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半七捕物帳 53 新カチカチ山 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

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  • ★小女郎狐 半七捕物帳 岡本綺堂 春陽堂文庫 昭和17年 初版 1942
  • 半七捕物帳 旺文社文庫 全6巻
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  • 半七捕物帳(全7巻)岡本綺堂著・春陽文庫
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  • 春陽堂版『半七捕物帳』岡本綺堂 帯 昭和30年
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  • 半七捕物帳 全6冊◆岡本綺堂 旺文社文庫 絶版
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半七捕物帳カチカチ山      一  明治二十六年の十一月なかばの宵である。わたしは例によって半七老人訪問すると、老人はきのう歌舞伎座を見物したと云った。
「木挽町(こびきちょう)はなかなか景気がようござんしたよ。御承知でしょうが、中幕は光秀の馬盥(ばだらい)から愛宕(あたご)までで、団十郎の光秀はいつもの渋いところを抜きにして大芝居でした。愛宕の幕切れに三宝を踏み砕いて、網襦袢の肌脱ぎになって、刀をかついで大見得を切った時には、小屋いっぱいの見物がわっと唸りました。取り分けてわたくしなぞは昔者(むかしもの)ですから、ああいう芝居を見せられると、総身(そうみ)がぞくぞくして来て、思わず成田屋ァと呶鳴りましたよ。あはははは」
「まったく評判がいいようですね」
「あれで評判が悪くちゃあ仕方がありません。今度の光秀だけは是非一度見て置くことですよ」
 老人芝居好きは今始まったことではない。わたしのような若い者がこの老人に嫌われないのも、こいつは芝居好きで少しは話せるというのが一つの原因になっているらしい。したがって老人と向かい合った場合芝居話のお相手をするのは覚悟の上であるから、わたしも一緒になって頻りに歌舞伎座の噂をしていると、老人は又こんなことを云い出した。
「今度の木挽町には訥升(とつしょう)が出ますよ。助高屋高助のせがれで以前は源平と云っていましたが、大阪から帰って来て、光秀の妹と矢口渡(やぐちのわたし)のお舟を勤めています。三、四年見ないうちに、すっかり大人びて、矢口のお舟なぞはなかなかよくしていました。いや、矢口と云えば、あの神霊矢口渡という芝居にあるようなことは勿論嘘でしょうが矢口渡の船頭が足利方にたのまれて、渡し舟の底をくり抜いて、新田(にった)義興(よしおき)の主従を川へ沈めたというのは本当なんでしょうね」
「そりゃあ本当でしょう。太平記にも出ていますから……」
子供の話にある、カチカチ山の狸の土舟(つちぶね)というわけですね。その矢口渡に似たような事件があるんですが……。恐らく太平記芝居から思い付いたんじゃないでしょうか」
矢口渡に似たような事件……。それにはあなたもお係り合いになったんですか」
「かかり合いましたよ」
 こうなると、芝居の方は二の次になって、わたしは袂に忍ばせている手帳をさぐり出すことになった。狡(ずる)いと云えば狡いが、なんでも斯ういう機会を狙って、老人のむかし話を手繰(たぐ)り出さなければならないのである。それは相手の方でも万々察しているらしい。
「はは、いつもの閻魔帳が出ましたね。これだからあなたの前じゃあうっかりした話は出来ない」
 老人笑いながら話し始めた。
文久元年一月末のことと御承知下さい。ほんとうを云うと、この年は二月二十八日文久改元のお触れが出たのですから、一月はまだ万延二年のわけですが……。その頃、京橋築地、かの本願寺のそばに浅井|因幡守(いなばのかみ)という旗本屋敷がありました。三千石の寄合(よりあい)で、まず歴々の身分です。深川の砂村に抱え屋敷、即ち下(しも)屋敷がありまして、主人をはじめ家族の者が折りおりに遊びに行くことになっていました。そこで一月の末、なんでも二十六七日頃だと覚えています。この年は正月早々からとかくに雨の多い春でしたが、二十二三日からからりと晴れて、暖い梅見日和がつづいたので、浅井の屋敷では主人の因幡守が妾のお早と娘のお春を連れて、砂村の下屋敷へ梅見に出かけることになりました。因幡守は四十一歳、お早は二十四歳、お春は十五……ちょっとお断わり申して置きますが、このお春というお嬢さまはお早の妾腹ではなく、お蘭という奥さまの子で、奥さまはそれほどの容貌(きりょう)よしでもなかったが、その腹に生まれたお春は京人形のように可愛らしい、おとなしやかなお嬢さまであったそうです。
 そこで主人側は因幡守、お早、お春の三人、それにお付き女中が三人、供の侍が三人、中間が四人でしたが、船が狭いので侍や中間は陸(おか)を廻り、主人側三人と女中三人は船で行きました。船宿(ふなやど)は築地小田原|町(ちょう)の三河屋で、屋根船の船頭は千太という者でした。無事に砂村へ行き着いて、一日を梅見に暮らして、ゆう七ツ(午後四時)頃に下屋敷を出て、もとの船に乗って帰る途中、ここに一場椿事出来(しゅったい)に及びました」
矢口渡ですか」
「そうです、そうです。矢口渡か、カチカチ山です」と、老人はうなずいた。「わたくしは現場居合わせたわけでもありませんから、見て来たようなお話は出来ませんが、帰る時も前と同様に、供の男たちは徒歩(かち)で陸を帰り、主人側三人と女中三人は船で帰ることになって、船頭の千太が船を漕いで、小名木(おなぎ)川をのぼって行きました。御承知の通り深川は川の多いところですが、この時は小名木川の川筋から高橋、万年橋を越えて、大川筋へ出ました。ここは新大橋永代橋のあいだで、大川の末は海につづいている。その川中まで漕ぎ出した頃に、どうしたものか、屋根船の底から水が沁み込んで来ました。女中たちが見つけて騒ぎ出す、主人もおどろく、船頭も驚いてあらためると、船底の穴から水が湧き込んで来るんです。慌てて有り合わせた物を栓にさしたが、どうも巧く行かない。ふだんならば此の辺に何かの船が通る筈ですが、あいにく夕方でほかの船も見えない。そのうちに水はだんだんに増して来て、大きくもない屋根船は沈みかかる。船頭は大きい声で助け船を呼ぶ。女中たちも必死になって呼び立てる。それを聞きつけて、佐賀|町(ちょう)の河岸(かし)から米屋の船が二艘ばかり救いに出て来ましたが、もう間に合わない。あれあれと云ううちに、船はとうとう沈んでしまいました」
 文久元年といえば、今から三十余年の昔話であるが、その惨事を聞かされて、わたしは思わず顔をしかめた。
「誰も助からなかったんですか」
「船頭は泳ぎを知っているから、いざというときに川へ飛び込んで助かりましたが、因幡守という人は水心(みずごころ)がなかったと見えて沈みました。ほかは女ばかりですから、妾のお早、娘のお春を始めとして、三人の女中もみんな流されてしまいました。さあ大騒ぎになって、すぐに築地屋敷へ知らせてやる。屋敷からも大勢が駈けつけて、幾艘の船を出して死骸引き揚げにかかりましたが、もう日が暮れて、水の上が暗いので、捜索もなかなか思うように行かない。


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