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半七捕物帳 68 二人女房 - 岡本 綺堂 ( おかもと きどう )

  • 定本 半七捕物帳 全5巻 岡本綺堂 
  • ★小女郎狐 半七捕物帳 岡本綺堂 春陽堂文庫 昭和17年 初版 1942
  • 半七捕物帳 旺文社文庫 全6巻
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  • 半七捕物帳(全7巻)岡本綺堂著・春陽文庫
  • 半七捕物帳①~⑥ 他2冊! 岡本綺堂 旺文社文庫
  • 春陽堂版『半七捕物帳』岡本綺堂 帯 昭和30年
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  • 半七捕物帳 全6冊◆岡本綺堂 旺文社文庫 絶版
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半七捕物帳 二人女房      一  四月なかばの土曜日の宵である。 「どうです。あしたのお天気は……」と、半七老人は訊(き)いた。
「ちっと曇っているようです」と、わたしは答えた。
「花どきはどうも困ります」と、老人は眉をよせた。「それでもあなた方はお花見にお出かけでしょう」
「降りさえしなければ出かけようかと思っています」
「どちらへ……」
小金井です」
「はあ、小金井……。汽車はずいぶん込むそうですね」
「殊にあしたは日曜ですから、思いやられます」
「それでも当節は汽車の便利があるから、楽に日帰りが出来ます。むかしは新宿から淀橋中野高円寺馬橋荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋吉祥寺、関前……これが江戸から小金井へゆく近道ということになっていましたが、歩いてみるとなかなか遠い。ここで一日ゆっくりお花見をすると、どうしても一泊しなければならない。小金井橋のあたりに二、三軒の料理屋があって、それが旅籠(はたご)を兼業ですから、大抵はそこに泊めてもらうことになるのですが、料理屋といっても田舎茶屋で、江戸ら行った者にはずいぶん難儀でした」
「あなたもお出でになった事があるんですね」
「ありますよ」と、老人は笑った。「小金井の桜のいいことは、かねて聞いていましたが、今も申す通り、なにぶん道中が長いので、つい出おくれていましたが、忘れもしない嘉永二年、浅草源空寺幡随院長兵衛三百回忌の法事があった年でした。長兵衛法事四月十三日でしたが、この三月の十九日子分の幸次郎と善八をつれて、初めて小金井へ遠出(とおで)を試みたと云う訳です。武家ならば陣笠でもかぶって、馬上の遠乗りというところですが、われわれ町人はそうは行かない。脚絆(きゃはん)をはいて、草履を穿(は)いて、こんにちでいう遠足のこしらえで、三人は早朝から山の手へのぼって、新宿淀橋中野と道順をおって徒(かち)あるきです。旧暦三月ですから、日中は少し暖か過ぎる位でした。今から思うと、むかしの人間は万事が悠長だったのですね。途中の茶店などに幾たびか休んで、のん気に又ぶらぶら歩いて行く。それを保養と心得ていたのですよ。はははははは」
「しかしそれが本当の保養でしょう。今日のように、汽車に乗るにも気違いのような騒ぎじゃあ、遊びに行くのか、苦しみに行くのか判りません。どう考えても、ほんとうの花見は昔のことでしょうね。そこで、その時には別に変ったお話もありませんでしたか」
「ありましたよ」と、老人は又笑った。「犬もあるけば棒にあたると云いますが、わたくし共が出あるくと不思議何かにぶつかるのですね。その時も小金井までは道中無事、小金井橋の近所で午飯(ひるめし)を食ってそこらの花をゆっくり見物して、ここでお泊まりにしてしまえば、まあ無事だったわけですが、どうせ泊まるなら府中の宿(しゅく)まで伸(の)そうと云うことになって、いずれも足の達者な奴らが揃っているので、畑のあいだの道を縫って甲州街道へ出て、小金井からおよそ一里半、府中の宿へ行き着いて、宿の中ほどの柏屋という宿屋にはいりましたが、まだ日が高いので、六所(ろくしょ)明神参詣ということになりました。闇祭り有名の六所明神、ここへ来た以上は、一度参詣をしなければならないというわけです。あなたはお参りをなすった事がありますか」
「いいえ、小金井には学校時代一度遠足に行った事があるだけで、府中は知りません」
「それでは少し説明をして置かなければならない。と云うのは、社(やしろ)の入口から随身門までおよそ一丁半、路の左右は松と杉の森で、四抱えも五抱えもあるような大木が天を凌(しの)いで生い茂っています。その森の梢にはたくさんの鷺(さぎ)や鵜(う)が棲んでいるが、寒(かん)三十日のあいだは皆んな何処へか立ち去って、寒が明けると又帰って来る。それが年々一日も違わないので、ここでは七不思議の一つと云われています。そこで、その鷺や鵜は品川の海や多摩川のあたりまで飛んで行って、いろいろの魚(さかな)をくわえて来るが、時にはあやまって其の魚を木の上から落とすことがある。土地女子供はそれを見つけて拾って来る。ここらは海の遠い所ですが、鳥のおかげで、案外に海魚(うみうお)の新らしいのを拾うことが出来ると云うのは、何が仕合わせになるか判りません。早く云えば天から魚が降って来るようなわけで……」
おもしろい話ですね。今でもそうでしょうか」
「さあ、今はどうだか知りませんが、昔はそうでした。現にわたくしも見たのだから嘘じゃありません」と、老人はつづけて笑った。「その時にも魚が降って来ましたよ。わたくしと幸次郎と善八、この三人が宿屋を出て、六所明神の社をさして行きかかると、今も申す通り随身門までは右も左も松杉の大きい森、その森を横に見ながら辿(たど)って行くと、幸次郎がだしぬけにあっと云う。何かと思ってその指さす方角を見ると、一羽の大きい白鷺が大空から舞いさがって、森のこずえに降りようとする途端に、どうしたはずみか、銜(くわ)えている黒い魚を振り落としたので、魚は天から降って来たという形。……すると、そこらに遊んでいた二人の子供がわっと云って駈けて行く。ひとりは赤ん坊を負っている十四、五の女の児、ひとりは十一、二の男の児で、どっちも慌ててその魚を拾おうとする。こうなっちゃあ鷺も降りて来ることは出来ない。人間同士の取りっこです。
 年上だけに女の児が素早く拾ったのを、男の児がまた取ろうとする。女の児はやるまいとする。両方が泣き顔になって一生懸命です。しょせんは子供同士の獲物(えもの)争い、笑って見て通ればそれ迄ですが、ただ見過ごせないのが私の性分で、怪我でもするといけないから留めてやれと幸次郎に云いますと、幸次郎は駈けて行って二人を引き分けました。いくら相手が子供でも、留男(とめおとこ)に出た以上は唯は済みません。女の児が先に拾ったのだから、魚は女の児にやらなけりゃいけない。その代りにお前にはこれをやると云って、幸次郎三文か四文の銭(ぜに)を渡すと、男の児は大よろこびで承知しました。
 しかし、この子供たちはふだんから仲が悪いのか、それとも魚を取られたのが口惜(くや)しいのか、男の児は相手の女の児を指さして、こいつの家(うち)へはお化けが出るんだよ。


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