の切れ上がった粋な女ですね」
「それだから火を借りに行ったのじゃあねえかえ」と、半七は笑った。


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